米国民はミャンマーのクーデタを未熟な民主政治と笑うことができるか

昨年おこなわれた選挙後初の議会招集日当日、軍が与党指導者らを拘束したクーデタのこと。軍が掲げる理由は、選挙に不正があったから正すというもの。

これ、どこかで聞いたせりふですね。そう、米国の大統領選挙結果について、落選した前大統領がさかんに言いふらしていました。これに煽られた前大統領支持者の一部が議会に乱入して死者まで出た騒ぎは耳目に新しい。

こういう”前科”のある米国の人々は、民主政治が未熟だからクーデタが起きるんだと笑うことができるでしょうか。いや、できないですよね。もしやったら、それはそのまま彼らに返ってくることは疑いない。

入院拒否の新型コロナ感染者に懲役刑を課すという発想がそもそも異常

国会で審議中の新型コロナ特別措置法案から、入院拒否した感染者に懲役刑を課す罰則を削除することを与党が認めたという。

削除は当たり前だが、それよりも、案の段階で感染者すなわち患者に懲役刑を課すことを入れたこと自体が異常なんだよ。なにも好き好んでコロナに感染したわけではあるまい。入院しろと言われたって色々事情のある人もいるんだろうし、そもそも現状では入先のベッドがなくて入院したくてもできない人もいるんだろう。そういう人たちに対して懲役刑で脅して言うことを聞かせようというこの上から目線、お前らシモジモはオレたち権力者の言うことを聞いて当然という傲慢さ。それでいて自分たちは夜遅くまで銀座のクラブでつるんで遊ぶというノーテンキ。

いったい、今の政府与党はなにを考えているんだ。いや、なにも考えちゃいないのか。

米国政治の混迷

7日のトランプ支持者米国議会議事堂乱入事件。

朝のNHKBSで、米国ABCが乱入参加者の事後の表情と声を伝える。高揚感にあふれ正しいことをしたという満足感。英国BBCの報道、ドイツの連邦宰相メルケルが、1933年のナチスによる国会放火事件になぞらえている。ちょっと違うんじゃないかな。あちらは、事件当時、真犯人はナチスであるにも関わらず共産党員のせいにしたが、こちらは白昼堂々テレビカメラの前でやっている。

ロイター通信が伝える1月7日現在の大統領選開票結果。バイデン8128万票(51.3%)、トランプ7422万票(46.8%)。国論二分状態。両方が正義を主張するとなると、残されたのは力による解決、すなわち内戦への突入。トランプ支持者が高揚感に満ちているのはこれからの戦いに興奮しているからだろう。実際に始まれば、綺麗事ではすまず、この連中の大多数は後悔することになるのだろうが。

一連の報道映像を見ていて、既視感がある。そう、さしたる理由なく両陣営に分かれて戦闘場面を繰り広げるのを売り物にするハリウッド映画。乱入参加者は、そういう映画の一場面を再演しているつもりなのかもしれない。観客の存在を前提にした劇場型内戦。

晩秋のラジオ

今日、ラジオを聴いていて耳に残ったこと二つ。1134kHz文化放送。

一つ、学術会議議員任命問題。警備・公安畑の警察官僚出身官房副長官・杉田某が、件の候補者は反体制思想の持ち主だから認めるなという助言をし、それを現首相がなにも考えずに受け入れて拒否したのが真相だという話をゲストの誰だか知らない男性がしていた。ふーむ。権力小児病

二つ、天気情報を伝える女性アナウンサーが、きょうの様子を「晩秋の…」と形容していた。はてな、いつから、立冬過ぎても晩秋というようになったの。この人、この分だと小春日和もわからないな、きっと。でも、こういうのは他愛ないから目くじら立てる気にはならない。このあいだ、首相が辞めた時の会見を聞くか見るかして涙が出たなんていう勘違い歌手とちがってね。

米国大統領選二題

一つ。投票日の前後、首都ワシントンのホワイトハウス近くでは、なにごとが起こるやもしれぬ不安感から、住民が窓に板を打ち付けていたが、なにも起こらぬ様子なので、板をはがし始めたとNHK・BSデータ放送ニュース。結果を素直に受け入れない候補者あるいはその支持者が乱暴狼藉に及ぶかもしれないと住民が怯える近代民主主義の”母国”。

二つ。来年1月にはその職を去るだろう大統領が、意見の違い(人種暴動に連邦軍を派遣することを拒否した)を理由に国防長官を解任したが、新国防長官の任命に必要な議会上院の承認が出る見通しは暗いとこれまたNHK・BSニュース。選挙に負けて破れかぶれの八つ当たり。シェイクスピア『コリオレイナス』の主人公さながら、大人になりそこないの大統領

米国は、かつて、世界の諸問題を解決する力を持つと自負していた。その米国が、今や、問題そのものになりつつある。

トランプが負けを認めない

BSの”ニュース”が眼に飛び込んだ。

米国大統領選挙結果。トランプが敗北したらしい。だが、本人は負けを認めずに法廷闘争に持ち込むつもりらしい。

往生際の悪いやつだ。

専用機を乗り回したり、シークレット・サービスの24時間護衛を身辺に侍らせたり、現代の王侯気分を4年間も味わえたんだからもう十分だろう。

この大人のなりそこないめが!

ところで、この選挙、まだ結果が確定したわけではない。なのに、カナダやEC大国首脳が勝ち名乗りを上げた候補者と電話会談をしたり、わが政府は祝電を打ったりしているが、それって、内政干渉じゃないの。

内乱状態にある国家で複数の政治集団がそれぞれ正統な政権であると主張しているときに、一方の政治集団と会談したり祝電を打つことは、その集団の主張を認めることになる、というのが国際法の常識だったはず。

それを知らないはずはないから(政治家は知らなくとも、外交当局が知らないはずはない)承知でやっているのだろうが、いいんだろうか。トランプの主張や振る舞いはどうあれ、とにかく米国民のかなりの部分が票を投じたんだよ。そういう人たちの気持ちってものもあるんだから、成り行きが落ち着くまで待ってもよろしかろうに。今すぐそうしないと天地がひっくり返るってわけじゃあるまい。いったいぜんたい、ちかごろの政治家たちは何を考えているのかね。

『暴君―シェイクスピアの政治学』とドナルド・トランプ

前回の記事『マザーレス・ブルックリン』に続いて、シェイクスピアの話題。副題に引かれて読んだのは、スティーブン・グリーンブラット 河合祥一郎訳『暴君―シェイクスピアの政治学』(岩波新書 2020年)。元本はStephen Greenblatt “TYRANT Shakespear on Politics” 2018。未見。奥付の略歴によると、著者は1943年生の米国の「シェイクスピア研究の世界的大家」だそう。訳文はこなれていて読みやすい。

この本のどこにも、ドナルド・トランプとかアメリカ合州国とかの、現代の人物・事物とつながる具体的なコトバは出てこない。が、しかし、巻末の謝辞で、近々の選挙結果について心配しているとか、食卓で、現在の政治世界にシェイクスピアは異様な関係性を持っているという話をするのを聞いて、家族がその話をまとめるよう勧めた、などと書いているところをみると、シェイクスピアの世界に仮託して、米国の現大統領と米国社会を批判的に分析あるいは風刺したものであることは間違いない。

たとえば、戯曲『ジュリアス・シーザー』に関連して

「古代ローマ人は、考える人よりもむしろ行動の人として偉大でありたいと願っていた。世界制覇を夢見るローマ人は、哲学的探求や、神経過敏な沈思黙考などはギリシア人に任せておけばよいと思っていた。しかし、シェイクスピアは、ローマの公的なレトリックの裏側に、何が正しい道なのかわからずに悩み、どうして行動に駆り立てられるのか半分も認識していないために困惑して葛藤する人々がいることを見抜いていた。しかも、ローマ人は世界という大舞台で動いているため、ますます危険は大きく、その秘められた個人的な動機には、公的な大惨事を惹き起こしかねない強い力があった。」196頁

などは、ローマ人を米国人と置き換えると、現代米国のありさまの説明としてそのまま通用する。「公的なレトリック」とは、イデオロギーのことだろう。つまり、米国社会のイデオロギーに疑うことなく從っている米国人(の多く)は自分たちの親イスラエル反パレスチナの姿勢やイラク戦争などの行動について半分も認識していないために、世界の多くがこうした行動に反発することに困惑して葛藤している。しかも、米国は世界を何回も破壊できる核軍事力を持ち、世界という大舞台で動いているため、大統領ドナルド・トランプの秘められた個人的な動機には、公的な大惨事を惹き起こしかねない力がある、とね。

また、戯曲『コリオレイナス』について

「文明化された国家では、指導者は少なくとも最低限の大人らしい自制心があるとみなされ、思いやりや、品位や、他者への敬意や、社会制度の尊重が期待される。コリオレイナスはそうではない。そうしたものがない代わりに、育ちすぎた子供のナルシシズム、不安定さ、残酷さ、愚かさがあり、それに歯止めをかける大人の監督も抑制もないのだ。この子が成熟するように助けるべきであった大人は完全に欠如していたか、もしいたとしても、この子の最悪の特質を強めてしまったのである。」216-17頁 

主人公コリオレイナスをドナルド・トランプに置き換える。そのまんま。ドナルド・トランプの親御さんあるいは周囲にいた大人たちがどういう方々かは存じませぬが、また人のあり方についてそれらの方々の責任をどこまで追求できるかは議論のあるところではありますが、そうだよな、その方々、いったい何をしてくれたの、あるいはしてくれなかったの、と思いたくはなる。

もうひとつ『コリオレイナス』で、ローマの執政官選挙における大衆的支持獲得の方策として選挙民への御愛想大盤振る舞いについて触れた後で

「政治ゲームにはよくある手だ。生まれついてあらゆる特権を持っていて、自分より下の連中を内心軽蔑していながら、選挙期間のあいだはポピュリズムのレトリックを口にして、選挙に勝ったとたんに手のひらを返すという、あれである。頭を撫で付けた政治家たちが建築現場での集会でヘルメットをかぶるのと同様に、ローマ人たちはこれを因習的な儀式としていたわけである。」223頁 

これなど、わが国を含め”民主主義”を標榜する国々で日常普段に見られる光景だ。

結部で、著者は

「シェイクスピアは、社会が崩壊するさまを、生涯を通して考察してきた。人間の性格を見抜く異様に鋭い感覚を持ち、デマゴーグも嫉妬するような言葉を操る技をもって、シェイクスピアは巧みに描いたのである―混乱の時代に頭角を現し、最も卑しい本能に訴え、同時代人の深い不安を利用する人物を。激しく派閥争いをする政党政治に支配された社会は、詐欺的ポピュリズムの餌食になりやすいとシェイクスピアは見ている。」243-44頁 

ここには、トランプの”ト”の字も出てこない。でもちゃんと読めばわかるという書き方。著者がこの本の冒頭で述べているように、シェイクスピアの時代、体制批判、国王批判は刑罰に直結した。シェイクスピアも、遠いローマや異国に舞台を求めて、同時代の問題を扱っているとは一見してわからないような筆法を駆使した。著者もこのことにならったのかもしれない。だから、現在進行形の政治・社会問題を扱っているキワモノ的な著作にもかかわらず、そういうことを離れて、シェイクスピアのいくつかの戯曲の、ちょっと変化球的な解説本としても読むことができる。うまいものだ。さすが「世界的大家」だけのことはある。

団塊の世代

ひさしぶりにトランジスタラジをいじったら、設定が消えた。時刻と放送局の設定やり直し。

1134kHzを聞く。

団塊とひとくくりにされるのは嫌だと主張する団塊世代らしい人物がしゃべっている。”いとうさん”と相手から呼ばれている。テレビも初めて、電気冷蔵庫も初めてという稀有な経験をした世代、というあたりまではそのとおりなのだが、話が政治家のことになるとがぜん切れ味が悪くなる。ひととくくりにするなと言っておきながら世代論を語り始める。この世代は自助がモットーだと。それとはっきりは言わないが、交代したばかりの内閣へのヨイショ発言になっている。うまいもんだ。

で、”いとうさん”とは誰かと放送局の番組表へ。伊藤某という政治評論家。まあ、ね。

権力小児病

いつのまにか変わっていた内閣が、日本学術会議の新会員候補の任命を拒否しているそうな。(拒否の理由は明らかにしていないそうだが、報道によれば候補者6人全員が前内閣の安保法制に反対していたからだという。)内閣の言い分は、法律は、学術会議側の選挙・推薦どおり任命しなければならないとは規定していない、だから任命するかしないかは内閣の裁量だというもの。こういうのを三百代言的詭弁というのだよな。

そこらの三百代言が詭弁を弄するのは、まあ、あることでしょう。でもね、人口1億3000万人の国家の内閣がそういうことを言っちゃあいけません。なんでだって? そりゃあ、あなた、道理というものですよ、道理。どうりで、なんて洒落を返さないでね、頼むから。

その昔、左翼小児病という言葉があって、そんなにすぐには実現するはずのない社会主義社会が、今すぐにでも実現するかのように(子どもがなにか欲しいと思い詰めたらてこでも動かないように)思い詰めて過激な行動に走る人々を揶揄するのに使われておりましたっけね。自分は使ったことはないけれど。この昔懐かしい言葉をもじってこの任命拒否問題に当てはめると、今の内閣の連中、左翼小児病ならぬ、権力小児病だね。権力者の地位につけば、今すぐにでもなんでも思いどおりになると思い詰めて、気に食わない奴らは泣こうがわめこうがねじ伏せてやると過激な行動に走る権力小児病患者。

上がこういう体たらくだと、下々人民のあいだには、この日本国というものの終末観が深く静かに潜行して、未来への希望というものが消え、結果として、次世代を準備するという共同社会のもっとも根源的ななりわいがおこなわれなくなる。つまり出生数が漸減していく。

内閣は、少子化対策だと称して鉦や太鼓を叩きまくっているが、そんなことをする前に、まずは自分の足元を見つめてみなさいな、悪いことは言わないから。