わが国の保守エスタブリッシュメントは国益を破壊している

このたびのオリンピック組織委員会会長の”失言”が明らかにしたのは、二たこと目には「国益」を叫ぶ彼ら保守支配層が、じつは最大の国益破壊者なのだということだ。

眼の前で起こっていてちゃんと見れば誰にだって分かる両性平等の滔々たる流れに、ほんの1ミリも気づいていない無能無感覚。そこから発する時代錯誤の発言の数々。まるで日本が、女性差別あるいは人権無視がまかり通る野蛮国だと自ら宣伝しているようではないか。

こういう野蛮国宣伝が、どれだけ日本国民の評価すなわち国益を貶めているか。少しでも考えたことがあるのか、この連中は。また、こういう連中をいつまでものさばらせている面々。その中には、オリンピック協賛企業に名を連ねることでこの連中の企みに手を貸す大手メディアも含まれている。

ウィトゲンシュタインのジョーク

このところ必要があって、ウィトゲンシュタイン( Ludwig Josef Johann Wittgenstein、1889年4月26日 – 1951年4月29日)を再訪。『反哲学的断章』(丘沢静也訳 青土社 1999年)を見ていたら、こんな断章が。

福音書のほうが―これも私の感じだが―すべて質素で、謙虚で、単純である。福音書が小屋なら、―パウロの手紙は教会である。福音書では、人間はみな平等で、神みずからが人だが、パウロの手紙はすでに、位階とか官職といったヒエラルキーのようなものがある。―と言っているのは、いわば私の嗅覚である。(同書94頁)

しかし、これを、嗅覚と表現するのは、なぜ。キリスト教世界の異端審問的追求を回避のため? まさか。

こんな断章もある。

ウソをつくより、本当のことを言うほうが、しばしば、ほんのちょっと苦痛なだけである。甘いコーヒーを飲むより、苦いコーヒーを飲むほうが、ほんのちょっと苦痛なように。それなのに私は、どうしてもウソをついてしまう。(同書115頁)

思わず、ニヤリとしてしまう。あるウィトゲンシュタイン研究者が、この超絶的な思索者には「笑ってはいけない笑い」という独特のジョークがあると指摘する。(中村昇『ウィトゲンシュタイン『哲学探究』入門』教育評論社 2014年 177-178頁)
してみると、上の断章も、独特のジョークということか。なにせ、「犬は、何故痛い振りをする事が出来ないのか? 犬は、正直すぎるからなのか?」(『哲学探究』250節 引用は黒崎宏訳・解説『『哲学的探求』読解』 産業図書 1997年)などと、大真面目に言う人なのだから。

蛇足;ウィーンの生まれの人だから、姓名の発音の生地主義(そんなものがあればだが)にしたがえばヴィトゲンシュタインとなる。英国の大学で教職についていた、英国籍を取得、慣用などを考慮して表題の表記を選択