マスコミの手のひら返し

厚労省の元局長が職務に復帰したニュース。

まるで凱旋将軍のような扱いです。

つい1年前には、「水に落ちた犬に石を投げる」がごとき報道をしていたのに、なんということでしょうか。舌の根も乾かぬうちにとはまさにこのことです。既成大マスコミの皆さんはこんなことをやっていて恥ずかしくないのですかね。もっとも、多少なりとも恥じる心があったなら、こんな仕事はとうの昔に辞めているもしれませんが。

餌を投げたら喜んで飛びつく、これが既成大マスコミの習性だとすると、この習性を利用して既成マスコミの論調を左右することなどたやすいことだと考える人物や組織があったとしても不思議ではありません。

いわゆる「政治とカネ」をめぐる地検特捜部、「財政が破綻するぞ、ギリシャになるぞ、だから消費税10%」と叫ぶオオカミ少年のごとき財務省、彼らから見れば、既成マスコミを操ることなど赤子の手をひねるようなものなのでしょう。

困ったものです。

小沢一郎はソクラテスか

小沢一郎氏を見ていると、あのソクラテスのことが浮かんできます。

ソクラテスは、アテネの市民に「よき市民とは」「よきポリスとは」と問いかけ続けた挙げ句の果てに、市民参加による裁判で死刑を宣告され、自ら毒杯をあおぐ刑の執行を従容として受け入れたのでした。

小沢氏も、国民に「自立した国民とは」「自立した国家とは」と問いかけ続けてきましたが、いわゆる「政治とカネ」という大手の新聞・テレビをあげてのネガティブキャンペーンの前に、今般の民主党代表選では残念な結果に終わりました。

しかし、以後の西洋思想史では、ソクラテスの死をめぐる「ソクラテス問題」が現代に至るまで、哲学の重要なテーマとしてあり続けています。いわく「ソクラテスはなぜ死ななければならなかったのか。」

同じく、わが日本国でも「小沢一郎問題」は問題であり続けるでしょう。なぜこれほどまでに小沢氏はマスコミのネガティブキャンペーンの対象であり続けるのか。

もちろん、ブログ主は、「小沢一郎問題」とすることで、小沢氏自身のことを問題としているのではありません。そうではなくて、理由もなく小沢氏にネガティブキャンペーンの矛先を向けるマスコミのことを問題にしているのです。

以後の日本の歴史では、「なぜこの国のマスコミは、不世出の政治家である小沢一郎に理不尽なネガティブキャンペーンを張ったのか」が問われ続けることでしょう。