自分に甘く他人に厳しい日本経済新聞

昨日、電車内で乗客が読んでいる日本経済新聞(日経)の見出しにこうあった。

「規制改革 薬品販売をインターネットで」

記事の内容は、まあ、どうでもよい。この新聞社の社是は、規制撤廃・自由化万々歳なのだから、薬品販売が対面方式で資格のある者にしかできない、つまりインターネットではだめだという「規制」について、撤廃しろという論調で書かれているのだろう。

ここでは、薬品販売について、有資格者による対面販売に限定するのがよいのか、インターネット販売をもっと拡大するのがよいのか、には触れない。

問題にしたいのは、日経の新聞社としての根本的な姿勢である。

ご存じのように、新聞の値段は、ほとんど各社横並びで、しかも、販売店によって値段が違うということがない。これは、再販売価格維持制度(以下、再販制)なるものによって、新聞社が新聞販売店に対して、指定する価格でしか販売させないよう縛りをかけているからだ。

新聞社が新聞販売店に売る価格=卸売り価格に対して、新聞販売店が消費者に売る価格=小売り価格を、元売りの新聞社から見て2段階目の販売価格になることから、「再」販売価格と呼ぶ。この価格が、元売りの新聞社から見れば自分の望み通り維持されているから、再販売価格維持制度という。ややこしいですな。

これはおかしい。

身近な商品、たとえば食料品や日用雑貨を考えるとこのおかしさがリアルにわかる。

同じメーカーの同じ商品でも、店によって販売価格は異なる。スーパーだろうが専門店だろうが、小売段階では少しでも多くお客さんに買ってもらおうと、骨身を削って安売り競争をしている。日経が大好きな競争をね。

メーカーが小売りに対して定価販売を強いるようなことがあれば大問題になる。だから、メーカーでは価格を表示しないか、表示しても「希望小売り価格」とするのを忘れない。あくまで、小売りに対して、できればこの値段で売ってください、そうしてくれればメーカーの卸値も下げずに済み、利益も確保できるからという希望にすぎない。

ここで、ちょっと市場経済についてお勉強。

日本やアメリカ、EU諸国などは資本主義経済をやっているとされる。資本主義経済とは何か、ということについてはさまざまな定義の仕方があるが、ここでは市場経済がその核にあるとしておこう。

その市場経済だが、市場というと、一般消費者(つまり生活者ですな)と小売業の皆さん(八百屋さん、魚屋さん、スーパーなどですな)との取引が真っ先に思い浮かぶが、そればかりではなく、至るところに市場はある。学生さんが内定をもらえず苦しんでいる就職活動も、企業などの買い手と学生さんなどの売り手からなる労働市場が舞台だし、メーカーと卸・小売りとの間の取引関係も市場ということになる。

こうした市場での売買・取引では、ふつう、売り買いされるものは、需要と供給の大小によって、値段が上がったり下がったりする。この値段の上がり下がりが、逆に需要の大小を調整し、結果として、極端な品不足もなければ極端な売れ残りも生じない、過不足のない状態が実現する。

これを、経済学なる世界の人々は、希少な資源の最適配分を実現する市場の価格調整機能、などと呪文のごとき文句で表現する。

まあ、簡単にいえば、この市場の価格調整機能によって、ブログ主は、欲しいと思ったものを、お金さえあればだが、いつでも店に出かけて手に入れることができるというわけなのだ。(おかげさまで、ありがたいことです。)

というわけで、この市場の価格調整機能を妨げるような行為については、人々の円滑な日常生活を損なう犯罪として法律によって厳しく戒められている。

その法律は、日本では、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律、略して独占禁止法という名前がつけられている。(以下独禁法)

ここで確認しておきたいのは、価格調整機能を妨げる行為は犯罪だということだ。犯罪というからには、加害者と被害者が必要だが、ここで、加害者は、価格調整機能を妨げる行為によって不当な利益をあげる者、被害者は、価格調整機能を妨げる行為によって不当に利益を損なわれた者、になる。市場を舞台にした犯罪だから、加害者は生産者、メーカー、供給者、発注者であり、被害者は消費者、卸業者、小売業者、下請け業者ということになる。

ここまでお勉強したところで、新聞の値段と再販制に戻る。

日経をはじめ、日本の新聞社は、ブログ主の知る限りすべて、再販制によって、小売り(新聞販売店、駅のスタンドですな)に対して定価販売を強いている。

この再販制による縛りがなければ、販売店やコンビニによって、より多くの読者を獲得するため、新聞の値引き競争が試みられるかも知れない。値引き競争が熾烈になれば、販売店やコンビニが、元売りの新聞社に対して卸売価格の引き下げを要求するだろう。新聞社と販売店やコンビニとの間の取引関係、すなわち市場が、日経の大好きな、規制のない自由な競争がおこなわれているのなら、新聞の価格は下がり、新聞社の利益も減少するだろう。

ところが、現状はといえば、再販制の縛りが効いて、新聞社と販売店などとの間の市場では自由な競争が行われていない。行われていないから、日経を始めとする新聞社は、自由な競争が行われている場合に比べて、不当な利益を上げている。不当な利益を上げているからこそ、日経を始めとする新聞社は、異常に高い給与体系を維持できるのだろう。反対に、小売業者である販売店などと消費者である読者は、自由な競争が行われていれば実現しているであろう価格よりも高い値段で新聞を仕入れさせられたり買わされたりすることによって、不当に利益を損なわれている。

つまり、簡単にいえば、日経を始めとする新聞社は、市場の価格調整機能を妨げる行為=犯罪を、公然とやらかしていることになる。

なぜ、あの、小沢一郎氏に対しては、「政治とカネ」という根拠のないデマをこれでもかと浴びせかける日本の大新聞が、白昼堂々、法律違反をやらかすことができるのか。これが、実に不思議、日本の大新聞による手品みたいなトリックがそこにはあるのです。

そのトリックとは、独禁法の例外として、新聞の値段に再販制を認めさせていることなのだ。

新聞以外に、雑誌・書籍・音楽ソフトについても、再販制が認められているが、はたしてこれらの商品を独禁法の例外とすることがいいことなのかどうかは今は触れない。

認めさせている理由は、おそらくこういうことなのだろう。(ブログ主が、たとえば、大新聞の幹部の立場なら、そう言いますな。)

新聞は、民主主義の基礎である国民の知る権利を守るという尊い使命をもっている、その尊い使命をもつ新聞が、安売り競争に巻き込まれて、経営状態が危うくなるようでは、国民の知る権利自体、民主主義自体が危うくなる。だから、新聞が不当に安売りされないように、再販制という規制によって守られなければならない。

………!?

うーん、こういうのを、「夜郎自大」とか「噴飯物」というのだろう。

まあ、百歩譲って、そういうことだとしても、それは、新聞が、本当に、国民の知る権利に役立っている限りにおいてのみだ。

ところが、どうだ。

現今の日本の大新聞が、国民の知る権利に役立っている?

嘘だろう。

特捜検察の筋書き見込み捜査情報を垂れ流し、「政治とカネ」のデマ宣伝で、知る権利を守るどころか、国民の目を晦ましているのはどこのどなたか。その大新聞が、言うに事欠いて、国民の知る権利を守るだなんぞとは、脳死状態の朝日新聞社説の名文句を借りれば、「開いた口がふさがらない」

ここで締め。

日本の大新聞の中でも、とくに、規制緩和万歳、市場経済万歳の日本経済新聞は、自分たちが、再販制という規制によって守られ、市場経済における自由な競争を妨げ、不当な利益を上げるという犯罪を日々重ねていることについて、あなた方の大好きな言葉で言えば、説明責任がある。ブログ主が、代弁したような説明では、これまた新聞の常套句「まだ説明責任を果たしていない」だよ。

ちなみに、日経が市場経済のご本尊として崇め奉るアメリカ合衆国では、新聞は再販制の対象ではない。

まったく、この連中ときたら、自分のことについては大甘のくせに、人には、口を開けば、規制緩和だ、自由な競争だなんぞと、よくも恥ずかしくなく言えたものだ。

罰が当たるよ。