菅伸子氏の演じた茶番

先の、民主党代表選最中のこと.

菅直人氏の配偶者である菅伸子氏は、「首相になって、まだ、たったの3ヶ月ですよ。もう少しやらせてくださいよ。駄目だったら、私が辞めさせますから。」と言いながら、永田町の議員会館を回り、支持を訴えたそうな。

こういうのを茶番といいます。

一国の最高責任者の進退を、その配偶者が決める?

あり得ないことです。

この話、夫と妻を入れ替えると滑稽さがよくわかります。

例えば、イギリスのサッチャー氏とその配偶者。

夫のデニス氏が、保守党党首選で、「うちのマーガレットが不始末をしたら私が辞めさせる。」と言ったらどうなるか。

かの国では、後の世まで末永く語り継がれる笑い話となることは間違いないです。

現下のわが国の最高責任者は、こうした茶番劇のあげくにその地位を得たわけです。

しかも、いと見識高き、わが大新聞の論説者並びにTVコメンテーターがこれを問題にしない。

困ったものです。

アナウンサーの品性

データ放送で天気予報を確かめるため偶々見た、今朝のNHKニュース番組、大リーグ情報を扱ったコーナー。

折れたバットが胸に当たり怪我をした選手が苦痛に顔をゆがめている映像にかぶせて、アナウンサーがそれを茶化す駄洒落を口にして相方のアナウンサーと楽しそうに笑った。

人が痛い思いをしているのに、同情するどころか、笑いものにする無神経。

どういう育ち方をしたのだろうか。親の顔が見たいものだ。

人気稼業のアナウンサーのことだから、それなりの学校を出ているのだろうが、いったい何を学んできたのか。

この人たちは人生をもう一度最初からやりなおした方がよい。

日本の刑事裁判の不思議

先日、保護責任者遺棄致死罪に問われた某芸能人に対する一審判決がでました。

判決内容については言及しませんが、ブログ主が、またかと思ったのは判決文の次の一節です。いわく「微塵も反省の情が見られない。」

思わず噴き出してしまいました。裁判官は刑事裁判がどういうものか分かっているのでしょうか。

裁判では告発人(刑事裁判の場合は国家でその代理を検察官が務める)と被告発人(刑事裁判の場合は被告人)は対等の立場で、事実の認定(及びその事実の認定の根拠となる証拠の証明力)をめぐり争います。あくまで両者は対等なのです。そして、言うまでもなく有罪判決が確定するまでは無罪なのです。ですから、被告人の側が争われている事実に関して多少なりとも異議があれば、抗弁するのは当たり前なのです。

その、被告発人として当然の防御権を行使することをとらえて、反省のかけらもない、などとお説教され、あまつさえ量刑の情状酌量で不利にカウントされるのではたまったものではありません。このことを大メディアをはじめ誰も問題にしようとしないのは摩訶不思議と言うほかありません。

判決は認定された事実に基づいて相当とされる刑罰を言い渡せばよいのであって、公判の過程に於ける被告人の対応 について道徳的お説教をする必要はまったくありません。いわんやそれを情状と称して量刑に組み入れるなどもってのほかです。

思うに、裁判官のこの発想は、江戸の昔のお白洲裁きから少しも変わっていないのかもしれません。法廷に引き出されて来たのは、すでに町方役人による拷問ありのキツーイ取り調べで「おそれいりやした。」と自白済みの極悪人、有罪の結論は見えており、後はどう懲らしめるかが問題なだけ、というあのTVでおなじみの大岡越前あるいは遠山の金さんをなぞっているだけという感じがしないでもありません。

とにかく司直の追究対象になったら、 もうそれだけで有罪確定扱い、「恐れ入りました」とたとえやっていなくとも素直に謝らなければ、どこまでも「説明責任」とやらを振りかざして叩き続ける何処かの国のマスコミと、日本国の裁判官諸氏は、こりゃ~、気脈を通じているんでしょうかいネ~。オット、お後がよろしいようで…

厚労省元局長への無罪判決と新聞の終焉

昨日、大阪地裁で、厚労省元局長に対する郵便不正事件の判決公判があり、大方の予想通り無罪判決が出ました。ネットでも、従来の大手メディアでも報道、評論が盛んです。

ところで噴飯ものなのは、今日付けの朝日新聞の社説です。

「特捜検察はかつてロッキード事件やリクルート事件などで、自民党長期政権の暗部を摘発した。政権交代が可能になったいまでも、権力の腐敗に目を凝らす役割に変わりはない。

冤罪史は「自白」の強要と偏重の歴史である。今回の事件もその列に加わりかねなかった。

検察は、これを危機ととらえねばならない。弁護士や学識経験者も加えた第三者委員会をつくって検証し、取り調べの可視化などの対策を打つべきだ。それと ともに報道する側も、より客観的で冷静なあり方を考えたい。」

「政権交代が可能になったいまでも、権力の腐敗に目を凝らす役割に変わりはない。」という認識は間違っています。特捜検察が政治家案件を扱う意味が多少なりともあったのは、お説の通り、長期間政権交代がなかったという特殊事情下においてのみであり、まさに、政権交代が可能となった現在では、政治家の有り様を含めて政治の有り様を決めたり権力の腐敗を監視するのは検察当局ではなく、主権者国民と、選挙におけるその投票行動です。いまだに特捜検察に権力の監視役を求める朝日新聞社説の発想は時代遅れといわざるを得ません。

また、「冤罪史は「自白」の強要と偏重の歴史である。」というその歴史に加担してきたのはどなたでしょう。検察当局のリークに頼り、検察の捜査対象はすなわち有罪であると決めつけるかのような報道を繰り返してきたのは、朝日新聞をはじめ既成のマスメディアの皆さんではないのでしょうか。

「検察は、これを危機ととらえねばならない。」とおっしゃるが、ここは「検察」ではなく、「朝日新聞」としたほうがよろしいのではありませんか。朝日新聞を含めて、従来の大手メディアが陥っている、予断や憶測を交え、事実に脚色を加えるという取材・報道の基礎を忘れたかのような振る舞いを自分たちの危機ととらえられないのは、もはや民主社会における報道機関としての新聞の末期症状かもしれません。

田中正造は「危機を危機ととらえられない、これを危機という。」という趣旨のことを述べていたと思いますが、朝日に限らず、大手メディアはまさに危機を通り越して崩壊状態にありますね。