映画「渚にて」再見

5日前に、ネットで注文したDVD「渚にて」が宅配会社のメール便で届いた。発送者の所在地は九州の佐賀。これが届いた当日、別の荷物を配達してくれた宅配会社のドライバーの話では、特に九州から東日本向けの便がペットボトル入りの水の大量の配達で混雑しているとのこと。大震災の影響がこんなところにも。

その「渚にて」。中学生の頃、3番館で見て、ネビル・シュートの原作も翻訳で読んだ。

で、このたびの再見。映画の冒頭、「ワルツィング・マチルダ」を背景音楽に原子力潜水艦が浮上するシーン、寄港したサンフランシスコで、そこが故郷の水兵が脱走するシーン、政府が配給する安楽死のための毒薬を人々が黙々と受け取るシーン、フレッド・アステア扮する自動車レース狂の科学者がガレージで排ガスで自死するシーンなど、かつて見たときの強い印象とほとんど変わらないものを感じた。

映画の細部にわたる技術的な出来不出来はわからない。が、しかし、福島原発の破滅的な事故とそれによる放射能汚染の脅威に直面している今、ブログ主にとってこの映画は絵空事ではない。

宅録事始め

必要に迫られてパソコンで自宅録音、略して宅録に挑戦することになった。

録音するのは、ギター伴奏のボーカル、ギター独奏。

手持ちの道具は、オーストラリア製のコンデンサーマイク1本、ドイツ銘柄で中国製のダイナミックマイク1本。日本の楽器メーカー銘柄でインドネシア製のミキサー(USBオーディオインターフェース一体型)。パソコンはMacBook。パソコンの録音ソフトは、ミキサーに付属していたドイツの会社のもの(この会社は、上記の日本の楽器メーカーの子会社)。

時代は変わった。

その昔、自宅で録音といえば、オープンリールのテープレコーダー、それがカセットテープになり、次にMDということになった。(ブログ主はDATは触ったことがない。)

しかし、現在の録音は、録音したものが、デジタルファイルとして記録され、パソコン上で不要な部分をカットしたりなどの編集が可能であり、しかも、それを音楽CDにすることもできる。

ブログが、個人による情報発信の道具であるのと同様、宅録は、個人による音楽創造の道具だ。しかも、熱意と努力があれば、演奏内容の出来はさておき、外形的には、かなりの水準のものができてしまう。

よい時代になったものだ。

東日本中部日本北海道大震災その18

28日月曜日、大震災18日目。

今朝、日本テレビで、新聞の解説のようなことをしている番組を見ていると、初老の男性解説者が、アメリカ軍がかくかくしかじかの支援をしてくれている、だから日米同盟が深化しました、と、嬉しそうにしゃべっていた。

奴隷根性きわまれり。

人が、地震風水害放射能で並々ならぬ苦労をしている。そうであれば、親しかろうが親しくなかろうが、相応の支援をするのは、人間社会の道理だ。だから、どこの国も、ありがたいことに、何くれとなく支援をしてくれている。

それを、アメリカだけをとくに取り上げて、これで、日本との中が深まったから良かった良かったとはしゃぐ。これは、ほとんど、奴隷が、その主人からの恩恵をありがたがるのと同じだ。

第二次世界大戦の敗戦からこの方、わが国人は、独立国の国民としての誇りを失ったかに見えるが、この日本テレビの初老男性解説員は、誇りを失うどころか、一人前の人間であることをやめて、自ら奴隷の身分を嬉々として受け入れたようだ。

東日本中部日本北海道大震災その17

27日日曜日、大震災17日目。

家人の見ているテレビを、横目で見ていると、公共広告機構なる組織の広告がこれでもかと流されている。

いわく「買い占めはしないように」「節電しなさい」「必要のない電話・メールはするな」等々。

「善意の押し売り」、「全体主義への道」などの言葉が浮かんでくる。節電を呼びかけるなら、率先垂範、TV局が廃業して、電波を止めるのが一番ではないか。あ、それに、新聞も紙の無駄だから、廃業されるがよかろう。「必要がない」とは誰が決めるのか、「買い占め」に走る不安を煽っているのは誰か、など疑問は尽きない。

こういう非論理的な気分をあおり立てる広告をさんざん見せられ、それを不思議と思わなくなると、そのうち、この社会はとんでもないことになる。

東日本中部日本北海道大震災・番外 「出エジプト記」

旧約聖書「出エジプト記」は、人間ドラマに満ちている。これを読んでいると、有史以来、数千年にわたって、人間は変わっていないということが分かる。

「出エジプト記」は、モーゼが、エホバの召命を受けて、エジプトに捕らわれていたユダヤ人をパレスチナに連れ戻す話だ。

というと、話は簡単だが、読んでいくと一筋縄ではいかないややこしい話に満ちている。例えば、「モーゼがエホバの召命を受けて」と書いたが、召命を受けてモーゼが実際に動き出すまでがさあ大変だ。モーゼは、最初は騙されているのではないかと疑い、騙されているのではないと分かってからも、困難な役割に尻込みし、ためらう。

やっと重い尻を上げて動き出し、エジプトに着いたものの、肝心のユダヤ人はモーゼのいうことを信用しない、やっとのことで説得し、連れ出すことに成功したはいいが。こんどは脱出行の途中で、まあ、平たく言えば、やれお腹がすいただの、喉が渇いたからジュースをよこせだの、文句たらたら、挙げ句の果てに、モーゼがちょっと目を離した隙に、エホバならぬ金でできた羊(だったと思いますが、間違っていたらご免)を拝み始める始末。

つまり、旧約聖書では、モーゼにしても、いわゆる毅然として揺らぐことのないリーダー像とはほど遠い、悩み多き迷える人物だし、一般民衆も、目先のことしか考えず、得になることには真っ先に飛びつくが、得にならないことには目もくれない、エゴイズムむき出しの浅薄な存在として描かれている。

昨今の日本の社会と国家の有様を見ていると、いろいろなことが「出エジプト記」の各場面とダブってくるのだが、日本版「出エジプト記」は、はたしてどんな内容になるのだろうか。

東日本中部日本北海道大震災その16

26日土曜日、大震災16日目。

大震災をめぐる偏見と差別について。

東京都知事候補の石原慎太郎が、自身の震災「天罰」発言について、発言全体の文脈を考えず、片言隻句をとらえて騒ぐ悪い癖とマスコミ批判。同じマスコミ批判でも、小沢氏がすると、新聞・TVは束になって攻撃するが、石原の場合はそうではない。両者の人徳の違い? いやあー、まさかまさか、新聞・TVの偏見の違いだな。新聞・TVは、小沢氏に厳しく、石原一族に甘い。偏見です。

計画停電が、23区の大部分を対象外とし、それ以外を停電対象するのは差別だ。比較的に人口が少な目なところには、嫌なことを押し付けてもかまわないという差別。厄介な原子力発電所を人口の比較的少ないところに立地するのと発想は同じだ。

「陽の下に新しきことなし。」 偏見と差別もしかり、これは、人類発祥とともに古く、今も変わりなく存在し、これからも変わりなく有り続けるのか?

東日本中部日本北海道大震災その15

25日金曜日、大震災15日目。

今日、死者が1万人を超えたと警察庁発表。届け出のあった行方不明者は1万7千余人。粛然として合掌。

川崎市選管が統一地方選について、計画停電時間中の期日前投票を避けるよう呼びかけ。会場になる各区役所では、4階以上(区によって7階も)の会議室を使うのでエレベーターが使えなくなるのを心配してという。工夫が足りないなあ、公民権の行使にかかわることなのだよ。主権者の権利行使の妨げになるようなことは、全力を尽くして排除するのが選管の務めだろう。それを、停電でエレベーターが止まるから避けてくださいという安易な姿勢では、選管なんて要らないということではないか。

千葉県浦安市長が、総務省の統一地方選の日程決定に対し、液状化の被害などで、選挙運動は難しいは、投票会場の確保は難しいはで、選挙どころではないからと延期を申し出。至極当然の主張。これを認めない総務省なんぞという中央官庁は有害無益の存在。「カエサルのものはカエサルに、地方のことは地方に。」

ところで、ネットを見ていると、官房長官のことをよくやっていると評価する人がいるのだが、驚きである。評価点は、「不眠不休でがんばっているから」なのだそうだ。いや、待ってください。「不眠不休」なんてあり得ないから。ネットの情報では、至急に官房長官と連絡しようとした人が、秘書官から「今寝ているから」と断られたとか。地震発生以来「不眠不休」だったら、今頃命はない。

それに、自ら手を挙げて議員に選ばれ、自ら望んで民主党・仙谷一派に所属し、自らが属する派閥のために動いてきた結果、現在の地位にあるこのような人物と、自ら望んだのではなく、やむを得ず大震災に巻き込まれ、それこそ寝食もままならぬ状態で、救援と復興に取り組んでいる人々とを、ともに「がんばっている」と一括りにして、賞賛することは月とスッポンとを混同するも同じことだ。

官房長官を「がんばっている、よくやっている」と評価する人は、自分の目を疑った方がよい。

東日本中部日本北海道大震災その14

24日木曜日、大震災14日目。

東京23区を中心とした水道水の放射能汚染も、今日になって汚染濃度が下がり、幼児の飲用も問題なしとの発表。

ほっと一息。乳幼児は弱者中の弱者、長引かなくてよかった。それにしても、政府と東電は、何を考えているのだろうか。まさか、福島原発を再建するつもりなのではないだろうな。政府・東電が、廃炉にして放射性物質が漏れ出さないようにコンクリートで固めるなどの方針を打ち出せば、現在の放射能汚染状況を堪える気持ちも少しは出てこようというものなのに。現状の綱渡りのような現場対応では、これからどうなるのか、不安が増すばかりだ。

厚労省が、計画停電で自宅待機などになり就業できなかった労働者の賃金を、雇用主は支払う必要がないという判断を示したという。計画停電は、雇用主の責任ではない天災だからなのだそうだ。

それは、違うだろう。地震と津波は天災だが、計画停電は人災だ。たとえ電力不足が見込まれたとしても、危機を回避する手段は徹底的な節電や大口需要家への供給制限など停電以外にもありうるわけで、計画停電という手段を選択した政府と東電の結果責任は厳然としてある。この責任を不問にして、就業できなかった分の賃金を支払わなくともよいとするのは、本来、政府・東電が負うべきつけを労働者に回すに等しい。どさくさに紛れてこんなあこぎなことを平然とやらかす官僚とそれを是認する菅直人政権。

東日本中部日本北海道大震災その13

23日水曜日、大震災13日目。

東京・葛飾にある金町浄水場の水から1リットル当たり210ベクレルの放射性ヨウ素131が検出されたため、東京都が、23区と多摩地区の5市で、乳児の水道水摂取制限を呼びかけ。摂取制限といわれても、子どものいる家庭はどうすればいいのだ。呼びかける方はそれで事たれりだろうが…。こんなことだから、人々が政府を信用しなくなり、買いだめという名の自己防衛に走る。キツネ顔の女の大臣がいくら何を言おうと誰も信用しない。

東京電力が、国内のメガバンク3行などに総額2兆円の融資を要請。いいよな、大きいところは、頼めばすぐ貸してくれるのだから。庶民はこういう訳にはいかない。津波で家を流された人は、再建のために銀行に請求すればすぐにでも貸してくれるのかね。返済能力がどうのこうなんぞと四の五の言って貸し渋るのだろう。

厚生労働省が、福島県内でとれた野菜から暫定規制値の164倍の放射能が検出されたと発表、菅直人の政府は「食用に供されたとしても直ちに健康に害を与えるものではない」が「念のため」出荷停止だけでなく、摂取制限も指示したとのこと。「念のため」というのは自分たちの責任を追求されないための「念のため」なのだろう。

今日、最高裁が、2009年総選挙の「一票の格差」について、「1人別枠方式」が投票価値の平等に反するとして違憲判断、ただし結果は合憲という、あの有名な「違憲合憲」判決。訳の分からん連中だ。最高裁の裁判官といえば、たいそうな学歴やら経歴やらを持った御仁が雁首を並べているのだろうが、彼らにとって、国民と正義が大切なのか、自分の保身が大切なのか。

一票の格差が違憲なら、電気供給の格差はどうなる。憲法25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」はどうなる?

東証の日経平均が前日比158円安の9500円割れ。放射性物質の汚染拡大を嫌気。証券市場は事態の推移に敏感だが、敏感だからなんなのだ。放射能の毒消しにでもなるのか。

東日本中部日本北海道大震災その12

22日火曜日、大震災12日目。

停電で、ふだん利用する私鉄が、本数を減らし、異なる路線の乗り入れをやめて終日運転。停電慣れしてきたか。JRのふだん利用する路線は、停電時間帯に大幅本数減や運行見合わせ。

荒川区と足立区の区長が、区部で23日から停電になるのは両区だけなのは納得できない、負担は公平であるべきだと東電に抗議。当然のことだ。東電の供給エリアでも、都心近くの区部は全く停電していない。「計画停電」なるものが、いかにいかがわしいやり方であるかがよく分かる。これは住んでいる地域による差別だ。停電地域の首長はこぞって抗議せよ。

参議院予算委員会で、原子力安全委員会の斑目という委員長が、社民党の福島党首の質問に答えた内容はひどい。この人物は、原子力発電は安全だといって反対派の主張を一蹴してきた原発推進の代表格なのだろうが、結局、これまでの推進派の、原発は安全という主張は根拠のないものだったことがよくわかる。質問に対する実際の答弁の様子は、参議院のホームページで見ることができるが、時事通信配信記事でその一端を。

 原子力安全委員会の班目春樹委員長は22日午後の参院予算委員会で、福島第1原発の事故について「決して言ってはいけないことだが、想定を超えた。想定が悪かった。」と述べ、地震や津波の事前の想定が甘かったことを認めた。班目委員長は自らの責任について「原子力を推進してきた者の一人として、個人的には謝罪するつもりはある」と答えた。(22日 時事通信)

今さら、何をどう謝罪するのだろうか、この人は。