ボルトンの暴露本

米国の安全保障問題担当の前大統領補佐官ジョン・ボルトンJohn R. Bolton(1948―)の暴露本が話題になっている。その本、題してTHE ROOM WHERE IT HAPPENED― A White House Memoir。表紙デザイン、題名を楕円が囲んでいる。楕円、オーバルルーム、大統領執務室。内容については報道でサワリの部分が紹介され尽くしている(ホワイトハウスの出版差し止訴訟を、裁判所も、出版が安全保障を危険にさらすかもしれないと不満気ながら、すでに報道で周知されてしまったからしょうがないと悔しそうに却下した)ので、今日は別のことを話題に。

ボルトンという人、ウィキペディアだったかによれば本人はそう呼ばれるのを嫌うそうだが、ネオコンサーヴァティズムNeoconservatismすなわち新保守主義、略してネオコンの代表人物。自分の解釈では、米国のネオコンは、国益オタクである。国益の具体的内容は、米国式生活流儀、いわゆるAmerican way of lifeですな、を維持する(保守する)ことに尽きる。厚さ数センチの牛肉ステーキを日常的に頬張る、真冬でも暖房の効いた室内で半袖シャツを着て丼盛りのアイスクリームを舐めまくる、ガソリンを撒いて走るような燃料消費効率の極端に悪い自動車を日常的に使用する。つまり、エネルギー超絶多消費生活ですね。

米国のネオコンは、この国益を守るためならなんでもする。ファウストじゃないが、悪魔とだって取引する。大量破壊兵器なんか持っていないのに持っていると言いがかりをつけて、よその国に大軍を送り込み、荒らし回ってメチャメチャにするなんぞ、朝飯前だ。で、今の大統領。箸にも棒にもかからないとは承知のうえで担ぐことにしたのだろう。わが国の誰かさんが、昔、神輿担ぐなら軽いほうがいいと言いましたっけ。こういうことは東西を問わない。しかし、しかし、この大統領、あまりといえばあんまりな……

ちょっと前のブッシュ息子大統領も軽くて担ぎやすく、しかも言いなりになってくれたから、ネオコンたちにとっては理想の大統領だった。このあたりのこと、2018年の映画『バイス』に詳しい。クリスチャン・ベールが、大統領を操り人形よろしく操縦する副大統領ディック・チェイニーを演じている。米国という国は、いろいろな顔を持つ国で、今の大統領を熱烈に支持する人もいれば、ハリウッドでこのように正面から現在の政治を批判する映画を作る人もいる。あ、ハリウッドはユダヤと左翼の巣窟だからなどと陰謀論を振りかざす人は蒙御免。

というわけで、こんどの大統領、ネオコンの我慢の限界を超えた。というより操縦不能になった。中国の大統領(習近平)に米国農産物を購入するよう哀願して足元を見られる、ロシアの大統領(プーチン)からはくみしやすしとバカにさる。だから慌てた。(米国のネオコン連中、国益オタクと同時に、その偏差値優等生としての来歴から”いつも一番じゃないと気がすまない症候群”に罹患していて、自分たちより上はいないと思っているのに、格下と思っている相手から”上から目線”されるのが何より悔しい。この屈辱をいかでかは晴らさん、ということも大きいのだろう。いや、それがすべてかも。)大統領選挙が佳境を迎えようというタイミングを狙って、暴露本を出す。なんとしてでも再戦を阻止したい。次に誰がなっても、操縦できる自信はある。とにかく、あの操縦不能out of controlの人だけは引っ込めねば… 今朝の、NHK・BS海外ニュース番組紹介コーナーで、米国ABC放送のキャスターのインタビューに答えるボルトンの肉声を流していた。「1期で終わる大統領として歴史に記録されてほしい。」 

米国憲法前文の精神

直前の記事で、現職の米国大統領が、国民間の分断も辞さないという強硬な言動を重ねていると書いた。分断とくれば団結とか統一。そうだ、米国の憲法に統一がどうしたとかの文言があったな。調べた結果が下記。前文にそれがあった。

We the People of the United States, in Order to form a more perfect Union, establish Justice, insure domestic Tranquility, provide for the common defence, promote the general Welfare, and secure the Blessings of Liberty to ourselves and our Posterity, do ordain and establish this Constitution for the United States of America. (米国National ArchivesのWebページからコピー)
われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に 備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここに アメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。(AMERICAN CENTER JAPANのWebページからコピー)

注目は”to form a more perfect Union”のところ。”Union”が大文字で始まっているので特別な意味があるとして日本語では”連邦”としたのか。しかし、小文字で始まる普通名詞の”union”は結合、団結、一致、調和となる。つまり、大胆に解釈すれば、団結一致のために憲法を制定した。しかも、独立戦争という多大の犠牲を払って、ということ。そう考えると、憲法の精神に反するような分断をあおる行為を重ねる大統領というのはそもそもなんなのかということになる。しかも、大統領はもちろんのこと、米国で公職に就く人はすべて、憲法を擁護する旨の宣誓をしているはずだから、憲法擁護義務違反ということにもなる。大統領が憲法違反?!

してみると、今現在、太平洋の東はるかの国で起こっていることは、前代未聞、空前(絶後になるかどうかはわからない)の異常事態と考えねばならない。なにしろ彼の国は、国力全般については全盛期に比べれば力が落ちたといえ、いまなお史上最大の破壊力を装備した軍隊を持っている。その破壊力が、混乱状態の中でひょっとしてひょっとしてしまったら… クワバラクワバラ。この上は、彼の国の混迷が、地球規模の騒乱の引き金にならないことを願うのみ。

米国は第2次南北戦争状態?

現在の米国大統領は、伝えられるもろもろのふるまいからして、ほとんどもっぱら、地理的に中部南部の、所得階層的に中層以下の、人種的に白色系の、宗教的にキリスト教プロテスタント保守派の、必ず投票に出かけ自分に投票するという意味での強固な忠誠心を持つと彼が考える米国民に向けてのみ、語りかけているように見える。

これは、分断をも辞さないという意志の現れと判断して差し支えなかろう(他国の元首に対してはなはだ失礼ながら、彼が、そもそも、まとまった意思というものを持っているとして)。すると、彼は、日本語では南北戦争、米語ではAmerican Civil WarもしくはThe Civil War、つまりは市民どうしの戦いすなわち内戦の引き金を自ら引くことを想定しているのだろうか。

前回の内戦勃発時の大統領は、リンカーン。名分は奴隷解放。今回、それが起こるとして、大統領はあの人。そして名分は?

ウィトゲンシュタインのジョーク

このところ必要があって、ウィトゲンシュタイン( Ludwig Josef Johann Wittgenstein、1889年4月26日 – 1951年4月29日)を再訪。『反哲学的断章』(丘沢静也訳 青土社 1999年)を見ていたら、こんな断章が。

福音書のほうが―これも私の感じだが―すべて質素で、謙虚で、単純である。福音書が小屋なら、―パウロの手紙は教会である。福音書では、人間はみな平等で、神みずからが人だが、パウロの手紙はすでに、位階とか官職といったヒエラルキーのようなものがある。―と言っているのは、いわば私の嗅覚である。(同書94頁)

しかし、これを、嗅覚と表現するのは、なぜ。キリスト教世界の異端審問的追求を回避のため? まさか。

こんな断章もある。

ウソをつくより、本当のことを言うほうが、しばしば、ほんのちょっと苦痛なだけである。甘いコーヒーを飲むより、苦いコーヒーを飲むほうが、ほんのちょっと苦痛なように。それなのに私は、どうしてもウソをついてしまう。(同書115頁)

思わず、ニヤリとしてしまう。あるウィトゲンシュタイン研究者が、この超絶的な思索者には「笑ってはいけない笑い」という独特のジョークがあると指摘する。(中村昇『ウィトゲンシュタイン『哲学探究』入門』教育評論社 2014年 177-178頁)
してみると、上の断章も、独特のジョークということか。なにせ、「犬は、何故痛い振りをする事が出来ないのか? 犬は、正直すぎるからなのか?」(『哲学探究』250節 引用は黒崎宏訳・解説『『哲学的探求』読解』 産業図書 1997年)などと、大真面目に言う人なのだから。

蛇足;ウィーンの生まれの人だから、姓名の発音の生地主義(そんなものがあればだが)にしたがえばヴィトゲンシュタインとなる。英国の大学で教職についていた、英国籍を取得、慣用などを考慮して表題の表記を選択