東京大空襲と東日本大震災

昨日3月10日は東京大空襲から76年目、で、今日は東日本大震災から10年目。

東日本大震災については、あれこれの報道が。だが、昨日の東京大空襲はさっぱり。東京都民の一人として、一晩で10万人の方が亡くなった空襲については、その責任の所在を含めてけっして忘れることはできない。

しかし、報道ぶりに見られるように、世間ではほとんど忘れられているようだ。こうして、戦争の記憶が風化して、次の戦争へと世間はなびいていくのだろうか。災害は忘れた頃にやってくるが、戦争も忘れた頃にやってくる。

東京大空襲と大津波

自分が住んでいる東京西部の自治体防災無線ラウドスピーカーが、今日は大津波から9年目なので午後2時46分にサイレンを鳴らす、黙祷してくれと。こういうことを、大音量のラウドスピーカーで流して催促するのはどうなのか、イヤだな。死者を悼むのは、人それぞれがそれぞれの仕方でやればよいこと。それに、今日については呼びかけて、昨日の東京大空襲には音沙汰なしというのも腑に落ちない。

その時間にサイレンが鳴ったが、このサイレンというのはイヤですね。空襲警報かと思う。黙祷の合図に、なにもサイレンを使わなくてもいいじゃないか。なんかこう、胃の腑をギュッと掴まれてねじり倒されるような感覚がある。

サイレンは、もともとギリシア神話に登場する海の怪物セイレーンが語源。 精選版日本国語大辞典によれば、「ギリシア神話の老海神の娘たちで、上半身は女、下半身は鳥の姿で表わされる。海中の岩上に坐して歌い、その歌にひきつけられた船乗りたちを破滅させた。」のだそう。

お上からのサイレンの合図で、いっせいに行動して、その結果が”破滅”につながらなければいいのだが。

70年目の東京大空襲

70年前の今日、1945年3月9日の深夜から翌10日未明にかけて、現在の墨田区・江東区・台東区・中央区を中心に、当時の敵国・アメリカ合衆国軍の爆撃機編隊が大量の焼夷弾を投下した。これによって当該地域では大火災が発生し、非戦闘員である一般市民約10万人が亡くなった。いわゆる東京大空襲である。

亡くなった方々の大半は、なぜ自分たちがそのような死を迎えなければならないのか理由がわからないまま亡くなったに違いない。非業の死である。無念思うべし。

とくに子どもたち。戦争がはじまり、爆弾が空から雨あられのように降ってくる事態に立ち至ったについては、まったくもって責任がない彼らの非業の死の責任はだれがとるべきなのか。

誰が、どんな理屈をつけようが、ほとんど一瞬にしてそのような責任のない子どもたちを含む10万人にも及ぶ非戦闘員の死者をだすような戦争を始めることを正当化することはできない。

いや、死者の数は問題ではない。およそ戦争なるものは決して正当化できるものではない。誰か戦争を正当化しようとする人がいるならば、その人は、戦争によって利益を受ける輩なのであるか、あるいは無知蒙昧の輩であるのかのいずれかであろう。

この世に正しい戦争も正しくない戦争もない。戦争は理由の如何にかかわらず悪である。あの夜、無念の死を死ななければならなかった人々のことを思うならば、今、生を享けているものは皆、すべての戦争に反対し戦争への動きに抵抗しなければならないはずである。

この自戒および他戒の念を、70年前の今日、無念のうちに亡くなった人々へのせめてもの手向けとして書き記す。

 

 

67年目の3月10日

今日は、67回目の東京大空襲の記念日。

1945年3月10日未明、墨田区・江東区など東京の下町を中心に、アメリカ軍の焼夷弾攻撃を受けて、10万人を超える死者・行方不明者が出た。死者のほとんど全てが一般庶民の非戦闘員、すなわちあなたや私だ。

戦争は災害である。しかし、地震や津波と違って、防ごうと思えば防げる人災だ。だが、この戦争という災害では、利益を受ける人がいる。「死の商人」と呼ばれる人々だ。

彼ら「死の商人」がもっとも好むのは、一般庶民が、戦争で死ぬのは誰か他の人であって、自分や自分の家族は関係がないと思うことだ。そうであれば、彼らは、その隙に乗じて安心して、「ビジネスチャンス」を生かすべく戦争を引き起こし、利益追求に邁進するだろう。

戦争を防ぐ、ほとんど唯一の道は、自分や自分の家族が、ひょっとしたら、東京大空襲の死者であったかもしれないと考える想像力である。