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	<title>福音書 &#8211; 夢中余瀝</title>
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		<title>ウィトゲンシュタインのジョーク</title>
		<link>https://nassan7.com/2020/06/14/wittgensteins-joke/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[nanai]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 14 Jun 2020 11:23:15 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>
		<category><![CDATA[Wittgenstein]]></category>
		<category><![CDATA[ウィトゲンシュタイン]]></category>
		<category><![CDATA[パウロ]]></category>
		<category><![CDATA[ヴィトゲンシュタイン]]></category>
		<category><![CDATA[哲学探究]]></category>
		<category><![CDATA[福音書]]></category>
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					<description><![CDATA[このところ必要があって、ウィトゲンシュタイン（ Ludwig Josef Johann Wittgenstein、1889年4月26日 &#8211; 1951年4月29日）を再訪。『反哲学的断章』（丘沢静也訳 青土社  &#8230; <a href="https://nassan7.com/2020/06/14/wittgensteins-joke/" class="more-link">続きを読む <span class="screen-reader-text">ウィトゲンシュタインのジョーク</span></a>]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<p>このところ必要があって、ウィトゲンシュタイン（ Ludwig Josef Johann Wittgenstein、1889年4月26日 &#8211; 1951年4月29日）を再訪。『反哲学的断章』（丘沢静也訳 青土社 1999年）を見ていたら、こんな断章が。</p>



<p style="padding-left: 40px;">福音書のほうが―これも私の感じだが―すべて質素で、謙虚で、単純である。福音書が小屋なら、―パウロの手紙は教会である。福音書では、人間はみな平等で、神みずからが人だが、パウロの手紙はすでに、位階とか官職といったヒエラルキーのようなものがある。―と言っているのは、いわば私の嗅覚である。（同書94頁）</p>
<p>しかし、これを、嗅覚と表現するのは、なぜ。キリスト教世界の異端審問的追求を回避のため?　まさか。</p>
<p>こんな断章もある。</p>
<p style="padding-left: 40px;">ウソをつくより、本当のことを言うほうが、しばしば、ほんのちょっと苦痛なだけである。甘いコーヒーを飲むより、苦いコーヒーを飲むほうが、ほんのちょっと苦痛なように。それなのに私は、どうしてもウソをついてしまう。（同書115頁）</p>
<p>思わず、ニヤリとしてしまう。あるウィトゲンシュタイン研究者が、この超絶的な思索者には「笑ってはいけない笑い」という独特のジョークがあると指摘する。（中村昇『ウィトゲンシュタイン『哲学探究』入門』教育評論社 2014年 177-178頁）<br />してみると、上の断章も、独特のジョークということか。なにせ、「犬は、何故痛い振りをする事が出来ないのか?　犬は、正直すぎるからなのか?」（『哲学探究』250節 引用は黒崎宏訳・解説『『哲学的探求』読解』 産業図書 1997年）などと、大真面目に言う人なのだから。</p>
<p>

</p>
<p>蛇足；ウィーンの生まれの人だから、姓名の発音の生地主義（そんなものがあればだが）にしたがえばヴィトゲンシュタインとなる。英国の大学で教職についていた、英国籍を取得、慣用などを考慮して表題の表記を選択</p>
<p></p>]]></content:encoded>
					
		
		
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