東京大空襲と大津波

自分が住んでいる東京西部の自治体防災無線ラウドスピーカーが、今日は大津波から9年目なので午後2時46分にサイレンを鳴らす、黙祷してくれと。こういうことを、大音量のラウドスピーカーで流して催促するのはどうなのか、イヤだな。死者を悼むのは、人それぞれがそれぞれの仕方でやればよいこと。それに、今日については呼びかけて、昨日の東京大空襲には音沙汰なしというのも腑に落ちない。

その時間にサイレンが鳴ったが、このサイレンというのはイヤですね。空襲警報かと思う。黙祷の合図に、なにもサイレンを使わなくてもいいじゃないか。なんかこう、胃の腑をギュッと掴まれてねじり倒されるような感覚がある。

サイレンは、もともとギリシア神話に登場する海の怪物セイレーンが語源。 精選版日本国語大辞典によれば、「ギリシア神話の老海神の娘たちで、上半身は女、下半身は鳥の姿で表わされる。海中の岩上に坐して歌い、その歌にひきつけられた船乗りたちを破滅させた。」のだそう。

お上からのサイレンの合図で、いっせいに行動して、その結果が”破滅”につながらなければいいのだが。

だから言わないことではない

こういう言い方は好きではないが、いたしかたない。

菅直人が、一国の最高責任者には不向きな男であることは、昨年9月の民主党代表選で明らかだった。

にもかかわらず、国民と国土を守るよりも、自己一身の利益を守ることを優先する新聞TV、それに踊らされた民主党の国会議員など、菅直人を民主党代表に押し上げ、日本国総理大臣にしてしまった愚か者たち。

ヘーゲルだったか、歴史は、高貴な人物が(高貴といっても生まれによるそれではないが)汚辱にまみれ、愚か者が大手をふるってはびこる悲劇というか喜劇というかに満ちていると述べていた。

大震災と大津波、原発事故という三重苦になす術もない菅直人。このどうしようもない無能な、しかも、我欲だけは3人前の人物が、この未曾有の難事に日本国家の最高責任者をやっている悲劇というか喜劇というか、それらのないまぜになったものに、はなはだ遺憾ながら、同時代の日本国民としてつきあわざるを得ない、これまた悲劇というか喜劇というか、なんというか……

だから言わないことではないのだが、しかし……