アヌス・ホリビリス [災厄の年]

アヌス・ホリビリス annus horribilis [災厄の年]であった今年もあと数時間。

心静かにゆく年を送ることができるのかと思いきや、民主党内閣による消費税増税強行の動き。

とくに野田某なる総理大臣が増税に執心な様子だ。

バカじゃないか。

1930年代の大恐慌再来の心配さえある世界的な資本主義経済の危機のさなか、逆進性の高い大衆課税の消費税を増税したらどうなるか。不景気に輪をかけることは目に見えているではないか。

この増税で利益を得るのは、税金という名の「打ち出の小槌」を手にする財務官僚だけだろう。

こんなバカなことを強行しようとする野田某なる人物、財務官僚の意のままに操られている傀儡にしか見えない。

「操り人形」によって、さらなる危機の淵へ連れ込まれようとしているこの国の行く末を案じる年の暮れ。寒さが身にしみる。

 

 

小宮山厚生労働大臣の無知と不作法

小宮山厚生労働大臣が、大臣就任記者会見の席で、目の前のテーブルにマイクやICレコーダーがところ狭しと並んでいたため、テーブルに自分のバッグが置けないと文句を言ってキレたということを、最近になって知った。

無知と不作法。

ハンドバッグという物は、テーブルの上に置くものではありません。椅子に腰掛けたら、足下の床に置くものです。少なくとも、それなりの地位にある女性なら。嘘だとお思いなら、英国のエリザベスⅡ世女王の振る舞いを見てみられよ。一目瞭然、多言を要しない。

さてさて、かくのごとく初歩の初歩の作法も知らない人物が、国民の健康と生活、労働を守る行政の最高責任者であるとは因果なことである。

こんなお粗末な人物をその重要な地位につけたということは、政府は責任を取るつもりはないから自分の命は自分で守れという民主党お子さま内閣の国民に対するメッセージなのか。いやはや。

ところで、この御仁、たしか父親がかつて東京大学総長を勤めた人だったと思うが、まあ、なんですな、このお父さん、外ではどんなに立派な教育者だったのかは存じませんが、どうやら娘の教育には失敗したようですな。

「桜田門外の変」異聞

ご存じ「桜田門外の変」とは、西暦1860年3月24日、日米修好通商条約調印の日本側責任者、井伊大老が水戸藩の脱藩者たちに暗殺された事件。

最近知ったのだが、水戸の脱藩者たちは暗殺にピストルを使ったのだそうだ。

しかも、そのピストルはといえば、かの黒船のペリーが幕府に贈った米国コルト社製の回転式のものを、水戸藩がそっくりコピーして作ったものだという。

攘夷の急先鋒、「皇国の神州たる所以」明らかにすると称する水戸学の信奉者、すなわち水戸の脱藩者たちが、「飛び道具」であるピストルを暗殺の道具にし、しかも、それが「夷狄」と軽侮する当のアメリカ人からの貰いものをそっくり真似したものだったとは!

彼らには、「夷狄」の真似をすることや、ピストルという「飛び道具」使う、「神州の武士」としては誉められたことではない、いや、はっきり言えば「汚い」手段を使うことに葛藤はなかったのか。

時代は遙かに下った昭和の子どものチャンバラごっこでさえ、飛び道具を使うことは卑怯なことであり、御法度の禁じ手とされたものだが…。

彼ら水戸の脱藩者たちは、「夷狄」に譲歩した井伊大老を暗殺するという目的が正しいので、手段として何を使っても許されるとでも考えたのだろうか。「目的は手段を正当化する」というわけか。

しかし、それは嘘である。なんとなれば、いかなる場合であっても目的は目的、手段は手段であって、目的と手段は別のものだ。「目的は手段を正当化する」なんてことになったら、歴史上のすべての戦争は正しいことになってしまう。なぜなら、歴史上のすべての戦争は目的をもっているから。

ところで、明治維新の政治過程には、水戸の脱藩者の振る舞いに範をとったのか、「目的は手段を正当化する」の類の暗殺やら陰謀やらがゴマンと出てくる。その最たるものは、西暦1868年1月3日、「王政復古の大号令」とやらが出てくる直前の薩長の連中の動きだろう。詳しくは歴史書にゆずるとして、これなどまさに陰謀中の陰謀、陰謀の典型だ。

こう見てくると、「目的は手段を正当化する」の勢いで作り出された明治国家とは一体何者なのか、その正統性の根拠は何かということになってくる。少なくとも、純粋な志をもった志士たちが、日本の将来を憂えて縦横に活躍した結果、成ったのが明治維新だなどという広く流布しているストーリーについては眉に唾をつけなければならないと思う。

たかがピストルされどピストル、ことは井伊大老暗殺の一件にまつわる些事だが、ただの些事ではない。

 

対米英宣戦布告の日

70年前の今日12月8日、わが国はアメリカとイギリスに宣戦布告したのだった。すでに中国大陸では長きにわたって事実上の戦争状態が続いていた。加えて、米英を敵としての全面戦争の開始。極東の小さな島国が、中国、アメリカ、イギリスを相手の全面戦争。

1945年、わが国の敗北で戦争は終わった。

以来60年あまり、わが国は戦争をすることなく過ごしてきた。戦争放棄を国是として。平和である。ブログ主も戦場に赴くことなくこれまでの人生を送ってきた。人を殺すこともなく、殺されることもなく。自己一身にかんしてはこのことをありがたいことだと思う。

しかし、自己一身のことを離れて、アメリカの従属国であるかのようなわが国の現在のありようを思うとき、あれだけの戦争をして、あれだけの負け方をし、自他におびただしい死者を出したことの意味はいったい何だったのか。考え込まざるを得ない。

解答はそう簡単には見つかりそうもない。

12月8日の宿題。