政治評論家という名の煽動家

近頃、日本記者クラブというところで、三宅某という政治評論家の肩書きを持つ人物が、講演した民主党幹事長の岡田某に、なぜ小沢を切れないんだ、小沢のなにが怖いのか、切らないと内閣支持率がもっと下がるぞ、という趣旨の質問というか、そそのかしというか、恫喝というか、それらの混合したものというか、をしたという。

この三宅某は、政治評論家ということになっているが、この日本記者クラブでの発言は、反小沢の煽動家のそれである。

日本国では、いつから煽動家が評論家を名乗って、反小沢のプロパガンダを堂々とできるようになったのか。

ブログ主は、日本記者クラブというものの実態を知らない。その名称や振る舞いから推測すると、新聞社やテレビ局に所属する記者たちが集うところらしい。

だから、このときも、その場には新聞社やテレビ局に所属する記者たちが居合わせたのだろうが、この三宅某の発言をどう聞いていたのか。

記者クラブというからには、そこにいる人たちは、一応、客観公平の報道、不偏不党の評論を実践すると標榜しているのだろう。

であれば、三宅某のような煽動家の発言を黙って聞いていてはいけないはずだが、三宅某に対して、なんらか異議を唱えた様子はない。

してみると、この日本記者クラブに所属する記者たちも、三宅某と同様の反小沢の煽動家の集団なのであろう。そして、このクラブに加盟する新聞社やテレビ局も、同様に反小沢の煽動組織なのであろう。

困ったことだ。わが日本国には、煽動組織としての新聞・テレビ局はあるが、ジャーナリズムとしての新聞・テレビ局はないのだ。

「李下に冠を正し、瓜田に履を直」した新聞社の社員ジャーナリスト

23日の夜、都内の日本料理店で、新聞社の編集部門社員、朝日新聞の星某、読売新聞の橋本某、毎日新聞の岩見某が菅直人と会食した。

彼ら編集部門社員三人のうち何人かは、先の民主党代表選の際、日本記者クラブで行われた記者会見で、候補者である小沢一郎氏と菅に質問していたし、また、一人はTVのニュースショーに出て、何やらコメントする姿をかつて見た記憶があるから、彼らは新聞社の編集部門社員、すなわち記者というものであり、したがって日本ではジャーナリスということになるものであろう。

年末のこの時期に、複数の人間が会食することを、世間では忘年会と呼ぶ。すなわち、この会食は、時の内閣総理大臣と新聞社の社員ジャーナリストが忘年会をやったということだ。

この日本料理店は、昼食時間帯でも一人1万円程度、夜になると数万円のお値段になる。総理大臣や高給を食む新聞社の社員ジャーナリストにとっては日常茶飯の価格かもしれないが、今日の昼食はマクドナルドの100円バーガーで済ませようか、コンビニのおにぎり2個で我慢しようか、あるいは頑張った自分にご褒美だから「天や」の500円の天丼で豪遊しようかという具合に、このデフレ不況下、減る給料、導入されるかもしれない消費税増税に怯え、財布のひもを絞れるだけしぼって生活防衛に走らざるをえない普通の国民、すなわちブログ主のような人間の感覚からすると目の球の飛び出るほどの高価格店だ(あえて高級とは言わない)。

この時期に、この価格の料理店で、新聞社の社員ジャーナリストが、時の最高権力者と忘年会をするというのはどういうことなのだろうか。

国民の知る権利の付託に応え、時の最高権力者にインタビューし、本音を引き出し、政治過程に影響を与えることはジャーナリストの職分ともいえるものだから、新聞社の社員ジャーナリストが、総理大臣と会うことは自体は正当な職務行動である。

だが、同時に彼らは、不偏不党にして中正公平な立場で可能な限り客観的な報道と論評をおこなうことを社是であるとか綱領としているはずの各新聞社の社員ジャーナリストである。

そうであるからには、そのような方針を掲げている新聞社の社員として、取材対象と蔓んでいるとか、あるいはグルになっているなどとあらぬ疑いをかけられるようなことをしてはいけないことになっているはずである。

そこで、今回の会食だが、社員ジャーナリストが総理大臣と、昼日中に、官邸などの執務場所で、ただ単に会ったということではなく、夜に料理店で忘年会をしたということであり、すなわち懇親をしたということである。

懇親とは、読んで字のごとく、懇ろに親しむということだ。

なぜ、彼らは、政権党である民主党の内部で、主導権を争うグループの一方の旗頭でもあり、いわゆる世論調査での支持率ががた落ちしている総理大臣でもある人物と、この時期に、彼らの大好きな言葉で言うと、「庶民感覚」とか「国民目線」からは目の球の飛び出る高価格の料理店で忘年会をやり、懇ろに親しんだのか。

「庶民感覚」や「国民目線」からは、「李下に冠を正し、瓜田に履を直」したと言われてもやむを得まい。つまり、菅直人と蔓んで、あるいはグルになって、小沢一郎氏追い落としの陰謀をめぐらしたなどと疑われてもしかたがないということだ。

彼らは、自分たちが国民の知る権利の負託に応え、不偏不党の立場から中正公平な報道に努める社会の公器としての新聞企業の一員であり、社会の木鐸としてのジャーナリストであると自負するなら、これまた彼らの大好きな言葉で言うと、自分たちのしたことについて「説明責任」がある。

やはり脳死状態の朝日新聞

ブログ主は、新聞を読まず、TVのニュース番組も見ないのだが、インターネットの政治系ブログは日々拝見している。

そうしたブログの一つで、小沢一郎氏に菅直人が政治倫理審査会への出席を要請し断られた件についての朝日新聞の社説の一部が引用されているのを見た。

孫引きだが、社説の趣旨は、小沢氏を非難し、菅直人に「小沢切り」に邁進しろと叱咤する内容とか。

本ブログのスタート時、今年の9月に1回、インターネットで公開されている朝日新聞の社説(厚生労働省局長の冤罪事件に関して大チョンボをやらかした特捜検察を激励して権力の監視役としての活躍を期待する趣旨)を批判する記事を書いた。

その際、ここまで「小沢を討ち取ろうとした特捜検察正義の味方病」あるいは「諸悪の根元は小沢だ病」が進行していると、回復は困難だろうと判断し、すでに朝日新聞はジャーナリズムとしては脳死状態だから、その論評については顧慮に値しないと考え、その後は一切、朝日新聞の社説は見ていない。

上記の、朝日社説を扱った政治系ブログを拝見して、3ヶ月前の朝日新聞に関するブログ主の判断は正しかったことを再確認した。

やはり脳死状態が続いている。

まあ、朝日新聞がどうなろうとどうでもよいのだが、こんな新聞を、お金を出して買う人がいるとは驚きである。なんだかんだ言っても日本は豊かなのだろうか。こんなゴミみたいなものに定期購読であれば年間5~6万円支払うことができる人がいるというのは。

それとも、脳死状態の患者さんの治療費の足しにと、苦しい中から捻出したお金をあてているのだろうか。だとすると、デフレで不況だというのに、日本には何百万人もの心優しき篤志家がいる、歴史上希有の国ということになる。

やはり、わが日本国は、むかしむかしある西洋人が旅行記の中で命名したように遙か東方の海上に浮かぶ「黄金の国ジパング」なのだろうか。

商業ジャーナリズムへの廃業の勧め

わが国の商業ジャーナリズムは、その使命を果たしていないので、廃業することをお勧めする。

大手の新聞、TVといった商業ジャーナリズムは、事実を脚色なく伝え、視野の広いバランスのとれた論評を提供することが役割のはずである。その役割をきちんと果たしていればそれなりの代価を得ても誰も泥棒呼ばわりはしない。

しかし、現今のわが国のそれはどうであろうか。

まず事実の伝達。ジャーナリズムにとっての「いろはのい」のところで基本を踏み外している。

例の「政治とカネ」。

ハナから、「小沢は悪だ」という先入観に基づいた偏った報道を続けている。事実ではなく、記者あるいは編集幹部の主観をあたかも事実であるかのように粉飾した情報を伝えている。にもかかわらず、やっている本人たちは、事実を伝えていると思っているから、始末が悪い。本人は正しいことをやっているつもりの愚か者ほど恐いものはないというのが歴史の教えるところだが、今のわが国の商業ジャーナリズムはまさにそれだ。

さらに、論評の方はどうかといえば、言うも愚かなくらいお粗末なもので、「政治とカネ」の連呼に「説明責任」をまぶして一丁上がりの無責任さ。

そんなことなら、猿にだってできる。おっと御免、猿を例えに出したら、猿に失礼か。

とまあ、こんな次第で、わが国の商業ジャーナリズムは、きちんとした商品を提供していないのだから、こんなものでお金をいただくのは、詐欺や泥棒の類だ。詐欺や泥棒と言われたくないなら、廃業することだ。

よって、廃業の勧めということなのだが、まあ、今時の商業ジャーナリズムにそんなきちんとした判断ができるような玉はいそうもないから自主廃業はないだろう。

しかし、商業ジャーナリズムというものは、なくても人間、生きていけることを忘れてはいけない。米や味噌醤油とは違うものだ。

ちゃんと仕事をしないと「歌を忘れたカナリヤ」のように「後ろの山に」捨てられますよ。

「小沢一郎氏が不穏な動き」と報道するマスコミの罪業

たまたま、テレビを見ていたら、ニュースと称する番組で「小沢一郎氏が不穏な動き」と題して、小沢氏が支持者の集会にビデオメッセージを送ったこと報じていた。

「不穏な動き」?

これじゃあ、まるで小沢氏が銀行強盗でもたくらんでいるような印象になるじゃないか。

このテレビ局のニュースと称する番組の制作に関わる連中は、この言葉の意味が本当に分かってやっているのかね。分かってやっているのなら大したものだが、まあ、この連中にそんな知恵はないだろうから、言葉のちゃんとした意味を分からずに、「小沢は悪い奴だからなんとなく悪そうな印象の言葉を使ってやろう」くらいのところなのだろうよ。

でも、彼らの無知というか浅知恵というかはともかく、結果として、このニュースと称する番組を見た大衆は「小沢は銀行強盗か何か、よほど悪いことをたくらんでいるのではないか」と思い込むことになる。

というわけで、またしても、このテレビ局など、バカの一つ覚えのように「小沢は悪い」を連呼するマスコミは、罪作りの悪行を重ねた。

「バカは死んでも治らない」というが、日本のマスコミのバカさ加減は「死んでも治らない」どころか未来永劫ものだ。

北海道衆議院補選

民主党候補が負けたようだ。

またぞろ、大新聞・TVなどメディアの「政治とカネ」の大合唱。こういうのをバカの一つ覚えと言う。

そんなに小沢一郎氏が怖いのかね。郵便ポストが赤いのも、電信柱が高いのも、何でもかでも小沢氏のせいにしておけば気が済むのかね。

バカじゃないか。

ブログ主の見るところ、この補選の結果は、鳥の羽よりも軽い菅なにがしという総理大臣とそれを担ぐ民主党の仙谷一派の行状にあきれた国民の声の代弁である。

「国民の生活が第一」という至極まっとうな主張を掲げた小沢民主党に期待し一票を投じた国民が、菅なにがしとそれを担ぐ仙谷一派による民主党政権乗っ取りに裏切られた思いを深め、投票に行かないか、あるいはやむなくあの「政界嫌み氏」に票を投じたということなのではないか。

投票率が低かった理由はもう一つ、このバカの一つ覚えしか繰り返せないメディアへの拒否反応もあったと思う。あのバカなメディアが騒ぐのだから、選挙とやらはよほどおかしなものに違いない。であれば、そんなものには近づかないに越したことはない。とまあ、こんな具合ではないですか。

バカの一つ覚えを繰り返すメディアの罪は万死に値する。

マスコミの「小沢恐怖症」

マスコミの反小沢の構えは、彼らの恐怖の感情の裏返しです。

小沢一郎氏はたたいてもたたいても平然としている、と彼らには見えます。

普通の政治家は、マスコミの、本当は実体のない力に怯えてすぐ降参しますが、小沢氏は昂然としています。

たたけば降参するだろう、俺たちは強いんだから、と根拠もなく思い込んでいるマスコミは、意外な展開にうろたえます。日頃から、攻撃するのは得意だが、反撃されたり怒られたりすることには慣れていない彼らのことです。この意外な展開が、だんだんと「小沢は得体が知れない」という感覚に変じ、いつしか「小沢になにをされるかわからない」という恐怖感となっていきます。

昨今のマスコミの常軌を逸した小沢たたきは、この恐怖感が生んだ怯える心がそうさせていると考えると腑に落ちます。怯えるあまり、目にする小沢、耳に聞こえる小沢のすべてが怖い、怖いからなにが何でもたたく、あらん限りを尽くしてたたく、とまあ、ざっとこんなところではないでしょうか。

つまり、「小沢問題」は、実は「マスコミ問題」なのです。「小沢恐怖症」という病気にかかったマスコミの。それを、「国民目線」だの「市民感覚」だのと目くらましの看板を掲げて自分たちの弱さ小心さを隠し、あたかも国民の代弁者であるかのように振る舞うお粗末なマスコミ。

困ったものです。

検察審査会という犬に吠えられたときは?

あなたが、道を歩いていて、突然、正体不明の人物が連れている、検察審査会という品種の犬に吠えかかられたらどうしますか。三択です。

(ア)無視する。

(イ)反撃する。

(ウ)土下座して謝る。

状況にもよりますが、ブログ主なら、(ア)無視する、を選びます。ま、それがふつうの大人の対応というものでしょう。

反撃する、という選択もありそうですが、おやめになった方がよろしいです。だって、ちゃんと狂犬病の予防注射をしているかどうかわからないでしょう?

ところが、あのマスコミという、「小沢嫌い病」にかかっている連中は、(ウ)土下座して謝る、を選べと言っているんですね。

バカじゃないか。

あ、あの正体不明の人物ですが、アメリカというブランドのジーンズをはいて、官僚というブランドのTシャツを着ており、額のあたりにマスコミという文字が浮かんでいたそうですよ。

巨悪はマスコミ

例の検察審査会の話題。

マスコミは、「健全な市民感覚」で「巨悪にメス」とはしゃいでいるのでしょう。

これは、逆さまです。

巨悪はマスコミです。検察のデマ情報を垂れ流し、国民の一部を洗脳した罪は、巨大です。

「嘘も百回繰り返せば真実になる」とナチスドイツのゲッベルスは言いました。「理屈は後から貨車いっぱいついてくる」とソ連のスターリンは言いました。

わが日本のマスコミの狂態を、お二人なら、自分の正統なる後継者としてお喜びになることでしょう。

このブログをお読みになる方にお願いです。どうか、マスコミの言うことを鵜呑みになさらないでください。

民主党代表選で、あれほどまでにマスコミが「政治とカネ」「小沢は悪」とキャンペーンを張りながらも、なお、民主党国会議員411人中の200人、地方議員2382人中の927人、党員・サポーターの投票総数約23万人中の9万人が小沢氏を支持したのです。

この人たちが、小沢氏の魔術に洗脳されて投票したのでしょうか。

いやそうではないですよね。ちょっと立ち止まって考えてみましょう。マスコミのようにそれこそマス(大量)な伝達手段をもたない小沢さんですよ。多勢に無勢、そんなことできるわけがありません。

そうではなく、代表選中に示された、あるいは代表選以前からあった、小沢氏の人間として政治家としての器量、識見、そして指導力をこの方たちが認めたからこその支持だったのです。

もういちど繰り返します。

現下のわが国で政治家としてナンバーワンの力量をもつ小沢氏を、まったく根拠のない「政治とカネ」キャンペーンで吠えかかったマスコミの罪は巨大です。

巨悪はマスコミであって、小沢氏ではありません。

言葉の壁に守られた日本のガラパゴスマスコミ

戯れ歌 日本語という壁に守られた日本のマスコミ

日本語という壁に守られた日本のマスコミ

とうの昔にジャーナリズムの節操を失った既得権集団

新聞は購読しなければよい

TVは公共の電波を独占している

例えて言えば、誰かが公道を通せんぼして商売を始めた

言い分がふるっている

「自分たちの仕事は公共の役に立っている」

嘘である

不偏不党と言いながら、偏った情報を垂れ流す

「政治とカネ」 「小沢が憎い」

それを知ってか知らずか

いまだにジャーナリズムをやっているつもりの裸の王様

そぞろ哀れを催す

日本語という壁に守られた日本のガラパゴスマスコミ