さいきん読んだ内藤正典『イスラームからヨーロッパをみる―社会の深層で何が起きているのか』(岩波新書 2020年)の読後感。著者は、1956年生の現代イスラーム地域研究者。
この本、シリアの内戦による難民の大波が押し寄せたヨーロッパ社会の反応をまとめた好著で、教えられるところ多々あり。
たとえば、ドイツで、ムスリム女性の被り物について、「学校の現場で教員が着用することについては禁じる州(ラント)もあるし、その議論では、あらゆる批判が可能である。では、同じことをユダヤ教徒に対してもできるか、というなら、現実的にはそれは不可能である。カトリックの修道女に対して、ヒジャーブと同じように非難することが可能か、というならそれもできない。」(40頁)
そうか、カトリックの修道女も、被り物だったよな。で、カトリックの修道女は天下御免で、ムスリム女性は非難される。そういうダブル・スタンダードがヨーロッパにはあるという指摘。なるほど。
著者が、イスラーム世界に共感をもって接していることは、行論の端々からうかがわれる。とくにトルコについてその感が強い。トルコとECとの加盟交渉の途絶を、EC側の不誠実(とくにフランスがトルコのキプロス共和国未承認問題を持ち出したこと)を原因として説明し、もしトルコがECの一員であったなら難民問題も現状とは異なる展開となっていただろうとするところなどはその典型か。
この本には、著者のヨーロッパ社会への批判的まなざし(とともにイスラームとの共生に失敗しつつあるヨーロッパへの悲観的まなざし)がほうぼうに見えていて、そのまなざしは、ヨーロッパ(の報道機関)を経由して、ということはヨーロッパ的価値観に即してこれらの事象を受け取る日本社会にも向けられているかのようだ。
大川周明以来(もっとさかのぼる?)、日本にはイスラーム研究の長い伝統があるのだろうが、イスラームの実像が正しく認識されていないという焦燥感、あるいは反イスラーム的な世論が多数を占めるなかでのアウトサイダー的感覚を、この本の著者は持っているようだ。さて、この感覚は、日本のイスラーム研究者には共通することなのだろうか。