マスコミの反小沢の構えは、彼らの恐怖の感情の裏返しです。
小沢一郎氏はたたいてもたたいても平然としている、と彼らには見えます。
普通の政治家は、マスコミの、本当は実体のない力に怯えてすぐ降参しますが、小沢氏は昂然としています。
たたけば降参するだろう、俺たちは強いんだから、と根拠もなく思い込んでいるマスコミは、意外な展開にうろたえます。日頃から、攻撃するのは得意だが、反撃されたり怒られたりすることには慣れていない彼らのことです。この意外な展開が、だんだんと「小沢は得体が知れない」という感覚に変じ、いつしか「小沢になにをされるかわからない」という恐怖感となっていきます。
昨今のマスコミの常軌を逸した小沢たたきは、この恐怖感が生んだ怯える心がそうさせていると考えると腑に落ちます。怯えるあまり、目にする小沢、耳に聞こえる小沢のすべてが怖い、怖いからなにが何でもたたく、あらん限りを尽くしてたたく、とまあ、ざっとこんなところではないでしょうか。
つまり、「小沢問題」は、実は「マスコミ問題」なのです。「小沢恐怖症」という病気にかかったマスコミの。それを、「国民目線」だの「市民感覚」だのと目くらましの看板を掲げて自分たちの弱さ小心さを隠し、あたかも国民の代弁者であるかのように振る舞うお粗末なマスコミ。
困ったものです。