防衛大臣の某が泥縄のコロナ・ワクチン接種を批判されて逆ギレ

なかなか進まぬコロナ・ワクチン接種に、失政批判を恐れた現政権が、自衛隊を動員した。ところが、泥縄の準備なものだから、当てずっぽうの番号を入れても予約できてしまうことが、おそらく防衛省内部からのリークで報道されるに至った。朝日新聞系のAERA dot.と毎日新聞が、実際にそのとおりやってみて、事実であることを確認した。報道機関として当然の行為だ。

これに、防衛大臣の某が「65歳以上の方の接種機会を奪い、貴重なワクチンそのものが無駄になりかねない極めて悪質な行為」と逆ギレ。悪質な行為をしたのは、そもそも、十分な量のワクチンを早期に確保することに失敗して不安と混乱をまねいた現政権だろう。国民を守れない政権・政党の無能大臣。

その昔々なら、大臣という正真正銘の権力者による上からの権力的恫喝ということで、世論沸騰、大臣罷免という運びになっただろうにね。今は昔の物語。

わが国の保守エスタブリッシュメントは国益を破壊している

このたびのオリンピック組織委員会会長の”失言”が明らかにしたのは、二たこと目には「国益」を叫ぶ彼ら保守支配層が、じつは最大の国益破壊者なのだということだ。

眼の前で起こっていてちゃんと見れば誰にだって分かる両性平等の滔々たる流れに、ほんの1ミリも気づいていない無能無感覚。そこから発する時代錯誤の発言の数々。まるで日本が、女性差別あるいは人権無視がまかり通る野蛮国だと自ら宣伝しているようではないか。

こういう野蛮国宣伝が、どれだけ日本国民の評価すなわち国益を貶めているか。少しでも考えたことがあるのか、この連中は。また、こういう連中をいつまでものさばらせている面々。その中には、オリンピック協賛企業に名を連ねることでこの連中の企みに手を貸す大手メディアも含まれている。

「貸間ありと唐様で書く三代目」が番頭を後継者に指名

言いたいことはタイトルに尽きています。野暮ではありますが、念の為、三代目は辞めると言ったあの人物のこと、番頭は官房長官。

しかし、今に始まったことではないけれど、大手メディアの諸君、他に報道すべきことが山ほどあるのに、後継は誰がどうしたというコップの中の嵐に狂奔するのはみっともないよ。だから、餌をぶら下げられると必死で追いかけるドッグレースにたとえられちゃうんだ。

NHK・BSの”ニュース”

NHK・BSを見ていると、毎時50分から10分間設定されたBSニュースという帯番組につきあわされる。4~5本の”ニュース”と末尾の株価・為替相場読み上げが定番の構成。

NHK(に限らないが)が御用放送だなということを実感するのは、災害発生時の報道ぶり。どこそこで、なにそれが起こったというのは、まあ、当然。おかしいのは、首相が万全の対応を指示しましたとか、政府が災害対策本部を作りましたとか、アナウンサーがマジ顔で読み上げること。

首相が万全の対応を指示したり、災害規模によっては対策本部を作るのは当たり前だろう。これって、朝になったら朝になります、夕方になったら夕方になりますと言っているのと同じことだよ。こんなのがニュースかね。そうじゃないだろう。首相がちゃんとやっています、政府がちゃんとやっていますという広報活動だ、これは。

その昔、「神の国」だと言った首相がいて、愛媛県立水産高校の実習船がハワイ近くで米海軍原子力潜水艦に当てられ沈没し犠牲者が出た報告を受けてもゴルフをやり続けたことを非難されけっきょく辞めることになった。そういえばこの人、今、オリンピックだオリンピックだとはしゃいでいるな。

するべきことをしなかったらニュースだけど、首相が万全対応を指示したなんざニュースでもなんでもない。それをしれーっとして垂れ流すNHKを御用放送と言わずしてなんと言う。

「東大の経済学部はマルクス経済学を専攻する専任教員は新規に採用しないという意思決定」をしたといったん報道しながら断りなくこれを取り消した日本経済新聞

そういえば、最近、東大経済学部ではマルクス経済学はどうなったんだろうと思って調べたら、こんな事件に遭遇。心覚えのため記す。

くだんの日経記事はこれ。2020年7月2日現在、経済理論学会が東大総長あて公開質問状で問題にした(日本国の納税者の一人としての自分も当然問題にする)この渡辺努・東大経済学部長のものとされる発言は見当たらない。削除したのか。

経済理論学会の公開質問状はこれ。それによると、渡辺学部長の発言は「ある時点で,東大の経済学部はマルクス経済学を専攻する専任教員は新規に採用しないという意思決定をしました。」というもの。

これが事実だったら、おいおいほんとかよ、そんなこと言っちゃっていいのかよ、ということになってしまう。なにしろ、機を見るに敏なはずの秀才の集団が、つまり時流に棹さすのに巧みな集団が、世界的なマルクス復権の流れに、まったくといっていいほど目を向けていない、井の中の蛙状態を自白しているようなものだから。

これに、マルクス研究者の学会である経済理論学会が、真否を問う公開質問状を出すのは当然のこと、出さなかったら学会としての存在意義が問われるよ。

東大からの回答は、同学会の質問状のページからリンクが貼られていて現物の写真を拝める。封筒まで! 発信元は総長名ではなく「東京大学」という組織名。本文は2行半、「事実関係を確認したところ、「意思決定」がなされたという事実はない」というもの。

以上が昨年12月中の話で、2月になっても日経記事中の該当発言がそのままなのに業を煮やした学会が再度の質問状を出す。こんどは渡辺学部長あてにも出したので同学部長から3月になって回答があった。それによれば、ご本人は、早くも12月中には日経に記事訂正を申し入れたという。

さて、日経の記事、2月以降、現在までのどこかの時点で該当発言を削除したのだろう。ご本人がそんなことは言っていないと言い、記事からその発言が消えているということは、日本経済新聞がそのこと認めたということになる。つまり、日本経済新聞は、本人が言っていないことを書き飛ばした、つまり虚偽を記事にしたということだ。それならそうとそのことを読者にはっきり言おうよ。なのに、きょう現在、日経のWEBページに掲載されている記事にはなんの断り書きも書かれていない。ふーん。

こういうのって、世間では、ふつう、しらばっくれる、略してバックレると言うんじゃなかったけ。日本経済新聞が資本家階級の代言人だということはみんな知っているけど、こういう虚偽報道やバックレをやっていると信用がなくなって、ご主人さまからお手当を貰えなくなるぞ。

〈リンクは経済理論学会のWEBページからコピー、第7段落のリンク2箇所は、akamac’s review氏の記事からコピー。記して感謝します。〉

2019年10月22日のNHK・BS番組

NHK・BSで1998年の映画「仮面の男」をやっていた。

元ネタはデュマの『ダルタニアン物語』。
ルイ14世、実はダルタニアンと前王の王妃との間にできた双子の一人で、鉄仮面はその弟というブルボン王家のゴタゴタ話。
『王子と乞食』のような取替っ子の話でもあり、王家の道徳的堕落(表向きは”姦淫禁止”の十戒が基本戒律の(はずの)カトリック教守護者を任じながら、実は…。)の話でもあり、訓練しだいで王のフリをすることは難しくないという話でもあり、王制の非合理を皮肉っているとも解釈できる映画。

つづいてBSの街歩き番組。
パリの13区、ビュット・オ・カイユla Butte-aux-Cailles、パリ・コミューンの故地の紹介。そこにはパリ・コミューン広場もある。ちらっと見せていた。歩道のカフェで、作詞者によってコミューン当時の同志の女性に捧げられた「さくらんぼの実る頃」を歌う老人男女カップル二組、その一人の男性が「恋と革命はいつも敗れるのさ…」と。彼らはコミューンの記憶を留めている。
壊れた家電製品を再生することを学んで、ドロップ・アウトした高校生を再度軌道に乗せる 都立高校のエンカレッジスクールみたいな 学校が出てきた。この手の問題解決への模索は洋の東西を問わないな。

日本王家の めでたかるべき 代替わり式典当日に、王制への皮肉とパリ・コミューンにかかわる番組を放映する”みなさまの公共放送”NHK。少数派であろう王制を支持しない国民に配慮して、代替わり祝賀一辺倒ではなく、あえてそのような編成にしたのか。まさかね。

NHK受信料が払えない

NHKのホームページで、ブラウザーとしてFirefoxを使い、クレジットカード一時払で受信料を払おうとすると払えないという話。

Firefoxで、NHKのホームページにアクセスし、受信料支払画面で、クレジットカード一時払をクリックすると、下の画面のようなことになって先に進まない。下の画像はWindows10のもの。

NHK受信料のクレジットカード一時払いの画面

NHKふれあいセンターに電話して、クレジットカード一時払にアクセスできないというと、しばし待たされて、男性のオペレーターが自分の手元の端末ではアクセスできるという。

電話を切って、Windows10ノート、Windows10デスクトップ、Ubuntu18.04デスクトップ、MacBookProのEl Capitanで、Firefox、Chrome、Edge、Safariを試す。結果は、Firefoxのみアクセスできず、他は皆アクセスできる。ふれあいセンターに再度電話、女性オペレーターに以上のことを申し述べ、Firefoxでアクセスできるようにするか、Firefoxは使えないと表示してほしいと要望。上に伝えます、ということだったが、さて。

4年目の大震災

4年前の昨日、東北を中心に関東・甲信・北海道の一部にまで被害が及んだ地震が発生したのだった。

そのためか、昨日、自分の住む自治体が、防災無線と称する野外拡声装置で地震が起こったのと同時刻における黙祷を呼びかけていた。これはいったいどういうことか。誰が、なにをどう黙祷するというのか。

地震そのものは自然現象としての海底地震だったが、被害のほとんどは人間によるもの、すなわち人災であった。人の作為によるものか(地震国の日本のしかも津波常襲地帯の東北地方の海岸に原子力発電所を作るという作為など)、あるいは無作為によるものか(地震は起こるものであり津波も襲って来るものであるという事実にも関わらずしかるべき備えを怠った当局者の無作為など)を問わず。

それゆえ、この地震災害(震災)の周年を記念し犠牲者を追悼するのならば、その人災としての災害のよってきたる所以のものを明らかにすることが必須のはずである。人災とは読んで字のごとく、人の行為が原因なのであり、その責任を追及し同様の災害が繰り返し起こらないように関係者を戒めることがなければ、無念の死を死ななければならなかった犠牲者をほんとうに追悼することにはならないからである。

死者を悼むということは、本来、きわめて個人的かつ私的なことであると思う。それを、集団的かつ公的なものにするということは、そこに集団(社会や組織)内部におけるなんらかの上下関係的権力行使を伴う動き、つまり言い換えると政治的な意図(上が下を、上の都合の良いように事実をねじ曲げて従わせること。)などがそこにはあるということだと思う。そこに見えるのは、震災犠牲者追悼を集団的かつ公的なものにした者たちが、追悼の目的を曖昧にしたまま、死者の弔いという情の部分に訴えかけることによって、震災の人災的側面を隠蔽し、自分たちの責任をうやむやにしておこうという魂胆である。この者たちとは、つまりは高級官僚・大多数の政治家・大企業の複合体、いわゆる原発村の住人たちなど、作為か無作為かを問わず、震災災害に対して責任を取ってしかるべき者たちなのである。(江戸の公方様のおわしました頃であれば、関係者全員切腹、家名断絶、係累は江戸十里四方所払い、とでも処断されたことであろうが。)

 自分の住む自治体の当局者がこのような呼びかけを独自に主体的意図を持って確信犯的にしたというのではない。この自治体の当局者にはそこまで用意周到のことができる力量はない。おそらく、上部機関、総務省あたりから都道府県知事宛に「お願い」と称する指示が降りてきて、それを都道府県が傘下の区市町村に伝達し、それを受けて「徘徊老人」の探索依頼までご親切に放送するこの自治体の当局者が「じゃあ、一丁放送して上様からの指示には忠実に従いましたというアリバイ造りだ。」ということになったわけなのだろう。

こんな追悼だの黙祷だのでは、あの数千人の犠牲者は浮かばれまい。なぜって、加害者が被害者に対して何らの反省や謝罪をするでもなく、その当の加害者が被害者を追悼するというのだから。こんなに人をバカにした話はない。

あの4年前の震災の犠牲者を、言葉の本来の意味で正しく追悼するにはなにをすべきなのか。それは、彼らを無念の死に追いやった張本人たちの呼びかけに応じて「追悼」するのではなく、作為であるか無作為であるかを問わず、この災害の原因を作った者たちの責任追及と断罪を徹底し、将来にわたって同様の惨害が起こらないように自他を戒めることに尽きるだろう。

あの4年前の災害から、自分は多くのものを学んだが、その最大のものは、政府やマスコミは頼りにならない、頼りになるのは自分と自分の近くの人々だけということである。普段から一般庶民としてできる範囲の備えをし、イザというとき、政府やマスコミの嘘に惑わされて、イザとならないようにしたいものだというのが今日ただいまの実感である。しかし、イザとなるかならぬか、こればかりは天のみぞ知る…だが、イザとなってしまっても加害者たちから追悼されるような惨めなめに遭うことだけはまっぴらご免である。

NHK朝の連続ドラマの反社会性

今、NHK朝の連続ドラマは、ニッカウィスキー(固有名詞としてはウィスキーのィの字が特有のものであるようだが今は使わない)の創業者夫婦が主人公のようである。この宣伝効果なのか、巷ではウィスキーの売り上げが伸びているとも聞く。

筆者は、アルコール飲料といわゆる違法ドラッグとの間に習慣性・依存性薬物としての本質的な差異はなく、かたやアルコール飲料が合法で課税対象とされ、かたやドラッグの類が違法で当局の取り締まり対象とされるのは両者の発生の歴史的事情(アルコール飲料の発明はおそらく人類開闢とともに古く、その他のドラッグ類は古いが一地方にとどまるか、あるいは最近の発明)によるものでしかないと考えるものである。

アルコール飲料は、すべての習慣性・依存性のある薬物と同様、無害ではない。酩酊運転の危険は言うに及ばず、肝臓障害など各種の内臓疾患、はてはアルコー ル依存症(いわゆるアル中)などその害をあげればきりがない。だから、伝統宗教はキリスト教を例外として、仏教もイスラムも禁酒を戒律とするのだろうし、 キリスト教国としては異例かつ無謀な試みとはいえ、かつて米国で禁酒法が行われたのもそのような理由からであろう。

現在でも、アルコール依存症から抜け出そうと塗炭の苦しみを味わっている人も少なからぬことだろうし、その治療に当たっている精神科医療関係者からすれば、 アルコール飲料の販売と広告・宣伝がほとんど無制限であり、街に氾濫するコンビニエンスストアでそれこそコンビニエントに入手できる現状は噴飯物であろ う。

そのような事情を考慮すれば、現代社会におけるアルコール飲料の製造と販売、及び消費については、それが違法薬物と同じような危険なものであることを認識の前提とした上で、その他のこの種の歴史的背景をもつ事柄(煙草の製造と販売、及び消費)と同様、製造と販売については現在よりもいっそう厳格な規制(販売についてマスメディアを通じての広告・宣伝の規制、それが習慣性・依存性のある薬物であることの周知、販売場所の制限)を実施すべきだと思う。

このように考えると、「皆様のNHK」やら「公共放送」を自称するNHKが、アルコール飲料の危険性について一切触れることなく、ウィスキー製造及び販売会社の創業者夫婦の苦労話を、朝っぱらから、延々、半年にわたって「美談」として垂れ流すことが、いかに反社会的な犯罪行為であるかがわかる。

そもそも、NHKはこのような内容のドラマを制作・放送すべきではなかったが、放送してしまった以上、その後始末を能う限りすべきである。今からでも遅くない、毎回の放送ごとにテロップないしアナウンサーの言葉で、アルコール飲料の危険性を周知するなどし、次回の連続ドラマはアルコール飲料の危険性をテーマとした内容で「解毒剤」として放送すべきである。

もしNHKがこのような反社会的な行為について無自覚なままこのウィスキー連続ドラマを放送し続けるなら、ほとんど野放しに近いアルコール飲料の販売状況を憂慮する一市民として、NHKに対してしかるべき抵抗を為す権利を留保するものである。

いわゆる「大新聞」編集幹部の驚くべき無知蒙昧

11月30日に行われた日本記者クラブ主催の各党党首共同記者会見で、嘉田由紀子・日本未来の党代表に対する質問が、小沢一郎氏への偏見に満ちたひどいものだったことを、政治ブログ『永田町異聞』の12月1日付記事「日本記者クラブの品格とは?」に教えられて、その部分をネット録画で見た。

嘉田代表への質問者は、読売新聞特別編集委員の肩書きを持つ橋本五郎なる人物らしい。この人物が「日本未来の党は小沢依存ではないか」という例によって例のごとくの偏見質問を繰り出したのに対し、嘉田代表は動じることなく「なぜ皆さんは小沢さんを怖がるのか」と切り出した。すると、橋本なる人物が「怖がってない、いやがっている」と茶々を入れた。

「いやがっている」は、漢字で書くと「嫌がっている」ということになる。「嫌」ということは「嫌い」ということだ。ふーむ、「嫌い」ね。

この記者会見は、主催者の「日本記者クラブ」というものの当否はひとまず脇に置くとして、少なくとも公の場であることには違いない。この人物は、この公の場で、岩手の小選挙区の有権者から信任を得た「全国民を代表する」立場の衆議院議員を「嫌い」だと公言したことになる。

人間、好き嫌いは誰にもあることで、この橋本某なる人物が、たとえば自宅の風呂場で「小沢は嫌いだ!」と叫ぼうが喚こうが、当人の勝手だ。だが、記者会見という公の場で、公器を自称する「大新聞」の編集幹部が(彼らは、来る消費税増税に向けて、新聞は「公器」だから存在しなければならない、増税で新聞価格が上昇し読者が減ると存在が危うくなるから、新聞価格には消費税の軽減税率を適用せよ主張している)、特定の政治家を、好きだ嫌いだと言い募っていい訳がない。

そんな、小学生でも知っている道理を、この人物は知らないらしい。そして、まわりの「大新聞」の記者らしき連中が、この橋本なる人物の茶々に同調して笑い声を出しているところ見ると、その連中も同様に道理を知らないらしい。

いわゆる「大新聞」編集幹部の無知蒙昧ぶりを、あらためて確認することになった記者会見ではあった。