官房長官の仙谷某が、「俺は、小沢が落ちた司法試験に合格した。だから、俺の方が偉いんだ。」という趣旨のことを述べたという。
語るに落ちる、とはまさにこのことだ。
この人物が、司法試験に合格したのは、多分、20歳代の頃、つまりは40年ほど前のことだろう。その40年前のことを、今このときに持ち出し、小沢一郎氏との比較に使う、その了見の狭さ。
つまり、この人物は、60年あまり生きてきて、40年前の、まあ、ガキの頃のことしか小沢氏と比較するものがないという、まことに貧寒な人生を送ってきたということなのだ。
たとえ司法試験だろうと、入学試験だろうと、どんな試験にせよ、合格したかどうかは、そのとき一時のこと、合格したにせよ、不合格だったにせよ、人間の値打ちというものは、その後の人生をどう生きるか、あるいは生きてきたかということによって決まる。
それを、40年も前の、問題にもならない昔のことを問題にするバカさ加減。
よくいるんだよ、こういう手合いが。
どこそこ大学を出た、どこそこ高校を卒業した、と30年も、40年もたってなお、人生の一大事であるかのように話題にするおめでたい人。
こういう人は、何十年も生きてきて、結局、そのことしか自慢するものがない、あるいは生きていく手がかりがないという、実に薄っぺらな結果しか手にしていない哀れな人なのですね。
仙谷某について言えば、この男、内心、小沢氏にはとても敵わないと思っているんでしょう。人物、器量、政治的見識、統率力、どれをとっても、両者には天地雲泥の差がある。比べるのも愚かなほどだ。
それが本人には痛いほどわかるから、こんなことを言うことでしか自分を慰めることができないんだろう。
そぞろ哀れを催す。
哀れを感じるのは、仙谷某に対してだけではない。こんな人物を代議士にする選挙区の選挙民、こんな人物に手玉に取られる民主党の反小沢派の国会議員等々。
何だろうね、この人たちは。まあ、選挙民は素人だから騙されていると言えなくもないが、国会議員は玄人なんだから、騙されているとは言えないよ。ということは、反小沢の国会議員は、この仙谷某とどっこいどっこいということか。