70年前の今日、1945年3月9日の深夜から翌10日未明にかけて、現在の墨田区・江東区・台東区・中央区を中心に、当時の敵国・アメリカ合衆国軍の爆撃機編隊が大量の焼夷弾を投下した。これによって当該地域では大火災が発生し、非戦闘員である一般市民約10万人が亡くなった。いわゆる東京大空襲である。
亡くなった方々の大半は、なぜ自分たちがそのような死を迎えなければならないのか理由がわからないまま亡くなったに違いない。非業の死である。無念思うべし。
とくに子どもたち。戦争がはじまり、爆弾が空から雨あられのように降ってくる事態に立ち至ったについては、まったくもって責任がない彼らの非業の死の責任はだれがとるべきなのか。
誰が、どんな理屈をつけようが、ほとんど一瞬にしてそのような責任のない子どもたちを含む10万人にも及ぶ非戦闘員の死者をだすような戦争を始めることを正当化することはできない。
いや、死者の数は問題ではない。およそ戦争なるものは決して正当化できるものではない。誰か戦争を正当化しようとする人がいるならば、その人は、戦争によって利益を受ける輩なのであるか、あるいは無知蒙昧の輩であるのかのいずれかであろう。
この世に正しい戦争も正しくない戦争もない。戦争は理由の如何にかかわらず悪である。あの夜、無念の死を死ななければならなかった人々のことを思うならば、今、生を享けているものは皆、すべての戦争に反対し戦争への動きに抵抗しなければならないはずである。
この自戒および他戒の念を、70年前の今日、無念のうちに亡くなった人々へのせめてもの手向けとして書き記す。