真夏の夜の悪夢

今夜、何気なく衛星放送のチャンネル漁りをしていたら、衛星12チャンネル(BS12)でトーク・ロックというのをやっており、あの菅伸子と辻元清美が、料亭らしき座敷で対談をしていた。見たのは5分ほど。音を消していたので、対話の詳細は分からないが、テロップや写し出される写真などから、その5分ほどは、辻元が歴史的政権交代直後の鳩山内閣で、国土交通副大臣になり、首相官邸での記念撮影で着た衣装のことが話題になっていたようだ。

次の総選挙では、大惨敗必死の民主党の、その前代表のバカ女房と、元社民党で現民主党の、消費税増税法案に賛成した理由が政権を担当したらやっぱり増税しないとやっていけないことが分かりましたという箸にも棒にもかからない言い訳しかひねりだせない、これまたバカ代議士のバカ二人のそろい踏み。

しかも、民主党崩壊前夜の、いわばタイタニック沈没直前の民主党にとっては危機というも愚かな超危機的的状況だというのに、この御両所は、のこのこTVに出てきて、記念撮影のときの衣装がどうのこうのという、まあ、なんというか緊張感がまるでない間抜けた対話。

呆れて別のチャンネルに切り替えたら、ニュースと称する番組。そこで扱われていたのは、例の竹島問題で、韓国の外交通商省が日本の総理大臣の韓国大統領宛親書を受け取らずに返送してきたという話題。

一国の代表である総理大臣の親書を受け取らずに突き返すという行為は、外交常識としては、次の段階として宣戦布告も辞せずということではないのか。

まあ、韓国としては、そこまで強硬な行為に及んでも、どうせ日本側は腰砕けのうやむやに終わらせるに違いないとの読みがあってのことなのだろう。つまり、舐められているということですな。

でも、冷静に考えると、舐められてもしょうがない。だって、政権を担っている民主党というものが、上のバカご両人の能天気ぶりに象徴されるごとく、どうにもこうにもしようがないのだから。

アメリカの属国・日本の悲哀

あの菅直人の女房が、また、下品な顔をメディアにさらした。毎日新聞が、この女のインタビュー記事を、一面に載せたのだそうだ。

この夫婦は、亭主も亭主なら、女房も女房だね。稀に見る、品性劣悪、救い様がない連中だ。まあ、こんなのが、この難局に総理大臣をやっていられるのも、日本が一人前の独立国ではなく、かのアメリカの属国のようなものだからなのだろう。

つまり、国の最高責任者が、こんな救い様のないバカを女房にしており、それが出しゃばるのを止めようともしない無能かつ無責任であるにもかかわらず、国が滅びないということは、すでに国が滅びている、すなわちアメリカの属国状態になっているということにほかならないわけだ。

それと、毎日新聞というのも面白い新聞だな。ほんとうは朝日新聞のようになりたくてしょうがないコンプレックスがあるが、それをあからさまに出すのは悔しいから、論調の立ち居位置が定まらない。だから、時々、こんなグロテスクなインタビュー記事を一面に載せたりする。

ところで、仙谷某が、キングメーカー気取りでちょろちょろしているようだが、これも属国の悲哀を感じさせるな。こんなイカものが次の総理大臣選びを主導する?

こりゃあ、なんですな、「面白うてやがて悲しき鵜舟かな」の世界ですな。

 

茶道なるもので何を学んだのか菅伸子

また、あの希代のバカ女、菅伸子が話題を提供してくれました。ありがとう。

先日、このバカ女のアホ亭主である日本国総理大臣菅直人閣下が、格付け機関のプアーズだかなんだかが、わが日本国政府発行の国債の格付けを下げたことについてコメントを求められ、「そういうことには疎いので」とのたもうたことはみなさまご存じの通り。

今は、格付け機関なるヌエのような民間会社の問題性や、日本国政府発行の借金証書である日本国債の評価については立ち入らない。これらについては、後日あらためて話題にしたい。

29日、京都外国語大学で、「茶の湯と私」と題して講演した際、このバカ女、アホ亭主に、「疎いなんて言うんじゃない、知らなかった、というんですよと言いました」としゃべったんだそうだ。

「疎い」というのと「知らない」というのと、どこがどう違うのかね。分かる人がいたら教えて欲しいものだが、「疎い」も「知らない」も同じことだろうて。こういうのを、「めくそはなくそを笑う」とか「五十歩百歩」というのだろう。もう、ほとんど漫才の世界だな。ご両人は、総理大臣夫婦なんて柄にもないことはさっさと止めて、お遍路でもしながら、「元総理大臣とそのバカ女房コンビの漫才道中」でもやらかしたほうがよい。

もっとも、こんなネタでは、行く先々で、水でも浴びせられて追い払われるのがせいぜいだろうが。

ところで、この女、茶道の藪内流の師範だそうだ。

茶道の師範。うーむ。茶道、ね…。

当日の講演の演題が、「茶の湯と私」!?

まあ、一目、このバカ女の手には余る演題だが、引き受ける方も引き受ける方、頼む方も頼む方。

引き受ける方の厚顔無恥は言うまでもないが、頼んだ方の京都外国語大学とやらも恥ずかしくないのかね。

まさか、このバカ女の講演を学生に聞かせれば学生の情操教育上効果ありなんて勘違いしたんじゃないだろうが、有名人を講演に招けば話題になり、学生募集に好都合とでも考えたのなら、逆効果だな。こんなバカ女にこんな分不相応な演題で講演させる大学は、その見識が問われるよ。

さて、このバカ話を伝えたのは、あの朝日新聞のネット配信記事だが、記事の最後に、こうある。

「あの人はおっちょこちょいなんです。トップになったら、おっちょこちょいじゃすまないの」と語り、場内は笑いに包まれた。

笑い? この笑い、苦笑、嘲笑だろう。取材記者さんよ、取材はちゃんとして、取材したことをちゃんとした日本語で表現しなさい。そうデスクに言われてないの?  あ、そうか、デスクもちゃんとした日本語書がけないんだったね、いつも「政治とカネ」のオウム返しだから日本語忘れちゃったんだ。そうか、取材記者さんだけ、責めるのは酷だったね。ワルイワルイ。

菅伸子と菅直人—葬式帰りに喪服でスーパーに立ち寄ったバカ女とそのアホ亭主

1月8日、この破れ鍋に綴じ蓋コンビは、知人の葬儀に参列した帰途、喪服姿で自分の選挙区内にあるスーパーに立ち寄り買い物をしたそうだ。

この破れ鍋に綴じ蓋コンビが、スーパーで買い物したことは知っていたが、まさか葬式帰りに喪服姿であったとは…

つい昨日、ネットでそのときの写真を見て目が点になった。

ま、よく考えれば、このバカ女にアホ亭主のことだから、こんな奇態なことをしてもおかしくはないのだが、それでも、まさか、そこまでバカだとは…

スーパーに立ち寄ったのは、日用品が不足したからだという。

? 4日の新年会で200人分料理を用意したが、50人も来なかったので大量に廃棄したため、自分たちの食料が不足したのか。

理由はどうあれ、こんなことはまともな大人のすることではない。

葬儀に参列するというのは、故人に弔意を表すということだ。弔意を表すというのは、人間の行動としてはもっとも重要なものの一つで、最大限の敬意をもってなされなければならない。それは、そのことのみのために行われなければならないもののはずである。行って帰ってくる。道草など食わない。

それを、日用品の充足という程度の用を足すためにスーパーに立ち寄る。しかも、その一部始終を新聞やTVに取材させる。庶民感覚をもっていることをアピールするため?

まあ、本当の庶民であれば、誉められたことではないが、あっても仕方がないかなとは思う。

しかし、この破れ鍋に綴じ蓋コンビは、わが日本国の内閣総理大臣夫婦なのだよ。

こんなのが、総理大臣夫婦をやっている日本という国は、いったい何なんだろう。

「破れ鍋に綴じ蓋」の菅伸子

亭主が亭主なら、女房も女房である。

12日に行われた日本外国特派員協会でのインタビューで、記者の質問に答え、「こんなこと言っていいのかしら」と前置きしつつ、両陛下と皇居で、昨夏、亭主及び自分の4人で会食した際の天皇の言葉を明らかにした。天皇は、当時問題になっていた「消えた高齢者」について、どういうことになっているのでしょうか、ともらしたそうだ。

ブログ主が、菅伸子の発言について思うことは二つ。

第1は、この女、自慢をしたなということ、第2は、この女、結局なんにもわかっちゃいないということだ。

第1について。

これまで、天皇との会食の際などの会話は、公にしないという慣例があるという。この慣例の当否については今は問題としない。

しかし、この慣例があるのを知ってか知らずしてか、天皇の言葉をもらしたのは、次のような浅ましい性根からなのであろう。

「私、菅伸子は、両陛下と差しで食事ができる地位にまで上り詰めたのよ、そうよ、ファーストレディーなのよ、どう、下々のみなさん、わかる、これってすごいことなのよ、今住んでいるところだって、首相公邸、永田町2丁目、都心の一等地よ、広すぎてもったいないから母親まで連れてきちゃった、そしたらどーお、感激しちゃったのか、呆けていたのに国会の周りで銀杏拾いまで始めちゃってさあ、おまけに、24時間警護のSPが付いてくれて、これってほんとのVIP、もおー、うれしくてうれしくて、いつまでもやっていたいから、亭主には言っているの、たとえ支持率がマイナスになったって辞めちゃだめだって、日本がどうなろうとそんなこと知ったことじゃないわよ、とにかくこの私がいつまでも栄耀栄華できればそれでいいの、だってあの中身が空っぽのバカ亭主をだましだましここまでもってきたのは私の力、総理大臣にしてやったのは私なんだから、このくらいのご褒美は当然よね、ついでに言うとね、亭主だってホントはどうでもいいのよ、他の女に走ったくせにさ、あんな奴! だからね、こんど生まれ変わったら、他の女に目もくれず、一から十まで自分の言うことを聞くもうちょっと操縦しがいのある男を選ぶの、どーお、文句ある?」

とまあ、戯文調でまとめてみたが、当たらずとも遠からずというところではないだろうか。

第2について。

天皇が、「消えた高齢者」について、ご自分が形式的であるにせよ任命した内閣総理大臣に、どうなっているのかと発言したということは、どうにかしなさいと命じたということだ。

日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である天皇として、国民の間に亀裂が広がり、あろうことかその亀裂に高齢者がすっぽりと神隠しのごとく消え去る事態を看過することはできないと考え、総理大臣と親しく会食する機会をとらえて、改善を求めたということではないか。

ここで、天皇の政治への関与の当否については問題にしない。

これは、天皇であるかいなかということ以前の、現代の日本に生きる人間として(現在は天皇は現人神ではない)ごく当たり前の発言であり行動であると思う。

そこで、問題は、この女の反応だ。

このことをわがこととして受け止め、何とかしようとする姿勢を示したのか。国民の間に貧困と格差が広がり、家族関係や地域社会に亀裂があることを自らの痛みとして受け止め、改善のためにできることをしているのか。

たとえ、その亀裂、あるいは格差が、民主党政権以前から始まっているとはいえ、当代の責任者は、この女の亭主の、総理大臣である菅直人である。これは逃れようのないことだ。

読者よ、それは亭主の仕事で、女房は違う、と言うなかれ。この女は、先の民主党代表選挙の折、「もう少しやらせてください。だめなら自分が辞めさせます」と公言して歩いたのだ。よもやそのこと、お忘れではあるまい。辞めさせるとは、任命権者のみが言えるせりふだ。それを言うということは、この女、菅直人の任命権者つまり監督者になったつもりなのだろう。

であれば、この亭主と女房は一蓮托生、破れ鍋に綴じ蓋だ。

だから、亭主だけでなくその女房、菅直人だけでなく菅伸子の覚悟のほどを問うてもなんの問題もない。

その昔、池田勇人は、電信柱が高いのも郵便ポストが赤いのもすべて総理大臣の責任というほどの決意でその任に当たる覚悟をしたという。

菅伸子よ、汝にその覚悟のほどありやなしや。