「桜」考

関東地方では、桜が満開である。

が、しかし、その桜は十中八九、ソメイヨシノである。いつ頃からか、少なくとも関東地方では、市街地にある桜は、大半がソメイヨシノになってしまった。

桜は、ソメイヨシノだけではない。山桜、大島桜、など種類が豊富だ。それぞれに特徴があり、美しい。だが、当今の人々の関心は、ソメイヨシノにのみ集中しているように見える。

ひとたび、流行りが起こると、猫もしゃくしもそれ一つになびくわが日本社会。ソメイヨシノが流行ると、ソメイヨシノばかり。震災で自粛となると、自粛自粛で夜も日も明けない。

いったい、何なんでしょうかね。これは。

東京都知事選

明日、東京都知事選の投票日。

棄権はしたくないので、投票所に出かけ、白票を投じようと思ったが、小沢一郎とでも書いてこようかと、今は考えている。

それにしても、下馬評では、あの老害氏が有力とか。

この世の中はいったい…

日本は強い国って、あんたらには言われたくない

TVのあのACとかの広告はどうにかならないのか。

まあ、見なけりゃいいのだが。

それにしても、スマップとか言うあのタレント連中も恥ずかしくないのかね。あんなせりふを言わされて。こんな時に、おそらく電通か博報堂だかの、広告代理店のスタッフの振り付け通りに口をぱくぱくやって、いったい何のつもりなのだろう。彼らはおそらく30歳代になっているのだろうが、その年になるまでどう生きてきたのか。

こんな時にこそ、事務所(ジャニーズ?)や広告代理店の振り付けではなく、自分の考えで行動したらどうなのだ。君たちは、自分の人生を生きているのか。

花見のススメ

自粛と称して、人間性の自然な発露を抑制しようとする、不自然な言動が横行している。

本当は小心者で強いものには弱いのに、弱いものには威張り散らすことで有名などこかの国の都知事なる人物が、首都の名勝での夜桜見物を不謹慎だとのたもうたそうな。

愚昧極まれり。

自粛自粛と世間が騒げば、当然のことながらお金の回りが悪くなり、浮き世の波間でかろうじて命をつないでいる人々はタツキの道を失うことになる。自粛だなんぞと綺麗ごとを言って済ましていられるのは、生活に困らない経済的強者だからだ。

それに、この大震災で図らずも落命された方々も、生き残った者どもが自粛自粛で首が回らなくなり生きる道が細くなることを、お喜びにはならないだろう。

花は愛でるべし。木々の芽吹きを喜ぶべし。そして、大震災の犠牲となられた方々の思いを思うべし。

ただし、屋外に長居は無用、放射能対策もお忘れなく。

売国メディア読売新聞

昨日、電車の中で向かいの人が読んでいる新聞が目に入った。

読売新聞。記事の見出しに、被災地で活躍するアメリカ海兵隊云々という言葉が。

うむ、アメリカ海兵隊でなくとも、被災地の手助けをしてくれる外国の方々には、中国であろうと、ロシアであろうと感謝である。しかし、読売新聞のこの記事は、見出しの言葉から推測するに、アメリカ軍の活動のみを特に強調して取り上げているように見える。

読売は、オンライン版の論調から見るに、この記事に限らず、大震災直後から、アメリカを救世主のように見なして、あたかも、わが国の災厄を救済できるのはアメリカだけであるかのように読者に刷り込む紙面を作っている。

なぜだろうか。

思うに、読売は全社を挙げて、鳩山発言などでいったんは盛り上がった日米安保の見直し、沖縄駐留米軍の見直しの機運を、この大震災に乗じてなにがなんでも押さえ込み、日米安保体制堅持が命、「アメリカなくして夜も日も明けぬ日本」キャンペーンを始めたのだろう。すなわち、対米隷従路線の堅持、日本の対米属国化の深化を社論としたのだ。つまり、読売新聞は、第2次世界大戦敗戦直後に始まった連合軍すなわちアメリカ軍による日本占領が、事実上、これからも続くことを願っているということなのだ。

読売新聞は、独立国の独立した新聞としての誇りを持たず、わが国をアメリカの属国状態に置くことを画策する売国新聞である。

東京電力の社長というもの

東京電力の社長が、病気を理由に入院しているそうだ。こんな時に。

彼は、いくら報酬を得ていたのか。それに、個室、秘書、運転手付き専用車。これらは、すべて、まさしく、このような時に、この難事を乗り越えるために、間違いのない的確な判断をして、率先遂行、陣頭指揮をするために与えられたものであったのではないのか。

それが、この体たらく。彼は、昨日今日、東電の役員になったのではないだろう。いわゆる生え抜きということのようなので役員・社長となる前に長い東電社員としてのキャリアがあったものと思われる。この間どんな経歴を積んだのか。その経歴を誰がどう評価して、トップに据えたのか。

このようないい加減きわまりない人物を社長にする東電という会社が、地域独占の電力供給企業としてわれわれのライフラインを握っていたのだ。

あな恐ろし、あきつしま大和の国は。

映画「渚にて」再見

5日前に、ネットで注文したDVD「渚にて」が宅配会社のメール便で届いた。発送者の所在地は九州の佐賀。これが届いた当日、別の荷物を配達してくれた宅配会社のドライバーの話では、特に九州から東日本向けの便がペットボトル入りの水の大量の配達で混雑しているとのこと。大震災の影響がこんなところにも。

その「渚にて」。中学生の頃、3番館で見て、ネビル・シュートの原作も翻訳で読んだ。

で、このたびの再見。映画の冒頭、「ワルツィング・マチルダ」を背景音楽に原子力潜水艦が浮上するシーン、寄港したサンフランシスコで、そこが故郷の水兵が脱走するシーン、政府が配給する安楽死のための毒薬を人々が黙々と受け取るシーン、フレッド・アステア扮する自動車レース狂の科学者がガレージで排ガスで自死するシーンなど、かつて見たときの強い印象とほとんど変わらないものを感じた。

映画の細部にわたる技術的な出来不出来はわからない。が、しかし、福島原発の破滅的な事故とそれによる放射能汚染の脅威に直面している今、ブログ主にとってこの映画は絵空事ではない。

宅録事始め

必要に迫られてパソコンで自宅録音、略して宅録に挑戦することになった。

録音するのは、ギター伴奏のボーカル、ギター独奏。

手持ちの道具は、オーストラリア製のコンデンサーマイク1本、ドイツ銘柄で中国製のダイナミックマイク1本。日本の楽器メーカー銘柄でインドネシア製のミキサー(USBオーディオインターフェース一体型)。パソコンはMacBook。パソコンの録音ソフトは、ミキサーに付属していたドイツの会社のもの(この会社は、上記の日本の楽器メーカーの子会社)。

時代は変わった。

その昔、自宅で録音といえば、オープンリールのテープレコーダー、それがカセットテープになり、次にMDということになった。(ブログ主はDATは触ったことがない。)

しかし、現在の録音は、録音したものが、デジタルファイルとして記録され、パソコン上で不要な部分をカットしたりなどの編集が可能であり、しかも、それを音楽CDにすることもできる。

ブログが、個人による情報発信の道具であるのと同様、宅録は、個人による音楽創造の道具だ。しかも、熱意と努力があれば、演奏内容の出来はさておき、外形的には、かなりの水準のものができてしまう。

よい時代になったものだ。

東日本中部日本北海道大震災その18

28日月曜日、大震災18日目。

今朝、日本テレビで、新聞の解説のようなことをしている番組を見ていると、初老の男性解説者が、アメリカ軍がかくかくしかじかの支援をしてくれている、だから日米同盟が深化しました、と、嬉しそうにしゃべっていた。

奴隷根性きわまれり。

人が、地震風水害放射能で並々ならぬ苦労をしている。そうであれば、親しかろうが親しくなかろうが、相応の支援をするのは、人間社会の道理だ。だから、どこの国も、ありがたいことに、何くれとなく支援をしてくれている。

それを、アメリカだけをとくに取り上げて、これで、日本との中が深まったから良かった良かったとはしゃぐ。これは、ほとんど、奴隷が、その主人からの恩恵をありがたがるのと同じだ。

第二次世界大戦の敗戦からこの方、わが国人は、独立国の国民としての誇りを失ったかに見えるが、この日本テレビの初老男性解説員は、誇りを失うどころか、一人前の人間であることをやめて、自ら奴隷の身分を嬉々として受け入れたようだ。

東日本中部日本北海道大震災その17

27日日曜日、大震災17日目。

家人の見ているテレビを、横目で見ていると、公共広告機構なる組織の広告がこれでもかと流されている。

いわく「買い占めはしないように」「節電しなさい」「必要のない電話・メールはするな」等々。

「善意の押し売り」、「全体主義への道」などの言葉が浮かんでくる。節電を呼びかけるなら、率先垂範、TV局が廃業して、電波を止めるのが一番ではないか。あ、それに、新聞も紙の無駄だから、廃業されるがよかろう。「必要がない」とは誰が決めるのか、「買い占め」に走る不安を煽っているのは誰か、など疑問は尽きない。

こういう非論理的な気分をあおり立てる広告をさんざん見せられ、それを不思議と思わなくなると、そのうち、この社会はとんでもないことになる。