78年目の対米・英開戦の日

先日、この日を意識しないでたまたま、映画「トラ・トラ・トラ!」を見た。

黒澤明もかかわった脚本は、真珠湾攻撃に至る過程を、細かいエピソードを重ねて、順に追っている。20世紀フォックス制作、ということはハリウッド映画だが、日本側の不意打ちというより、むしろ、米国側の対日軽視からの油断を攻撃成功の要因として描いている。だから、米国では観客動員が伸びなかったのだろう。米国民にとって、卑怯なだまし討のジャップではなく、突然目の前に現れた日本軍機の攻撃の前にぼうぜんとする米軍最高指揮官を見せられてはいい気持ちはしまい。

真珠湾の米海軍根拠地を破壊するというような目的が明確で限定的であるような場合には、わが同胞は素晴らしい団結力と創造力を発揮する。

しかし、世界史的な大状況の中で、それらの目標の追求が、われら日本国民の幸福と安全にどのような意味と効果を持つかというようなことについては、理解し制御するのが不得手であるように見える。

たとえば、開戦後数ヶ月間のいくつかの局面においては戦術的成功すなわち勝利を収めたが、数年後にはそんな勝利をはるかに上回る戦略的な大敗を喫した。その上、有史以来の外国軍による長期間の占領、その後現在に至るまで続く不平等条約状態(在日米軍基地をめぐる日米地位協定)の存続までがついてきた。また、戦後復興から高度成長を経て、1980年代の”経済大国”への到達するまでは、誰もその目標を疑うことなく創意工夫を重ねて ”Japan as Number One” とまで言われるようになった。しかしそれもつかの間、80年代が終わる頃から、目標を見失ったというか、手にした富をどうしたらいいのか途方に暮れとでもいうのか、埒もない米国の不動産などを高値でつかまされ、挙句の果てにバブル崩壊と今に続く低迷というか自信喪失状態。

今、好むと好まざるとにかかわらず、東アジアの覇者は、中国であって日本ではない。かつて”Japan as Number One”と持ち上げられた状態から、昨今の、相対的な地位低下を迎えつつある先の見通しの立ち難い状況にあって、わが同胞は漠然とした不安と、この、急成長を遂げた隣の超大国への嫉妬と嫌悪のないまぜになった感情を抱きつつあるように見える。”嫉妬”は自他を滅ぼすこともあるやっかいな感情だ。このすこぶる付きの手強い感情をわれら日本国民は上手にコントロールして、それなりの繁栄を、隣の国々との平和な関係を築きながら、維持していけるだろうか。そうではなく、米国に強度に依存することによってのみ、現在の状態を維持し続けようとするのだろうか。わが同胞の多くは、自公政権に多数議席を与えることによって後者の選択を支持しているように見える。だが、その選択が、78年前のそれのように、狭い範囲の戦術的成功ではあるが(それすらも怪しいものだ思うが)、大きな状況の中での戦略的失敗にならないとは限らないことをどれだけの人が理解しているだろうか。