裁判という名の茶番

わが国人の裁判信仰は、いつからのものなのか。大岡裁きが伝説化してからのことなのか。すると、百年単位のことなのか。

裁判とて人間のすること、間違いがないことなどあり得ない。にもかかわらず、この国の人々は、裁判の判決をまるで天のご託宣ででもあるかのように担いで回る。

この国では、刑事裁判の有罪率が100%近い。異常である。しかも、公訴権は検察官が独占している。事実上、有罪か無罪かの決定権は検察官が握っている。検察官による恣意的な決定の横行。

検察は笑いが止まらないだろう。自分たちの決定に、誰も意義を挟まないどころか、諸手をあげて歓迎してくれるのだから。

これは、無法ではないのか。正義はどこにあるのだ。こんな無法状態から我が身を守るにはどうしたらよいのか。

怖い国です、秋津島大和の国は。