予算を議論しない衆議院予算委員会の怪

衆議院予算委員会のラジオ中継を聞いていたら、質問者が延々と、政治家と政治資金の関係について議論を繰り広げていた。

予算委員会の、こういう見当違いの議論を聞いていると、いわゆる「政治とカネ」という問題の問題性がいよいよ明らかになってくる。

当ブログが、これまで繰り返し主張してきたように、政治にカネがかかるのは当たり前、むしろより多くの金を集められる政治家はそれだけ周りが期待する実力のある人、大事なことは、誰から、いくら貰って、何に使ったかをすべてオープンにして、それがいいか悪いかは、国民が選挙における投票を通じて判断すればよいことだ。本来、国家予算について議論すべき「予算」委員会で、騒ぐことではない。

その問題にならない「政治とカネ」問題が、国会の予算委員会で、かくまで大げさに問題となるのは、財務省製の官僚主導予算をきちんと議論されると、大いに困る勢力があるからだ。

それは、言わずと知れた、高級官僚の諸君である。予算を微に入り細に渡り議論し、検討されると、予算の処々方々に仕込んだ官僚既得権益が明るみに出てしまう。

いくら、国民がお人好しであっても、国会の場で、延々と税金の高級官僚による私物化の実体を見せつけられれば、怒るだろう。国民が怒って、主権者すなわち納税者として、税金の使途について真剣に考えるようになれば、それは、官僚主導政治を掘り崩す大きな一歩になることは間違いない。

それは、高級官僚の諸君にとって、絶対に避けたいことだ。だから、そうならないように、「予算」委員会で、「予算」が議論の対象にならないような工夫が必要になる。その工夫が、いわゆる「政治とカネ」というわけなのだ。

これも、当ブログで指摘したように、小沢さんの、いわゆる「政治とカネ」なる問題は、高級官僚の代表選手である特捜検察が、こういう工夫の一つとして創作したファンタジーに類するものだ。

せっかくの予算委員会で、予算を議論せずに、問題にもならない「政治とカネ」の問題ににうつつを抜かしている議員諸公は、高級官僚の手のひらで踊らされている哀れなピエロである。