権力闘争

小沢一郎氏が、検察審査会の決議を受けて、「これは権力闘争だ」と側近に語ったという。

まさにその通り。

いま、わが国で行われているのは、主権を、高級官僚とマスコミから、国民の手に取り戻す権力闘争だ。

憲法には、主権は国民にあると書いてあるが、実体は違う。

タテマエでは、国民が選んだ議員が、国民に代わって権限を行使し、法律や予算を作ることになっているが、実際にはほとんどすべてが官僚の書いた筋書きにそって動いている。これに異を唱える人や組織が現れると、マスコミが嘘八百を並べ立ててキャンペーンを始め、葬り去ろうとする。大勢に流されやすい傾向を持つ国民がこれに洗脳され、そうだ、そうだと同調する。検察審査会の平均年齢30歳というメンバーがまさにそうだ。そして、すべては官僚組織の思うとおりにことが運ぶ。

小沢氏は、このような、憲法の国民主権原理がないがしろにされている異常事態を革(あらた)め、主権を国民の手に取り戻すための闘争の先頭に立っている。

国民が主権を行使する、唯一の機会は選挙の投票だ。だから、小沢氏は選挙を大事にする。選挙運動を通じて、主権者である国民と対話し、国民の意向を肌身で感じようとする。主権者としての自分たちを大事にしてくれることがわかった国民は、小沢一郎氏の強固な支持者となる。愛想がないだとか、TVにチャラチャラと出て実力もないのに名前だけ売ろうなどというさもしいことをしないとか、本質的でないことは評価の対象にしない。さらに、小沢氏の言動を通じて、高級官僚とマスコミ連合軍の策動がどれだけわが国と国民の利益を損ねているかを理解するから、これに対しても厳しい視線を向けるようになる。

このことがわかっているから、高級官僚とマスコミは必死になって小沢氏をたたいている。小沢氏こそが、自分たちの既得権という砦を滅ぼす軍勢の総大将だから。「小沢をたたけ、小沢を亡きものにしろ」というのが彼らの合い言葉だ。自分たちの手から権力と既得権を奪われまいと死にもの狂いになっている。この姿勢はほとんど本能的である。高級官僚やマスコミの連中はもともと権力志向が強いから、その職業を選んだわけで、そうした権力志向の連中がいったん味わった権力のうまみを簡単に手放すはずがない。

われわれが、主権者とは名ばかりの、高級官僚・マスコミ連合軍にいいようにあしらわれる二流国民の状態に甘んじたくないなら、とるべき道は一つ、主権を国民の手に取り戻す闘争の先頭に立つ小沢氏を支援する行動をできる範囲でやることだ。

ブログ主は、次のことを実践している。

新聞の購読をやめる、テレビのワイドショーは見ない、NHKに電話して偏向報道をやめるよう要請する、身近な人々に、機会あるごとにマスコミの政治報道、とりわけ小沢氏の「政治とカネ」の話が嘘であること噛んで含めて説明する。

道は遙かに続き、日が暮れてなお目的地は見えない。多勢に無勢、どうせ自分一人が動いたってどうにもならない、やめたやめた、というわけでついつい日常の些事にかまけてこの戦いをあきらめてしまいたくなる。ありがちなことだが、そのような気持ちが起こったときには、あきらめることによって喜ぶのは、われわれに不幸をしわ寄せして恥じることのない高級官僚・マスコミ連合軍であることを肝に銘じ勇猛心を奮い起こすことである。