総理大臣の任命責任

外務大臣の前原某が辞任した。昨日の参議院予算委員会で、野党が、前原某を外務大臣の地位に付けた菅直人総理大臣の任命責任を追求した。

外務大臣を任命した責任?

それを言うなら、こんな菅直人を総理大臣に任命した責任だろう。

では、誰が菅直人を総理大臣に任命したのだ。

それは決まっている。昨年9月の民主党代表選で、菅直人に投票した民主党の国会議員、地方議員、党員・サポーターである。

これまでも繰り返し述べてきたが、代表選当時の公開討論や記者会見における小沢さんの政見や抱負と、菅直人のそれとを比べれば、一目瞭然、どちらが総理大臣にふさわしいかは火をみるより明らかだった。

それなのに、菅直人に投票した民主党の国会議員などの暗愚。さらには、彼らが菅直人に投票するようにそそのかした、「政治とカネ」のデマ宣伝の新聞・TV。

これらの連中の責任は山よりも大きく海よりも深い。

[蛇足]

菅直人を総理大臣に任命したのは形式的には天皇だが、実質的に任命したのは国会で、とりわけこれについて優越的権限をもつ衆議院だ。だから、衆議院議席の過半数以上を持っている民主党の代表を決める選挙が実質的な総理大臣決定選挙だった。

経済団体の幹部は何時からそんなに偉くなったのだ

日本経団連や経済同友会の幹部が、国家予算の成立を妨げる議員は給料泥棒だとか、予算の成立に反対するのは無責任だとか、しきりに発言して、政治にくちばしを入れている。

この連中は、何時からそんなに偉くなったのだ。

全国的な経済団体の幹部といったって、しょせんは、企業家の集団に過ぎない。彼らの最大の関心は、自分たちの企業や業界の個別的かつ局所的な利害にあり、それ以上でもそれ以下でもない。

しかるに、国家予算の関わるところは、国民全体の福利であり、天下国家の行く末である。一企業家やその集団の利害関心を遙かに越えている。

主権者である国民は、その遙かに大きな問題の解決を、自らが選んだ国会議員に付託したのだ。来年度予算をどうするかは、国民の代表である議員に委ねられているわけで、早期成立を図るもよし、異議ありとして精査した結果、成立が遅れるもよし、である。遅速いずれにしても、国家予算は政治課題の中の政治課題であり、政治そのものである。

政治つまりは予算が、良いものなのか悪いものなのかは、国民が選挙において判断する。これが民主政治というものだ。

それを、経済団体の幹部が、上から目線で偉そうに説教を垂れる。いったい、何様のつもりか。企業家は、自分たちの商売に専心しておればよいのであって、そんな無駄口をたたく暇があったら、良い商品を少しでも安く供給できる努力をすべきである。それが彼らに天から与えられた役割なのだ。分をわきまえよ。

また、議員諸公は、このような分をわきまえない連中の不遜きわまりない発言には、大いに怒らなければならない。献金を受けているスポンサーだから、何にも言えないなんぞとは口が裂けても言ってはいけない。

別会派を作った民主党16議員への処分

今日、民主党役員会が、衆議院本会議での予算採決に際して欠席した16議員を処分することを決めた。代表の一人を6ヶ月の党員資格停止、他の15人は厳重注意だという。

これは、菅直人執行部の全面敗北だ。予算採決に欠席、しかも、菅直人一派のマニフェスト違反の予算だからこういう対応もあり得るとの事前通告ありの欠席だ。菅直人執行部としては、衆目の前で、顔に泥を塗られたも同様のことで、本来であれば、除名処分をしなければならないケースだろう。

それなのに、この程度の処分しかできないとは、すでに、菅直人執行部が、執行部としての態をなしていないことを、自ら認めたに等しい。

ところが、日本の新聞・TV。例によって例のごとく、この程度の処分では甘いとかなんとかと、菅直人執行部の尻たたき。死に体の菅直人執行部の尻を叩いたってどうにもなるものではないのに、何を考えているのか、この間抜けな連中は。状況がちゃんと見えているのか。いやいや、このあきれた報道ぶりを見ていると、彼らは、もはや、目も見えず耳も聞こえないのだろう。

イヤー、怖いったらありゃあしない。わが日本国では、目が見えず耳が聞こえない連中が、社会の目となり耳となるはずのジャーナリズムをかたって、ニュースと称する嘘八百を時々刻々垂れ流しているのだから。

ニュージーランド地震と言論の自由

どこの人間社会にも程度の差はあれ、流れや、空気といったものができあがると、その流れや空気に異を唱える人々を、時には暴力を使ってでも排除しようとする、全体主義的とでも集団主義的とでも呼べるような傾向がある。異を唱えることは、社会の秩序を壊すウィルスだから即刻、排除しなければならないというわけなのだ。

わが日本社会はその傾向が強いのだろうか、大きなイベントや事件・事故が起こると、一億一心火の玉になってしまい、いささかでもそのことに疑問を呈すると、非国民扱いが始まる。近頃は、個人主義が浸透してきたせいか、一時ほどではないが、まだそのことは色濃くあるように思う。

このたびのニュージーランド地震に関連して、一部政治家の言動や、新聞・TVの物言いに、このことをあらためて強く感じた。

例えば、民主党の松木健公氏が農水政務官を辞任するに際して、官房長官の枝野某の「地震対応に政府一体で取り組む中で大変遺憾で残念だ」(日経)という発言、自民党幹事長の石原某の「ニュージーランドで邦人も含めて、多くの方々の生死が取りざたされている中で、うちわもめをしている余裕はなく、世界に対しても恥ずかしいことだ」(NHK)という発言。

これらの発言は、先の戦争中、「この非常時にパーマをかけるとはけしからん。非国民!」などと言い募り、どんなときでもお洒落を忘れない女性の鏡のような女性を辱めた世の中の全体主義的な風潮と五十歩百歩ではないかと思う。

地震で被災された方々には同情するし、被害にあったわが同胞が一刻も早く救出されることを願うが、しかし、遠く離れた日本で、官民ともできることは限られている。日本政府としても救助隊派遣などできることとやるべきことをしながらも、それはそれとして、その他もろもろの内政外交課題に取り組まなければならないのは自明の理である。

そうした自明のことをわきまえず、かの地の地震と、この地の内政課題を一緒くたにして、松木氏の正当な政治的行動をおとしめようとする政治家と、その発言を無批判かつ肯定的に伝えるマスコミの振る舞いは、他国の地震災害への同情に名を借りた言論封殺と同じであり、人間社会の悪い癖である全体主義的・集団主義的風潮を助長するものだ。

[追記]

ニュージーランドは、日本と同様の島国で、火山もある地震国だったと思うが、それなのに耐震性ゼロのレンガ造りの建物があったとは驚きである。ニュージーランド政府は、暴力的な反捕鯨活動を実行しているシーシェパードなる団体の船舶の同国寄港を認めていたと思うが、クジラの命は大切にするも、人間の命は大切にしないのか。わからない国だ。

松木謙公・農林水産政務官の辞任と負け惜しみをする菅直人

松木謙公・農林水産政務官は、24日、小沢さんに対する菅直人執行部による処分に抗議して、辞任した。松木氏があげた辞任理由は次のようなもので、小沢さんや小沢さんに共感する人間には党内で基本的人権が認めれていないことや、菅直人執行部のTPP参加や消費税増税発言など論議なしの非民主的な党運営への異議ということだが、至極もっともなことだ。

ブログ主は、松木氏の決断と行動を支持する。

ところで、菅直人が自分の指導力のなさを天下に見せつけられたものだから、やはりというか、案の定というか、負け惜しみをしている。

松木氏は、直接、辞表を提出するつもりだったが、任命権者の菅直人は、ニュージーランド地震の対応に専念するとして難色を示し、会わなかった。

ニュージーランド地震の対応だと?

そんなことを理由にして、自分が任命した政務官の辞表受け取りから逃げるのか。どこまで小ずるいのだ、この菅直人という男は。バカ女房が側にいないとなにもできないのか。

一人前の男なら、敗北を素直に認めて辞表の受け取りぐらい自分でやれ!

小沢さんのどこから見て正当きわまりない主張

今日、小沢さんが、民主党の倫理委員会に出席し、検察審査会による起訴が、党の「倫理規範に反する行為」に該当するという菅直人執行部の無理無体な言いがかりに、正々堂々と反論した。

小沢さんの考えは、「倫理委員会の皆さんへ 私の主張」(後掲)に尽くされており、倫理委員会すなわち菅直人執行部は、小沢さんの主張に対し、自分たちがなぜいわれなき言いがかりをつけたのか、説明する責任がある。

しかし、案の定、菅直人執行部は説明をしないまま、小沢さんの処分を強行しようとしている。処分理由に対する反論に回答しないまま処分を強行することは、自分たちに理がないことが分かっているからだ。理がないままに、党の大恩人を処分するような菅直人執行部に、明日はない。

[小沢さんの民主党倫理委員会に対する主張全文 ]

「倫理委員会の皆さんへ 私の主張」

平成二十三年二月二十二日

衆議院議員 小沢一郎

党倫理委員会の皆様、このような機会をいただいたことに心から感謝申し上げます。

一昨年来、私の政治資金管理団体にかかわる件について、国民の皆様、同志の皆様にご心配をおかけしていることを、まずもってお詫び申し上げます。

さて二月十四日の民主党役員会、十五日の常任幹事会において、元秘書が逮捕・起訴された事実について、私に対し検察審査会により起訴手続きがなされたことは「倫理規範に反する行為」に該当すると判断したとのことですが、本日は倫理委員会の皆様に私の考えをお伝えし、また委員の皆さんのご所見を伺いたく参りました。どうぞよろしくお願い申し上げます。

一. 検察審査会の起訴と、通常の検察による起訴との違いについて

役員会・常任幹事会は、私が、収支報告書の虚偽記載につき共謀したという容疑が真実であるか否かにかかわらず、単に起訴されたという事実をもって処分の根拠としていますが、今回の検察審査会による起訴を通常の起訴と同視することはできないと考えます。

一連の問題に関し、一年余にわたる東京地検特捜部の徹底した捜査により、多数の書類を押収され、秘書・元秘書は身柄を拘束された上で取り調べを受け、私自身も四回にわたって事情聴取に応じてきました。結果、私については不起訴処分、さらに、一回目の検察審査会の起訴相当議決後の再捜査でも再び不起訴処分となりました。検察審査会の議決にある通り、検察審査会制度は「国民の責任において、公正な刑事裁判の法廷で黒白をつけようとする制度である」とのことです。検察審査会の議決による起訴は、検察の起訴のように有罪の確信があって行うのではなく、法廷で「白黒」をつけるために行う、つまり迷ったから裁判の手続きに乗せようと、当の検察審査会自身が述べているわけです。

また今回、検察官役を担われる指定弁護士も、記者会見において「有罪だと確信したから起訴したのではない。議決があったから起訴した」「私たちの職務は必ずしも有罪だと確信したから起訴するのではなく、法令上、起訴しない条件がなかったから起訴した」と述べたと聞いており、今回の起訴の性格を指定弁護士自身の発言が物語っております。

この点について、倫理委員会の皆さんは、検察審査会による起訴手続きと、検察による通常の起訴の違いについて、どのようにお考えになっているのか、お伺いします。

二.検察審査会の起訴議決が有効であるか否かについて

役員会・常任幹事会は、今回の検察審査会の起訴議決に基づく起訴が有効であることを前提に処分の判断を行っていますが、そもそも検察審査会の起訴議決自体に手続違反があります。

東京第五検察審査会の二度目の議決には、不起訴になった事実以外も議決の対象となっております。つまり一回目の議決と二回目の議決の内容が異なっているのです。被擬事実でもないことについて審査の対象となるのであれば、いかなる無辜の民であっても審査の対象となり、いわれなき容疑によって強制的に起訴されることとなりかねません。公人中の公人であり公選による衆議院議員にとっては尚更であり、到底認められません。

私は、検察審査会の議決の有効性についても行政訴訟により争ってまいりました。この点につき、最高裁は、「刑事裁判の中で主張しうる」との判断を示しており、今後の刑事裁判の中で起訴議決の有効性自体についても争ってゆくこととなります。

さらに、起訴議決に至った最大の証拠である石川議員の供述調書についても、再捜査の取調べの際に担当検事の誘導等があったことを示す録音が存在しており、この供述調書の任意性、信用性が否定されれば公訴取消しも十分にあり得ます。

また検察審査会自体、議事録も公開されておらず、第一回目の議決の際と第二回目の議決の際の構成委員の平均年齢が、本来入れ替わっているはずであるにもかかわらず三十四・五五歳と同じであって、そもそも一千万都民の中から無作為抽出によって委員を選任した場合に、平均年齢が三十四・五五歳となる確率はほとんどゼロであることに加え、二度の審査委員会委員の平均年齢が同じとなることなど、偶然にしてもあり得るはずもないこと、審査補助員の弁護士に支払われた旅費の日付が、報道による審査補助員就任時期以前のものまで含まれており、ルールに則った審査が行われたかどうか疑わしいこと、議決前には担当検事による不起訴理由の説明が必要ですが、ほんとうに担当検事が議決前に検察審査会に出席したかどうか定かではないことなど、その経過も内容もまったく公開されておらず、全て秘密のベールにつつまれております。一千万都民のなかから無作為で選ばれたとされる十一人の検察審査会委員の素性はもちろん、審査の過程も明らかにされていないのであります。果たして検察審査会による議決が、「国民の責任」といえるだけの正当性を有しているのか、はなはだ疑問であります。

倫理委員会の皆様は、検察審査会の起訴議決の有効性について、どのように判断されているのか、お伺いします。

三.元秘書3名が逮捕・起訴されたことについて

役員会・常任幹事会は、元秘書三名が逮捕・起訴されたことを処分の理由としていますが、これまでは秘書がその容疑を認めた場合がほとんどであり、しかも秘書の逮捕・起訴を処分の理由にした例はないと記憶しております。

他方、私の元秘書三名は、一貫して無罪を主張して参りました。無罪を主張しているからこそ、他の秘書の件とは異なり、強制捜査の対象となり、現在は公判廷において無罪を争っているのであります。この中で先にも申し述べた通り、取調べの際に担当検事の誘導等があったことを示す録音が証拠として採用され、証拠をねつ造したとされる検事による調書の証拠採用が見送られるなど、裁判の今後の成り行きが注目される中、自らの罪を認めた秘書の事例と同列に私の問題を論ずることには違和感を憶えざるを得ません。

この点についての倫理委員会の皆さんのご所見をお伺いいたします。

四.衆議院政治倫理審査会への出席について

私は、昨年十二月末に政治倫理審査会への出席を言明いたしました。

私の弁護団は、刑事裁判中に政倫審に出席して自己に不利益な供述を求められることは、場合によっては裁判において不利益を被りかねず、憲法の人権保障の趣旨に反するとの意見でしたが、私は、国民生活に不可欠な予算の成立に必要であれば、党のために政治倫理審査会に出席すると申し上げたところであります。出席を拒否してはおりません。

政治倫理審査会が未だに開催されていないのは、国会運営上の都合によるものと思います。

倫理委員会の皆さんのご所見をうかがいます。

五.党員資格停止の不利益遡及について

私はもとより処分を受けるいわれはありませんが、今回の党員資格停止処分の期間について、「党員資格停止期間中の権利制限等の指針」によれば、最長六ヶ月とされているものを、一般職公務員の起訴休職を類推して「判決確定までの間」とされている点についても、前例はなく理解に苦しむところであります。党において規約や指針があるにもかかわらず、定められた以上に不利益を適用することは、法治国家のあり方からしても、また民主主義の国の政党のあり方としても、著しく不穏当であります。これでは規則や指針を定めている意味がありません。

倫理委員会の皆さんはこの点についてもどのようにお考えか、お聞かせください。

以上申し述べて参りました通り、私に対して発議されている今回の処分はいずれも前例がなく、なぜ私だけがこのような処分を受けるのか、合理的な理由は見当たりません。

倫理委員会におかれましては、ただ今申し上げました私の主張について、書面によりご回答下さいますようお願い申し上げます。

今後私は、全国民に開かれた法廷の場において、これまで通り真実を述べて参ります。

そして、何よりも、従来から様々な機会で申し上げてきたとおり、何一つ私自身やましいことはありません。これからの裁判において、私が無実であることは自ずと明らかになります。

私は、この二十年間、一貫して政権交代の必要性を主張してまいりました。そして国民の皆様のお力で、ついに民主党政権が誕生しました。しかしながら、「国民の生活が第一。」の政治は未だ実現しておらず、何千万もの国民の皆様とのお約束を中途半端にすることはできません。

今後は、弘中惇一郎弁護士を始めとする弁護団とともに、一刻も早く無罪判決を獲得して参ります。そして、引き続き民主党の国会議員として、「国民の生活が第一。」の政治を実現すべく、私の座右の銘である「百術は一誠に如かず」の言葉の通り、誠心誠意取り組んで行く決意であります。

何卒倫理委員会の皆様のご理解を賜りますようお願い申し上げます。

以上

予算を議論しない衆議院予算委員会の怪

衆議院予算委員会のラジオ中継を聞いていたら、質問者が延々と、政治家と政治資金の関係について議論を繰り広げていた。

予算委員会の、こういう見当違いの議論を聞いていると、いわゆる「政治とカネ」という問題の問題性がいよいよ明らかになってくる。

当ブログが、これまで繰り返し主張してきたように、政治にカネがかかるのは当たり前、むしろより多くの金を集められる政治家はそれだけ周りが期待する実力のある人、大事なことは、誰から、いくら貰って、何に使ったかをすべてオープンにして、それがいいか悪いかは、国民が選挙における投票を通じて判断すればよいことだ。本来、国家予算について議論すべき「予算」委員会で、騒ぐことではない。

その問題にならない「政治とカネ」問題が、国会の予算委員会で、かくまで大げさに問題となるのは、財務省製の官僚主導予算をきちんと議論されると、大いに困る勢力があるからだ。

それは、言わずと知れた、高級官僚の諸君である。予算を微に入り細に渡り議論し、検討されると、予算の処々方々に仕込んだ官僚既得権益が明るみに出てしまう。

いくら、国民がお人好しであっても、国会の場で、延々と税金の高級官僚による私物化の実体を見せつけられれば、怒るだろう。国民が怒って、主権者すなわち納税者として、税金の使途について真剣に考えるようになれば、それは、官僚主導政治を掘り崩す大きな一歩になることは間違いない。

それは、高級官僚の諸君にとって、絶対に避けたいことだ。だから、そうならないように、「予算」委員会で、「予算」が議論の対象にならないような工夫が必要になる。その工夫が、いわゆる「政治とカネ」というわけなのだ。

これも、当ブログで指摘したように、小沢さんの、いわゆる「政治とカネ」なる問題は、高級官僚の代表選手である特捜検察が、こういう工夫の一つとして創作したファンタジーに類するものだ。

せっかくの予算委員会で、予算を議論せずに、問題にもならない「政治とカネ」の問題ににうつつを抜かしている議員諸公は、高級官僚の手のひらで踊らされている哀れなピエロである。

国益とは何か

新聞・TVの社員ジャーナリストは、「首相をころころ変えるのは国益に反する」などと言う。

ころころ変わるのは、なんのためかといえば、彼らが愚にもつかない「世論調査」で、「空気」をつくり、ころころ「変える」からだろう。

バカを言っちゃあいけない。自分たちで原因を作っておいて、その結果を「国益」に反するだなどというのは、天に唾するようなものだ。

「国益」もかわいそうなものだ。新聞・TVの社員ジャーナリスト風情が、自分たちの不始末をゴマカすために使われるとは。

「国益」などという大事な言葉は、彼らのように間違って使ってはいけない。

本当に使うべきは、例えば、次のような文脈においてである。

この極東の島国で、1億2000万人余が、平和で幸福に、誇りを持って暮らしていくためには何が大切か。すなわち、何が、日本国民にとっての利益になるのか、つまり国民益=国益になるのか。

高級官僚や新聞・TV、菅直人や自民党が「日米同盟関係が最重要」言い募るように、混乱して沈みかけている米国を唯一のパートナーとして、あたかも下駄の雪のごとくに付き従っていくことが国益なのか。

それとも、この、ユーラシア大陸の東端に位置する島国と言う地理的条件をふまえ、真に独立した主権国家として、中国、ロシア、韓国、東南アジア諸国、そして太平洋を挟んでの隣国である米国と、対等にして友好的な国家関係を作っていくことが、国益なのか。

ブログ主は、もちろん、後者が真の国益を実現する立場だと思っている。

ところが、現状はと言えば、この日本列島に、米国の軍隊が基地を置き、治外法権状態のまま、勝手気ままに使いたい放題などという、わが国開闢以来、絶えてなかったことがまかり通っている。これは、第二次世界大戦終結後も、事実上の米国による日本占領が続いている国辱的状態であり、日本国民が主権を行使できないでいるという、およそ国民の利益に反する状態である。

第二次世界大戦の終結後、先輩たちは、経済復興を最優先に働いてきた。おかげさまで、私たちは今、開闢以来、未だかつてなかったような繁栄の中にある。戦争直後の国民共通の夢だった「銀シャリをお腹いっぱい食べる」は、まさに日常茶飯のことになった。

しかしながら、「人はパンのみにて生くるものにあらず」、その志によっても生きるものである。「一寸の虫にも五分の魂」とも「匹夫もその志を奪うべからざるなり」とも言うではないか。おかげさまにて、衣食足りた今、私たちは、独立国家の主権者としての誇りを取り戻すときがきたのではないか。

であれば、その第一歩は、現行の日米安全保障条約を改定して友好平和条約のようなものに変え、日本国内にある米軍基地を即刻撤去し、第二次世界大戦終結以来続いている事実上の米国による日本占領を、一刻も早く終結させることである。

しきりに「国益」を口にする、高級官僚や新聞・TV、菅直人や自民党の諸君に、はたして、このことの自覚のありやなしや。

この国の癌は新聞・TV

ようやく、菅直人の政治家としての命脈が尽きそうである。

あの、サバの腐ったような目つきの菅直人とそのバカ女房が、表舞台から消えてくれることは日本国民と日本国にとって慶賀の至りである。

しかし、昨年9月の代表選で、小沢さんという最良の選択肢がありながら、このような最低の人物に投票し代表に選んだ民主党の国会議員、地方議員、党員・サポーターの責任は重大きわまりない。全員、頭を丸め、滝にでも打たれて、おのれの罪を悔いよ。

しかし、もっと罪が深いのは、「政治とカネ」のバカの一つ覚えを垂れ流し、国民を欺き続けているこの国の新聞・TVである。

本来、人々の曇りなき目となり耳とならなければならないマスメディアが、逆に、人々の目を塞ぎ耳を詰まらせ、小沢さんに関するありもしないデマ情報を刷り込む。

不正な報道を繰り返す新聞・TVは、人々が社会や政治に関して判断する際の材料に歪みを与えることにより、人々の正しい判断を妨げ、結果として、社会や国家のあり方を誤るものである。

このような新聞・TVは、いつの間にか体内に発生し、やがては本体を滅ぼす癌細胞のごときものだ。これを放置すれば、社会や国家が危うい。

不正な報道を繰り返す新聞・TVに対しての治療法は、見ない、読まない、聞かない、の「3ない」が一番効果的だ。

誰も見向きもしなくなれば、彼らも自分たちのしていることがいかに間違ったものであることに気付くことも、あるいはあるかもしれない。癌細胞が自ら萎縮していくことも可能性としてないことはない。

ブログ主は、わが国の新聞・TVが、社会や国家の健全な発展のために尽くすというジャーナリズム本来の役割に目覚め、本道に立ち返るべく、自ら、癌細胞を萎縮させる力を発揮することを願うものである。

久しぶりに筋の通った政治的文書が現れた

17日、民主党の比例代表単独選出の衆議院議員16名が、民主党籍のまま、民主党の院内会派「民主党・無所属クラブ」を退会し、新たに衆議院の院内会派「民主党政権交代に責任を持つ会」、通称「民主党国民の声」を立ち上げた。

16名が、「民主党・衆議院比例代表単独議員有志一同」の名で出した『約束を果たす民主党への回帰宣言』(後掲)は、ブログ主の思いと一致する。したがって、ブログ主は、この宣言に賛意を表明し、この行動に出た有志議員を支持する。

宣言の内容は、簡にして要を得ているので、一読了解可能、誤読の余地はないと思われる。だから、余計な解説は付け加えない。

以上で、本論は終わり。以下、感想を少々。

この16名の議員さんの大半は、2009年総選挙で初めて当選した人たちだという。年齢や当選以前の経験はさまざまなようだが、代議士1年生だからこその、意表を突く新鮮な、しかし、代議制民主政治の本筋をとらえた行動ができたのだろう。ブログ主が、主権者・国民の代表である議員さんに期待するのは、小泉某がやったような中身のない空疎なパフォーマンスではなく、まさに、この宣言のような、論理的に筋の通った確固とした主張であり、新しい集団を創る行動なのだ。

久しぶりに、筋の通った明快な政治的主張に接して、ブログ主は単純に喜んでいる。

『約束を果たす民主党への回帰宣言』全文

「今の菅政権は、国民との約束を果たす本来の民主党政権ではない」 今、民主党議員の多くが強くそう感じている。「国民の生活が第一」の政治理念は、おととしの衆議院総選挙での、民主党と国民との最大の約束だった。しかし今の菅政権ではどんな事態が進行しているだろうか。

総選挙では、予算のムダを徹底的に削り、新たな政策の財源に充てるとしたマニフェストを掲げ、政権交代を実現した。しかし、「予算の総組み替えなどを行う」と主張していたのに、ほぼ手つかずの一方で、先週、菅総理大臣は、「衆議院の任期中上げない」としていた消費税については、「来年度末までに法的な対応をしなければいけない」と発言し、増税への意欲をあらわにした。

菅政権は国民との約束、マニフェストを捨てたのである。

また、政治家主導で日本を立て直すはずが、目玉とされた国家戦略局の設置法案は実現せず、公務員制度改革も反古にされている。官僚に頼り放しだが、尖閣問題や北方領土問題など、もっとも政治主導であるべき案件で失敗すると官僚のせいにする。

菅政権は政治主導の御旗も捨てたのである。

菅政権は、民主党の理念、そして「国民の生活が第一」という国民の皆様への約束をも捨て去ったのである。

菅政権が本来の民主党の政策を捨て、本来の民主党の政治主導を捨て、本来の民主党の国民への約束を捨て去って省みないならば、それは国民が願いをかけた本来の民主党そのものを捨て去ることになる。

そして、このことは、本来の民主党への支持の上に比例代表で当選した我々の存在意義すらも打ち消すことになる。

我々は民主党と国民との約束の上に存在する比例代表の議員だからこそ、本来の民主党の姿とはかけ離れた今の菅政権にはもう黙ってはいられない。みすみす旧来からのしがらみにはまり込み、無原則に政策の修正を繰り返す菅政権に正当性はない。我々は今こそ「国民の生活が第一」の政策を発信し、国民の信頼を取り戻していかなければならない。

しかし、我々は、民主党に対する信頼が地に落ちた今となっても民主党を捨てるつもりはない。歯を食いしばっても、国民との約束であるマニフェストの実現に取り組む我々こそが、本来の、そして真の民主党であるからだ。

従って、我々は、国民との約束を果たす議員集団であることを、改めて国民の皆様に行動で示すために、衆議院での民主党・無所属クラブとは分かれ、新たに院内会派を設立する。そして同志一同が結束して、「国民の生活が第一」の政策を実行すべく今後、行動を展開していくこととする。

2月17日 民主党・衆議院比例代表単独議員有志一同