日本未来の党の出発を祝す

いいものがいいタイミングできた。結構なことだ。

ほとんどの人が、これができたのは小沢氏の力だと思っている。もっとも、それが気に食わないというのが例のごとくのバカマスコミの小沢恐怖症なのだが。しかし、ブログ主の周りでは違う。今度の総選挙で、自分の一票を託すに足る政党がようやくでてきたという安堵感の方が強い。もちろん、「国民の生活が第一」があるのだが、脱原発、消費増税凍結、自主外交など主張を同じくする中小政党がバラバラでは、政策を実現する多数派をつくることができない。大同団結がどうしても必要だった。

それを小沢氏がやってのけた。イヤー、お見事。しかも、この実現のために、立ち上げたばかりの「国民の生活が第一」を解党し、自分は一兵卒に徹するという。大義のためには自己一身の利を省みない。これは、誰にでもできることではない。小沢氏ならではのことだ。

吉田松陰が、伊藤博文、大久保利通などの松下村塾の秀才たちに「僕は忠義を為すつもり、諸君は功業を為すつもり」と述べたというが、小沢氏は、吉田松陰のごとく「忠義」すなわち日本の民主政治の大義を守り活性化することを使命としているからこそ、今般のような大業を為すことができたのだろう。それに引き替え、民主党、自民党、維新などの政治家連のお粗末なこと。彼らは「功業」すなわち権力のうま味に与り、自己一身の利をはかるばかりの困った連中なのだ。

来る総選挙では、「功業」ではなく「忠義」を第一に考える人々がより多く当選することを願うばかりである。われわれの生活のみならず、民主主義の未来のためにも。