外交の独立と国の独立

昨日の記事で、戦後のわが外交について独立国としての体をなしていないとしたが、政府、外務省レベルはともかくとして、国民レベルでは、幾たびか、外交の独立ひいては国の独立や安全保障が政治的争点として浮上したことがある。

まず第一は、全面講和か単独講和が争われた占領下、第二は、日米安全保障条約の改定が問題となった1960年、いわゆる60年安保、第三は、60年安保から10年が経過し、条約をどちらか一方の破棄通告で終了させることができるようになった1970年、いわゆる70年安保。

その後は、沖縄の過剰な基地負担が安全保障のあり方と関連づけて問題にされることはあったが、その際も、基地問題の根底にある外交の独立や国家としての独立が問題とされることはなく、むしろそうしたことを政治上の争点とすることはタブー視されてきた。

これは、いわゆる「日米同盟堅持」の題目のもと、外交や安全保障の問題から国民の目をそらし、他国の軍事基地が国内にあるという不正常な状態が何の疑問ももたれることなく続くことで利益を得る集団が、意図的に演出してきた結果だ。その集団とは、巷間指摘される「日米安保マフィア」なるもので、実体はおそらく日米両国にまたがる軍産政複合体と彼らからのおこぼれに預かるマスメディアの一部であろう。

昨年夏の総選挙で、鳩山民主党代表が、ことの弾みとも思える軽さで、沖縄の普天間基地移設問題を「最低でも県外」と訴えたことから、その流れが変わり、外交や安全保障がほんとうに久しぶりに政治の焦点になった。鳩山氏は、結果的には普天間問題の解決には至らなかったが、外交や安全保障問題を国民の意識にのぼらせた功績は大きい。怪我の功名というべきか。

次いで、今般の民主党代表選で、小沢一郎氏が、年来の主張である「自立した国民による自立した国家」を踏まえた堂々たる日米、日中対等外交論を提起したことで、多くの国民に、外交問題や安全保障問題を正面から国民的議論の対象とするべき時期が到来したことを印象づけた。

さらに、今回の尖閣諸島をめぐる政府の不手際が、国民の間に潜在していた、日本は果たして本当に独立国なのか、という疑問の噴出に火をつけた。

こうして、70年安保から40年、ようやく、国の独立や安全保障が外交のあり方と合わせて議論されようとしている。

このことを、ブログ主は素直に喜びたい。

なぜならば、国の独立や安全保障など、国民としてきちんと正対すべきことができていないという不正常な状態が終わるからだ。

だが、一方で懸念もある。

それは、一部の国民にみられるショービニズム(排外主義)の傾向である。在日韓国人、在日朝鮮人に対するいわれなき悪罵や、中国や中国人に対する同様の態度は、外交や安全保障を議論するとき、百害あって一利なしの、きわめて危険な傾向だ。

ブログ主は、このような危険な傾向とは断固戦うことを明らかにしておく。

内閣諸公の覚悟

現内閣諸公には独立国としての外交を司る覚悟がないようだ。

尖閣諸島をめぐる中国との交渉をみれば、一目瞭然だ。

なにも中国が取り立てて悪辣非道な外交をやっているとは思わない。国名はあげないが、世界中を見渡せばもっとひどいことをしている国はある。

外交場裡において、国境紛争は日常茶飯のことだ。

当の中国についてみれば、隣国ロシアと地続きの長大な国境線で接している関係上、古くから国境紛争を抱えており、ロシアがソ連であった1960年代、一度ならず、全面戦争の危機に直面した。当然のことながら、軍事力はソ連が圧倒的で、中国共産党政府は、表面では「ソ連社会帝国主義を打倒せよ」と強気で臨んだが、内心は政府のみならず国家そのものの存亡の危機と認識していた。毛沢東は、窮状を脱するために、それこそなりふり構わず動いた。もう一方の敵であるはずの米国と接近するための、あの周恩来・キッシンジャーの秘密会談は、「敵(ソ連)の敵(米国)は味方」という小学生でも実践している戦略の具体化だ。くわえて、かつて自国を侵略した怨敵日本とも、賠償請求権を放棄してまで国交正常化に踏み切った。

余談ながら、当時、田中角栄首相と周恩来首相との間で合意した、日中共同声明の当時の中国にとっての最大の眼目は、いかなる国もこの地域で覇権を唱えることに反対するという例の「覇権条項」を盛り込んだところにある。もちろん、いかなる国には米国も入るが、最重要なのはソ連である。

あのとき、当時の北ベトナムは、米国とベトナム戦争終結に向けてパリ和平会談の最中であり、味方と思っていた中国が、北ベトナムにとっては敵である米国と国交正常化に向けて交渉を始めたことで、背後から鉄砲を撃たれたように感じ、以後しばらくの間中国との関係が悪化した。

外交関係は古来かくのごとし。紛争があるのが当たり前、国力・軍事力に強弱があるのも当たり前、そうした状況の中で、どうしたら一国の独立と自尊を保てるのか。合従連衡など朝飯前、権謀術数の限りを尽くして国益を貫く、それが外交というものだろう。

というふうに見てくると、今日のわが内閣諸公の覚悟のほどや如何と問うに、外交交渉はおろかその入り口にも近づいていないと言わざるを得ない。ちょっと大きな声で怒鳴られたら、そそくさと尻尾を巻いて逃げ帰るといった案配だ。

これでは相手国は苦笑しているだろう、こりゃ相手にならんは、と。

とここまで書いて、現の内閣諸公ばかり責めるのも酷かなという気がしないでもない。

わが日本国の外交べたは、今に始まったことではないと思うからだ。

戦前、日本が国際的に孤立を深めていく里程で、数々の外交的失策をやらかしたが、中でもブログ主にとって印象的なの、第2次世界大戦前夜、ヒトラーとスターリンの間で独ソ不可侵条約が締結された際、「欧州情勢は複雑怪奇」として総辞職した平沼騏一郎内閣のことである。

なんとナイーブなことか。外交が、いや、政治が、いや、およそ人間が関わることはすべて「複雑怪奇」でないことなどありはしない。それを、「複雑怪奇」といってギブアップしていたら一歩も前に進めないではないか。いや、生きていけないではないか。

もう一つ余談。平沼騏一郎の縁者で今日代議士をしている人がいるらしいが、ブログ主はこの代議士が話題になるとただちに「複雑怪奇」のエピソードが浮かんできて、まあ、あのねえ、というわけで思わず下を向いてしまうのです。

戦後については言わずもがな、ほとんど米国の51番目の州のような状況だったので、およそ独立国としての外交をしてこなったからのだから。

結論、やはり、小沢一郎氏ですね。今、生きている政治家で彼以上に、一国の独立と矜持を保ちうる経綸と、それを実行できる覚悟をもっている人はいないのだから。