ノーベル経済学賞という嘘

ノーベル経済学賞というものは嘘である。

物理や医学の分野のノーベル賞とは似て非なるものである。

少なくとも物理学や医学の分野では、授賞対象となった発見や発明は、検証可能であり、どこにおいても再現可能なものとされているはずだ。

しかし、経済学賞というものはどうか。授賞対象となった学者の仕事が、検証可能であり、どこにおいても再現可能なのか。授賞対象の経済理論が地球上のいかなる場所でもあまねく適用できるものなのか。

そんなことはあり得ないだろう。

そんなものに物理学や医学の分野と同じような名称の賞を与え騒ぎ回る。いったい何のため?

思うに、これは、経済学賞の授賞対象である近代経済学なる虚構に、あたかも物理学上の発見などと同等の普遍性を偽装したいがためのトリック、すなわち詐欺的行為である。

そんな詐欺にまんまと引っかかって、というか、この詐欺的行為のお先棒を担いで、お祭り騒ぎを繰り広げる日本のマスコミのバカさ加減。

ちなみに、ウィキペディアによると、この賞の正式名称は、アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞というらしい。なるほど、銀行が出す賞ということですね、それならよく分かる。まさに名詮自性ですな。

 

 

小沢氏の戦い

今日、例の検察審査会起訴による小沢氏の裁判があった。

その場で、小沢氏が述べたことは、以下のようなことだ。

特捜検察に象徴される高級官僚集団という巨悪の手にこの国を委ねるのか、それとも、国民の手に主権を取り戻すのか。前者の道をたどるのならこの国に未来はない。こんな裁判が、国家権力の名の下に白昼堂々おこなわれるということは、まさにこの国が破滅に向かう兆しだ。この国が未来を持つためには、特捜検察や検察の言うがままにメチャクチャな判決を書く裁判官による裁判とは全力で戦わなければならない。

ブログ主は、小沢氏の主張に100パーセント同意し、巨悪と敢然と戦う小沢氏に敬意を表する。

当ブログも、小沢氏の驥尾に付して、国民の手に主権を取り戻すために、法治国家の名に隠れて権力を濫用する検察官や裁判官とは、言論をもって戦う覚悟だ。