フレッド・アステアとジンジャー・ロジャース

フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースの『トップ・ハット』の一場面が使われているというので『グリーンマイル』と『カイロの紫のバラ』をDVDで見た。

両方とも、アステアが歌う Cheek to Cheek に合わせて二人が踊るシーンを使っている。Cheek to Cheek は、ご存じ、あの ~Heaven, I’m in heavenで始まる、アーヴィング・バーリン詞・曲の名曲。

『グリーンマイル』は面白かった。

Cheek to Cheekの歌詞そのままに、『トップ・ハット』を天国的な雰囲気をもつ映画として扱い、無実でありながら電気イスによる処刑を目前にした死刑囚にこの場面を見せることで、彼の魂の救済を、ということはつまり映画の観客の魂の救済を図っているようだ。

『トップ・ハット』の製作関係者が(存命なら)この映画を見て、自分たちの製作意図がきちんと理解されたことを納得するだろう。『グリーンマイル』からは、60年も前に作られたこの映画に対する敬意のようなものも感じられる。

『カイロの紫のバラ』はそうではない。

映画のラストで、不器用で夢見がちな、生活に行き詰まった、映画ファンの人妻である女主人公が、夢破れて希望を失いながら入った映画館で見るのがこの場面。はじめはうなだれて沈んだ表情だったものが、流れる音楽に顔を上げ、やがて画面を見つめる瞳に喜びが浮かんでくるという決定的な場面でこの場面が使われているのだが、その使われ方はシニカルだ。映画なんぞという絵空事、すなわち『トップ・ハット』を見て、いっとき、厳しい現実を忘れたって、映画館を一歩外に出ればたちまち元に戻るのだと宣告しているようなのだ。

なんだか、ラストまでつきあった観客、すなわち自分にざーっと冷水を浴びせられた気分である。後味が悪い。『トップ・ハット』をそんな風に使わないでくれと言いたくなる。

そんな風に使わないでくれといえば、『時計じかけのオレンジ』でも、暴行犯人が 『雨に唄えば』の Singin’ in the Rain を口ずさみながら行為に及ぶ場面があったが、あれもいけない。あれを見て以来、Singin’ in the Rainを口ずさむたびに、『時計じかけのオレンジ』のこの場面を思い出してしまう。

ああ、いやだ。