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	<title>モーゼ &#8211; 夢中余瀝</title>
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		<title>東日本中部日本北海道大震災・番外　「出エジプト記」</title>
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		<dc:creator><![CDATA[nanai]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 26 Mar 2011 14:55:29 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[社会]]></category>
		<category><![CDATA[モーゼ]]></category>
		<category><![CDATA[ユダヤ人]]></category>
		<category><![CDATA[旧約聖書]]></category>
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					<description><![CDATA[旧約聖書「出エジプト記」は、人間ドラマに満ちている。これを読んでいると、有史以来、数千年にわたって、人間は変わっていないということが分かる。 「出エジプト記」は、モーゼが、エホバの召命を受けて、エジプトに捕らわれていたユ &#8230; <a href="https://nassan7.com/2011/03/26/exodus-and-present-japan/" class="more-link">続きを読む <span class="screen-reader-text">東日本中部日本北海道大震災・番外　「出エジプト記」</span></a>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>旧約聖書「出エジプト記」は、人間ドラマに満ちている。これを読んでいると、有史以来、数千年にわたって、人間は変わっていないということが分かる。</p>
<p>「出エジプト記」は、モーゼが、エホバの召命を受けて、エジプトに捕らわれていたユダヤ人をパレスチナに連れ戻す話だ。</p>
<p>というと、話は簡単だが、読んでいくと一筋縄ではいかないややこしい話に満ちている。例えば、「モーゼがエホバの召命を受けて」と書いたが、召命を受けてモーゼが実際に動き出すまでがさあ大変だ。モーゼは、最初は騙されているのではないかと疑い、騙されているのではないと分かってからも、困難な役割に尻込みし、ためらう。</p>
<p>やっと重い尻を上げて動き出し、エジプトに着いたものの、肝心のユダヤ人はモーゼのいうことを信用しない、やっとのことで説得し、連れ出すことに成功したはいいが。こんどは脱出行の途中で、まあ、平たく言えば、やれお腹がすいただの、喉が渇いたからジュースをよこせだの、文句たらたら、挙げ句の果てに、モーゼがちょっと目を離した隙に、エホバならぬ金でできた羊（だったと思いますが、間違っていたらご免）を拝み始める始末。</p>
<p>つまり、旧約聖書では、モーゼにしても、いわゆる毅然として揺らぐことのないリーダー像とはほど遠い、悩み多き迷える人物だし、一般民衆も、目先のことしか考えず、得になることには真っ先に飛びつくが、得にならないことには目もくれない、エゴイズムむき出しの浅薄な存在として描かれている。</p>
<p>昨今の日本の社会と国家の有様を見ていると、いろいろなことが「出エジプト記」の各場面とダブってくるのだが、日本版「出エジプト記」は、はたしてどんな内容になるのだろうか。</p>
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