コロナ・ワクチン予約―焦らせておいて「焦るな」という身勝手の極意

居住自治体のコロナ・ワクチン接種予約インターネット窓口、今朝5月24日午前9時25分にアクセス時の文句。「重要なお知らせ 5月24日(月)受付開始分のインターネット予約は予定数に達しました。コールセンター予約(0120-XXX-XXX(通話料無料))は継続中です。コールセンターには多数の入電があり大変繋がりにくい状況となっております。ワクチンは皆さまへの接種に必要な数量が確保されていますので、どうか焦らずにお待ちください。」

お金持ちや権力者は裏口からこっそりと優先接種、名もなき庶民には、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』じゃないが、ほんの一筋、いや一滴かな、のワクチンしか用意できないくせに、「焦るな」もなにもないもんだよ。よくもそんな口がきけるな。最低でも「ご心配をおかけしており、まことに申し訳ありません。順次、皆さまへの接種に必要な数量が確保される見通しですので、今しばらくお待ちいただきますようお願い申し上げます。」くらいのことは言いなさいよ。たいした手間じゃあるまいに。もちろん、「今しばらく」の部分は、「何月何日までには」と時期を明示しなくっちゃ政府の「お言葉」としては失格だけどね。

ちまちまといじましい相互監視社会

ちかごろ、ほとんどの少額買い物はSuicaカードで済ましている。そのSuicaカードへのチャージは駅の多機能券売機とJR東日本が”胴元”のビューカードで。1.5%還元のポイントがつく。1000円チャージだと15円分。これが、7月から還元率が変更されて0.5%に。1000円で15円から5円にダウン。

某価格比較サイトで、これを改悪として話題にした人がいる。そうしたら、スマホに内蔵のICチップSuicaすなわちモバイルSuicaでは改悪になっていないという反論が。この反論に対して、はじめの話題提供者がコロナ禍で在宅勤務になったご自分の事情を説明。

これに、くだんの反論者が、在宅勤務なのにこういう話題提供をするのは勤務時間中の職務専念義務違反なのではないかとツッコミを…

まあ、なんというか、経営者でもないのに(おそらく)、経営者にでもなったかのように目くじらを立てて他人の揚げ足を取る。”正義”を振りかざして人の振る舞いのアラ探しをする。”自粛”が十分じゃないと人を批判する。権力者でもなんでもない普通の人が、お互いに監視しあってお互いに首を絞めあう。こういう社会のほんとうの権力者は、ずいぶんラクでしょうね。

環境省の花粉情報提示インターネットページ”はなこさん”の模様替えとお役人の発想

このページ、数十年来の花粉症持ちの自分にとって、その日の行動を決める大事な情報源。これが先月(3月)29日に模様替えした。

当日午前9時以降、情報が更新されないので、障害でもあったのかと、今日になってトップページを見たら29日に模様替えしたから別のURLを見ろという告知が。自分の場合、必要なページにブックマークしてあるので、トップページを見ることはない。だから気づくのが今日になったというわけ。

ま、模様替えした新しいページの使い勝手(使いにくさ)についても言いたいことはある。がこれは人によって感想はいろいろだろうからひとまず置いておいて、言いたいのは、何で、スギ花粉シーズンの真っ只中にこういうことをするのかということ。何でシーズンの始まる前か終わったあとにしないのか。一昨年だったかにも、シーズン中の2月にメンテナンスと称して情報提供を中断したことがあった。なんという無神経。

利用者のことを考えないこういう振る舞いは、やはり、お役人様なんでしょうね。お前ら下々のために恩恵的にやってやってるんだから、いちいち細かいことにガタガタ言うんじゃねえよ、とまあこんな具合。これ、2月末のみずほ銀行のあのATMトラブルと共通する話。みずほ銀行は私企業だがこの手のメガバンクはお役所のようなもの。両者ともに組織の外の環境(花粉情報ページ利用者・ATM利用者の都合)に対応できないあるいはしようとしない。官僚主義的硬直現象。

東京大空襲と東日本大震災

昨日3月10日は東京大空襲から76年目、で、今日は東日本大震災から10年目。

東日本大震災については、あれこれの報道が。だが、昨日の東京大空襲はさっぱり。東京都民の一人として、一晩で10万人の方が亡くなった空襲については、その責任の所在を含めてけっして忘れることはできない。

しかし、報道ぶりに見られるように、世間ではほとんど忘れられているようだ。こうして、戦争の記憶が風化して、次の戦争へと世間はなびいていくのだろうか。災害は忘れた頃にやってくるが、戦争も忘れた頃にやってくる。

わが国の保守エスタブリッシュメントは国益を破壊している

このたびのオリンピック組織委員会会長の”失言”が明らかにしたのは、二たこと目には「国益」を叫ぶ彼ら保守支配層が、じつは最大の国益破壊者なのだということだ。

眼の前で起こっていてちゃんと見れば誰にだって分かる両性平等の滔々たる流れに、ほんの1ミリも気づいていない無能無感覚。そこから発する時代錯誤の発言の数々。まるで日本が、女性差別あるいは人権無視がまかり通る野蛮国だと自ら宣伝しているようではないか。

こういう野蛮国宣伝が、どれだけ日本国民の評価すなわち国益を貶めているか。少しでも考えたことがあるのか、この連中は。また、こういう連中をいつまでものさばらせている面々。その中には、オリンピック協賛企業に名を連ねることでこの連中の企みに手を貸す大手メディアも含まれている。

老害オリンピック

第2次東京オリンピック主催者の組織委員会会長が辞める。遅すぎだよ。あの発言後、24時間以内に辞めさせなくちゃいけなかった。それができない今の日本政府。

いつまでも地位にしがみつく人間の言い草は決まっている。代わりがいないというもの。そんなこたあない。いくらでも代わりはいる。いないと思っているのは本人だけだ。本人が気が付かないのなら、猫の首に鈴を着ける役を誰かがやらなくちゃいけないんだが、今回その役は首相が務めるべきだった。それができない。いや、そんなこともできない。今の首相の判断力のなさ。暗澹たるものあり。

しかし老害だな。やめた人間も80歳超、代わりの人間も80歳超。組織の責任者としてまっとうな判断ができるのは、まあ、65歳、延ばして70歳まででしょう。それを80歳超!

「神の国」失言の元首相がうっかり本音を漏らす

女性蔑視の発言を失言と大手メディアは伝えるが、失言ではなく本音でしょう。

この人、北陸の造り酒屋の出身だっと思うが、できることは一地方の旧態依然としたムラ政治を動かすことくらいだろう。人口一億人を超える国の総責任者などは土台無理な話だったんだな。

ところで、こんな人物を会長に担いでやるオリンピックって、いったい何なのよ。ゼネコン・広告産業・大手メディア複合体の、による、のための仕事づくり。アスリートのためのとかなんとか、美辞麗句でごまかしてはいけない。

オリンピックというものは選手の夢を叶えるためにやるものなのですか

IOCの会長だか誰だかが、コロナで開催が危ぶまれているオリンピック東京大会について、選手の夢を叶えるためにも断固開催するという趣旨の発言をした。

だとしたら、選手たちとその関係者がお金を払って自腹で競技会をやってください。1兆6440億円もの大金(2020年12月大会組織委員会発表、その多くは税金)を使ってやるのはやめてください。人のふんどしで相撲を取るなよ。

『資本論』と100円均一ショップ

マルクスの『資本論』を(版元によれば)「精確にかつ批判的に読むことで,社会科学としてのマルクス経済学を構築した」宇野弘蔵『経済原論』(岩波文庫 2016年)を読んでいたら、おもしろい箇所に出会った。

モノの交換が商品を生み出し、商品交換が貨幣を生み出すというスリリングな場面。「金あるいは銀が貨幣となると共に、一般に商品所有者は…それぞれの商品の使用価値の単位量によってその価値を表示する。リンネル一ヤールは金幾何とか、茶一ポンドは金いくらとかというように」する。が、マルクスは「20エレのリンネル=1着の上着=10ポンドの茶=…1/2トンの鉄=x量の商品A=2オンスの金」のように一般的なものとは異なる、いわば逆さまな表現をしている。こういう「貨幣による価値表現は実際は、いわゆる均一価格店のような特殊な場合にしか見られないことであ」り、これでは一般的な「価値形態とその発展した形態としての貨幣形態との相違を無視することになる」と著者は苦言を呈する。(36-37頁 一部レイアウトを変更)

モノの1単位が金いくらかではなく、一定量の金でモノがいくら買えるかというマルクスの表現は、特殊な場合の例示であって貨幣出現の実際を見誤らせるかもしれないという批判の当否はさておき、興味深いのはマルクスの例示を著者が「均一価格店のような特殊な場合」としていること。均一価格店って、現代日本では100円均一ショップすなわち100均、つまりダイソー、セリア、キャンドゥ、ワッツなどでおなじみのありふれた販売形態ですね。100円という貨幣単位で、すべてのモノ=商品を表示する。価格ではなく商品のほうの量または質を増減する。店に並んでいるのはどれも100円だから、迷いがない。というところがお客さんに支持されている理由なんでしょう、たぶん。ひょっとして、こういうアイデアを考えついた人は『資本論』を読んでヒントにした? まさかね。

ところで、著者・宇野弘蔵(1897-1977)が生きて現代の100円均一ショップの隆盛を見たなら、著書のこの表現を修正したかも。あるいは、マルクスが生きてこの様子を見たら、自著の表現の普遍妥当性を誇ったかも。というのは単なるSF的妄想です。

晩秋のラジオ

今日、ラジオを聴いていて耳に残ったこと二つ。1134kHz文化放送。

一つ、学術会議議員任命問題。警備・公安畑の警察官僚出身官房副長官・杉田某が、件の候補者は反体制思想の持ち主だから認めるなという助言をし、それを現首相がなにも考えずに受け入れて拒否したのが真相だという話をゲストの誰だか知らない男性がしていた。ふーむ。権力小児病

二つ、天気情報を伝える女性アナウンサーが、きょうの様子を「晩秋の…」と形容していた。はてな、いつから、立冬過ぎても晩秋というようになったの。この人、この分だと小春日和もわからないな、きっと。でも、こういうのは他愛ないから目くじら立てる気にはならない。このあいだ、首相が辞めた時の会見を聞くか見るかして涙が出たなんていう勘違い歌手とちがってね。