「破れ鍋に綴じ蓋」の菅伸子

亭主が亭主なら、女房も女房である。

12日に行われた日本外国特派員協会でのインタビューで、記者の質問に答え、「こんなこと言っていいのかしら」と前置きしつつ、両陛下と皇居で、昨夏、亭主及び自分の4人で会食した際の天皇の言葉を明らかにした。天皇は、当時問題になっていた「消えた高齢者」について、どういうことになっているのでしょうか、ともらしたそうだ。

ブログ主が、菅伸子の発言について思うことは二つ。

第1は、この女、自慢をしたなということ、第2は、この女、結局なんにもわかっちゃいないということだ。

第1について。

これまで、天皇との会食の際などの会話は、公にしないという慣例があるという。この慣例の当否については今は問題としない。

しかし、この慣例があるのを知ってか知らずしてか、天皇の言葉をもらしたのは、次のような浅ましい性根からなのであろう。

「私、菅伸子は、両陛下と差しで食事ができる地位にまで上り詰めたのよ、そうよ、ファーストレディーなのよ、どう、下々のみなさん、わかる、これってすごいことなのよ、今住んでいるところだって、首相公邸、永田町2丁目、都心の一等地よ、広すぎてもったいないから母親まで連れてきちゃった、そしたらどーお、感激しちゃったのか、呆けていたのに国会の周りで銀杏拾いまで始めちゃってさあ、おまけに、24時間警護のSPが付いてくれて、これってほんとのVIP、もおー、うれしくてうれしくて、いつまでもやっていたいから、亭主には言っているの、たとえ支持率がマイナスになったって辞めちゃだめだって、日本がどうなろうとそんなこと知ったことじゃないわよ、とにかくこの私がいつまでも栄耀栄華できればそれでいいの、だってあの中身が空っぽのバカ亭主をだましだましここまでもってきたのは私の力、総理大臣にしてやったのは私なんだから、このくらいのご褒美は当然よね、ついでに言うとね、亭主だってホントはどうでもいいのよ、他の女に走ったくせにさ、あんな奴! だからね、こんど生まれ変わったら、他の女に目もくれず、一から十まで自分の言うことを聞くもうちょっと操縦しがいのある男を選ぶの、どーお、文句ある?」

とまあ、戯文調でまとめてみたが、当たらずとも遠からずというところではないだろうか。

第2について。

天皇が、「消えた高齢者」について、ご自分が形式的であるにせよ任命した内閣総理大臣に、どうなっているのかと発言したということは、どうにかしなさいと命じたということだ。

日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である天皇として、国民の間に亀裂が広がり、あろうことかその亀裂に高齢者がすっぽりと神隠しのごとく消え去る事態を看過することはできないと考え、総理大臣と親しく会食する機会をとらえて、改善を求めたということではないか。

ここで、天皇の政治への関与の当否については問題にしない。

これは、天皇であるかいなかということ以前の、現代の日本に生きる人間として(現在は天皇は現人神ではない)ごく当たり前の発言であり行動であると思う。

そこで、問題は、この女の反応だ。

このことをわがこととして受け止め、何とかしようとする姿勢を示したのか。国民の間に貧困と格差が広がり、家族関係や地域社会に亀裂があることを自らの痛みとして受け止め、改善のためにできることをしているのか。

たとえ、その亀裂、あるいは格差が、民主党政権以前から始まっているとはいえ、当代の責任者は、この女の亭主の、総理大臣である菅直人である。これは逃れようのないことだ。

読者よ、それは亭主の仕事で、女房は違う、と言うなかれ。この女は、先の民主党代表選挙の折、「もう少しやらせてください。だめなら自分が辞めさせます」と公言して歩いたのだ。よもやそのこと、お忘れではあるまい。辞めさせるとは、任命権者のみが言えるせりふだ。それを言うということは、この女、菅直人の任命権者つまり監督者になったつもりなのだろう。

であれば、この亭主と女房は一蓮托生、破れ鍋に綴じ蓋だ。

だから、亭主だけでなくその女房、菅直人だけでなく菅伸子の覚悟のほどを問うてもなんの問題もない。

その昔、池田勇人は、電信柱が高いのも郵便ポストが赤いのもすべて総理大臣の責任というほどの決意でその任に当たる覚悟をしたという。

菅伸子よ、汝にその覚悟のほどありやなしや。