小沢一郎はソクラテスか

小沢一郎氏を見ていると、あのソクラテスのことが浮かんできます。

ソクラテスは、アテネの市民に「よき市民とは」「よきポリスとは」と問いかけ続けた挙げ句の果てに、市民参加による裁判で死刑を宣告され、自ら毒杯をあおぐ刑の執行を従容として受け入れたのでした。

小沢氏も、国民に「自立した国民とは」「自立した国家とは」と問いかけ続けてきましたが、いわゆる「政治とカネ」という大手の新聞・テレビをあげてのネガティブキャンペーンの前に、今般の民主党代表選では残念な結果に終わりました。

しかし、以後の西洋思想史では、ソクラテスの死をめぐる「ソクラテス問題」が現代に至るまで、哲学の重要なテーマとしてあり続けています。いわく「ソクラテスはなぜ死ななければならなかったのか。」

同じく、わが日本国でも「小沢一郎問題」は問題であり続けるでしょう。なぜこれほどまでに小沢氏はマスコミのネガティブキャンペーンの対象であり続けるのか。

もちろん、ブログ主は、「小沢一郎問題」とすることで、小沢氏自身のことを問題としているのではありません。そうではなくて、理由もなく小沢氏にネガティブキャンペーンの矛先を向けるマスコミのことを問題にしているのです。

以後の日本の歴史では、「なぜこの国のマスコミは、不世出の政治家である小沢一郎に理不尽なネガティブキャンペーンを張ったのか」が問われ続けることでしょう。