真夏の夜の悪夢

今夜、何気なく衛星放送のチャンネル漁りをしていたら、衛星12チャンネル(BS12)でトーク・ロックというのをやっており、あの菅伸子と辻元清美が、料亭らしき座敷で対談をしていた。見たのは5分ほど。音を消していたので、対話の詳細は分からないが、テロップや写し出される写真などから、その5分ほどは、辻元が歴史的政権交代直後の鳩山内閣で、国土交通副大臣になり、首相官邸での記念撮影で着た衣装のことが話題になっていたようだ。

次の総選挙では、大惨敗必死の民主党の、その前代表のバカ女房と、元社民党で現民主党の、消費税増税法案に賛成した理由が政権を担当したらやっぱり増税しないとやっていけないことが分かりましたという箸にも棒にもかからない言い訳しかひねりだせない、これまたバカ代議士のバカ二人のそろい踏み。

しかも、民主党崩壊前夜の、いわばタイタニック沈没直前の民主党にとっては危機というも愚かな超危機的的状況だというのに、この御両所は、のこのこTVに出てきて、記念撮影のときの衣装がどうのこうのという、まあ、なんというか緊張感がまるでない間抜けた対話。

呆れて別のチャンネルに切り替えたら、ニュースと称する番組。そこで扱われていたのは、例の竹島問題で、韓国の外交通商省が日本の総理大臣の韓国大統領宛親書を受け取らずに返送してきたという話題。

一国の代表である総理大臣の親書を受け取らずに突き返すという行為は、外交常識としては、次の段階として宣戦布告も辞せずということではないのか。

まあ、韓国としては、そこまで強硬な行為に及んでも、どうせ日本側は腰砕けのうやむやに終わらせるに違いないとの読みがあってのことなのだろう。つまり、舐められているということですな。

でも、冷静に考えると、舐められてもしょうがない。だって、政権を担っている民主党というものが、上のバカご両人の能天気ぶりに象徴されるごとく、どうにもこうにもしようがないのだから。

67回目の敗戦記念日

きょう、わが国では67回目の敗戦記念日。

この戦争で命を落とした幾千万の人を思い、戦場に赴くこともなく、空襲の中を逃げまどうこともなく生きてこられた自分のありがたさをかみしめるとともに、世界中で今もなお、戦火に倒れる人が絶えないことを悲しむ。

戦争はなぜ起こるのか。その原因は、煎じ詰めれば、戦争によってどんな悲惨なことが起こるのか、自分及び自分の周囲の人々がどれほど不幸な状況に陥るのかについての想像力の欠如に帰する。もしも、自分や自分の大切な人の頭の上に爆弾が雨あられのごとく落ちてくることを想像できるなら誰も戦争などを始めないだろう。

爆弾を落とす人も、その爆弾が破裂した先でなにが起こるかを精細に想像できるなら落とすことを躊躇するだろう。多くの人がそういうことを想像する力を持たなくなると、戦争は近い。

「汝の欲せざるところを人に施すなかれ」とは至言であるし、人々がこのことを不断に意識し続けるなら、「絶えてこの世に争いのおこるまじきものを」なのであるが、しかし……