男の嫉妬

嫉妬というものは、男がしても、女がしても困ったものだが、男の嫉妬は、それがなにやらもっともらしい理屈をくっつけて現れるものだから、とりわけ始末が悪い。

朝日、読売、毎日、日経など新聞の編集幹部、TVのニュースショウのコメンテイターなどによる小沢たたきは、まさにこれの典型だ。

彼らが小沢氏に投げつける「壊し屋」だの「金権政治家」だのというフレーズは、屁理屈以外の何物でもないが、そういうレッテルを貼って喜んでいる彼らの心底にあるのは、ただ単純に、小沢氏にたいする男の嫉妬だ。

自分たちが、嘘とごまかしの人生、卑屈と追従の人生を生きてきたことに忸怩たるものがあるので、それとは対極にある小沢氏の生き方に、もうどうしようもないほどの嫉妬をしているのだろう。文字通り、身体がわなわな震えるくらいの嫉妬を。

自分たちにはとうてい理解できない大きな存在であることを素直に認めればよいものを、人間としての器量が小さいものだから、それはできない。できないどころか、小沢氏が着々と信念に従って「千万人といえども吾往かん」の気概で歩を進めていることに、なおさら嫉妬が募る。

最近の新聞TVによる小沢報道の偏向ぶりは常軌を逸しているが、その根底に男の嫉妬があると見て取れば、なるほど腑には落ちる。

腑には落ちるが、しかし、こんな腹を空かせた犬猫でもまたいで通るような、やくたいもない男の嫉妬がひねりだした「小沢悪者論」という妄想を、疑いもせず信じ込んでいるように見える同胞がいるとなると、笑って済ませるわけにはいかない。なにしろ主権者は国民なのだから、妄想にとりつかれた一票もこれまた一票。男の嫉妬が生み出した妄想が人から人へと取り付いて、ひょっとしてわが日本の政治の在り様を決めかねない。

そんなわけで、今、わが国の政治にいちばん必要なものは、男の嫉妬の解毒剤である。

そういうものがあるとして。

 

アメリカの属国・日本の悲哀

あの菅直人の女房が、また、下品な顔をメディアにさらした。毎日新聞が、この女のインタビュー記事を、一面に載せたのだそうだ。

この夫婦は、亭主も亭主なら、女房も女房だね。稀に見る、品性劣悪、救い様がない連中だ。まあ、こんなのが、この難局に総理大臣をやっていられるのも、日本が一人前の独立国ではなく、かのアメリカの属国のようなものだからなのだろう。

つまり、国の最高責任者が、こんな救い様のないバカを女房にしており、それが出しゃばるのを止めようともしない無能かつ無責任であるにもかかわらず、国が滅びないということは、すでに国が滅びている、すなわちアメリカの属国状態になっているということにほかならないわけだ。

それと、毎日新聞というのも面白い新聞だな。ほんとうは朝日新聞のようになりたくてしょうがないコンプレックスがあるが、それをあからさまに出すのは悔しいから、論調の立ち居位置が定まらない。だから、時々、こんなグロテスクなインタビュー記事を一面に載せたりする。

ところで、仙谷某が、キングメーカー気取りでちょろちょろしているようだが、これも属国の悲哀を感じさせるな。こんなイカものが次の総理大臣選びを主導する?

こりゃあ、なんですな、「面白うてやがて悲しき鵜舟かな」の世界ですな。

 

「李下に冠を正し、瓜田に履を直」した新聞社の社員ジャーナリスト

23日の夜、都内の日本料理店で、新聞社の編集部門社員、朝日新聞の星某、読売新聞の橋本某、毎日新聞の岩見某が菅直人と会食した。

彼ら編集部門社員三人のうち何人かは、先の民主党代表選の際、日本記者クラブで行われた記者会見で、候補者である小沢一郎氏と菅に質問していたし、また、一人はTVのニュースショーに出て、何やらコメントする姿をかつて見た記憶があるから、彼らは新聞社の編集部門社員、すなわち記者というものであり、したがって日本ではジャーナリスということになるものであろう。

年末のこの時期に、複数の人間が会食することを、世間では忘年会と呼ぶ。すなわち、この会食は、時の内閣総理大臣と新聞社の社員ジャーナリストが忘年会をやったということだ。

この日本料理店は、昼食時間帯でも一人1万円程度、夜になると数万円のお値段になる。総理大臣や高給を食む新聞社の社員ジャーナリストにとっては日常茶飯の価格かもしれないが、今日の昼食はマクドナルドの100円バーガーで済ませようか、コンビニのおにぎり2個で我慢しようか、あるいは頑張った自分にご褒美だから「天や」の500円の天丼で豪遊しようかという具合に、このデフレ不況下、減る給料、導入されるかもしれない消費税増税に怯え、財布のひもを絞れるだけしぼって生活防衛に走らざるをえない普通の国民、すなわちブログ主のような人間の感覚からすると目の球の飛び出るほどの高価格店だ(あえて高級とは言わない)。

この時期に、この価格の料理店で、新聞社の社員ジャーナリストが、時の最高権力者と忘年会をするというのはどういうことなのだろうか。

国民の知る権利の付託に応え、時の最高権力者にインタビューし、本音を引き出し、政治過程に影響を与えることはジャーナリストの職分ともいえるものだから、新聞社の社員ジャーナリストが、総理大臣と会うことは自体は正当な職務行動である。

だが、同時に彼らは、不偏不党にして中正公平な立場で可能な限り客観的な報道と論評をおこなうことを社是であるとか綱領としているはずの各新聞社の社員ジャーナリストである。

そうであるからには、そのような方針を掲げている新聞社の社員として、取材対象と蔓んでいるとか、あるいはグルになっているなどとあらぬ疑いをかけられるようなことをしてはいけないことになっているはずである。

そこで、今回の会食だが、社員ジャーナリストが総理大臣と、昼日中に、官邸などの執務場所で、ただ単に会ったということではなく、夜に料理店で忘年会をしたということであり、すなわち懇親をしたということである。

懇親とは、読んで字のごとく、懇ろに親しむということだ。

なぜ、彼らは、政権党である民主党の内部で、主導権を争うグループの一方の旗頭でもあり、いわゆる世論調査での支持率ががた落ちしている総理大臣でもある人物と、この時期に、彼らの大好きな言葉で言うと、「庶民感覚」とか「国民目線」からは目の球の飛び出る高価格の料理店で忘年会をやり、懇ろに親しんだのか。

「庶民感覚」や「国民目線」からは、「李下に冠を正し、瓜田に履を直」したと言われてもやむを得まい。つまり、菅直人と蔓んで、あるいはグルになって、小沢一郎氏追い落としの陰謀をめぐらしたなどと疑われてもしかたがないということだ。

彼らは、自分たちが国民の知る権利の負託に応え、不偏不党の立場から中正公平な報道に努める社会の公器としての新聞企業の一員であり、社会の木鐸としてのジャーナリストであると自負するなら、これまた彼らの大好きな言葉で言うと、自分たちのしたことについて「説明責任」がある。