商業ジャーナリズムへの廃業の勧め

わが国の商業ジャーナリズムは、その使命を果たしていないので、廃業することをお勧めする。

大手の新聞、TVといった商業ジャーナリズムは、事実を脚色なく伝え、視野の広いバランスのとれた論評を提供することが役割のはずである。その役割をきちんと果たしていればそれなりの代価を得ても誰も泥棒呼ばわりはしない。

しかし、現今のわが国のそれはどうであろうか。

まず事実の伝達。ジャーナリズムにとっての「いろはのい」のところで基本を踏み外している。

例の「政治とカネ」。

ハナから、「小沢は悪だ」という先入観に基づいた偏った報道を続けている。事実ではなく、記者あるいは編集幹部の主観をあたかも事実であるかのように粉飾した情報を伝えている。にもかかわらず、やっている本人たちは、事実を伝えていると思っているから、始末が悪い。本人は正しいことをやっているつもりの愚か者ほど恐いものはないというのが歴史の教えるところだが、今のわが国の商業ジャーナリズムはまさにそれだ。

さらに、論評の方はどうかといえば、言うも愚かなくらいお粗末なもので、「政治とカネ」の連呼に「説明責任」をまぶして一丁上がりの無責任さ。

そんなことなら、猿にだってできる。おっと御免、猿を例えに出したら、猿に失礼か。

とまあ、こんな次第で、わが国の商業ジャーナリズムは、きちんとした商品を提供していないのだから、こんなものでお金をいただくのは、詐欺や泥棒の類だ。詐欺や泥棒と言われたくないなら、廃業することだ。

よって、廃業の勧めということなのだが、まあ、今時の商業ジャーナリズムにそんなきちんとした判断ができるような玉はいそうもないから自主廃業はないだろう。

しかし、商業ジャーナリズムというものは、なくても人間、生きていけることを忘れてはいけない。米や味噌醤油とは違うものだ。

ちゃんと仕事をしないと「歌を忘れたカナリヤ」のように「後ろの山に」捨てられますよ。