強制失踪条約というもの

申惠丰(しんへぼん)『国際人権入門―現場から考える』(岩波新書 2020年)を読んでいたら、わが中央政府が、各種の国連人権条約のなかで、オプションの制度を受け入れているのは、この強制失踪条約の国家通報制度のみという記述に出会った(33頁)。

強制失踪条約とは、わが外務省のインターネットサイトによると正式名称が、強制失踪からのすべての者の保護に関する国際条約 International Convenvntion for the Protection of All Persons from Enforced Disappearance というもので、「国の機関等が,人の自由をはく奪する行為であって,失踪者の所在を隠蔽すること等を伴い,かつ,法の保護の外に置くことを「強制失踪」と定義するとともに,「強制失踪」の犯罪化及び処罰を確保するための法的枠組み等について定めてい」るそうだ。”拉致”と呼ばれている国家機関が絡む犯罪を規制するのが狙いと見える。わが国も2009年に批准手続きを完了し、条約も規定の20カ国以上の批准を得て、2010年12月に発効した。

問題のオプションとは、条約第32条「この条約の締約国は、この条約に基づく義務が他の締約国によって履行されていない旨を主張するいずれかの締約国からの通報を委員会が受理し、及び検討する権限を有することを認める旨をいつでも宣言することができる。(後段省略)」(外務省サイトにある訳文のpdfファイルから複写)ということか。つまり、わが政府は、この条項に言う”宣言”を実行したということなのだろう。ちなみに、条文中の委員会とは、条約に定める任務遂行を目的とするもので、締約国の会合で選出される10名の委員で構成される。日本からも、東京大学の某先生が選出されていると外務省のサイトはうれしそうに書いている。

わが政府が、この条約に積極的に取り組んでいることは、批准手続きの速さからも理解できる。条約の国連総会本会議における採択が2006年12月、わが政府代表による署名が2007年2月、批准書の国連事務総長寄託が2009年7月。条約発効に必要な20カ国による批准達成の1年以上前のこと。

なぜ、そんなに熱心なのだろう、この条約に関しては。2017年に国連総会本会議で採択された核兵器禁止条約 Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons には参加していない、すなわち署名・批准していないというのに。この異様な対称性。

これについては拉致問題についての別記事をご覧あれ。

松任谷由実が安倍某のお友達だったことおよびバートランド・ラッセル主義の適用

松任谷由実が、近々辞める安倍某とお友達だったようだ。辞めるという記者会見を見たか聞いたかして涙を流しそうになったとか。

反核兵器運動のラッセル・アインシュタイン宣言呼びかけ人にして哲学者・数学者のバートランド・ラッセル(1872-1970)が、第1次世界大戦に際して、反戦の論陣を張ったことはよく知られている。牢屋にも入った。もっとも、絨毯を敷いた特別室だったらしいが。なにしろ祖父は英国首相も務めた名門伯爵家の一員だったからね。

そのラッセルが、第1次世界大戦勃発を受け当時の英国国王が戦争遂行に協力するため禁酒することにしたのを聞いて、それまで飲酒の習慣はなかったにもかかわらず酒を飲むようになった。いわく、禁酒と好戦傾向には関係があるようだ。そうならば反戦主義者としては禁酒するべからざるなりと。

こういう、一種のユーモア、あるいは、ある種のこじつけとでも言えるものを、ひそかにバートランド・ラッセル主義と名付け、可能なかぎり実践することにしている。

この主義に照らして考えると、松任谷由実と安倍某がお友達だということは彼女の音楽と安倍某の考えていることもお友達だということだ。しからば、安倍某の反憲法的姿勢にはまったく同意しない自分としては、松任谷由実の音楽にも同意しないとしなければならない。

これゆえ、自今、松任谷由実の音楽はいっさい聞かないことをここに厳粛に表明する。

現政権党にとって「一粒で二度おいしい」拉致問題

拉致の命令者および実行犯である朝鮮民主主義人民共和国国家機関の犯罪性については今は置く。

拉致が発生したときの政権党は現在の政権党である。政権党、すなわち、「電信柱が高いのも郵便ポストが赤いのも」すべて彼らの責任である。いわんや、国民の安全と安心を守るにおいておや。

しかるに、たくさんの国民が拉致された。安全と安心を守れなかった。その責任は、時の政権党にある。

一方の当事者である彼ら政権党が、自分たちの責任については口をつぐんで、もう一方の北朝鮮政府の責任を大声で、しかも拉致被害者を押し立てて言い募ると、ほとんどの国民は、国民を守りきれなかった政権党の責任を意識から落として、拉致はもっぱら北朝鮮だけが悪いと思うようになる。政権党の免責。一度目のおいしさ。

隣国が犯罪国家であるという認識が広く国民の間に行き渡ると、政権党が、平和志向の外交努力を重ねる困難から逃避して、隣国の脅威を名目に、容易に軍備を増強・拡張することができるようになる。あれも要るこれも要る。空母だ、空母に載せる戦闘機だ、というわけ。二度目のおいしさ。

こんなにおいしいものだから、政権党にとって、拉致問題は解決しないほうが自分たちのためになる。ゆえに、拉致被害者の家族のなかからも、政権党は本気で解決するつもりがないのだと批判が出てくる。そりゃそうでしょう。こういう事情は、見える人にはちゃんと見えるわけで(あるいは、見ようと多少の努力をすれば、見えるようになるわけですが…)。

ようやく辞めるか

ようやく辞めるらしい。


前回もそうだったが、風呂敷を広げて、そのまんま。あとは知らないというわけか。無責任なヤツだ。

まあ、1億2千万の人口をもつ政治体を動かすことは無理だったんだよ、憲法を変えたいということしか頭になかったこの人には。コロナ禍、自分が任命した大臣の不祥事、無理やり当選させた議員の不祥事、もう、どうしようもなくなったんだろう。

でもどうするんだ、アベノミクスとかいう古今未曾有の国債の積み上げの後始末は。日銀に株を買わせて株価を吊り上げ、ドルを買わせて円を下げた後始末は。

75年目の天皇の国民向け敗戦告知ラジオ演説の日

「玉音放送」などと呼ばれている、天皇の国民向け敗戦告知ラジオ演説が行われて今年で75年。おこなわれるであろう関連式典のTV中継など見る気は寸毫もないし、関連”ニュース”番組なども見ないので、ここから先は推測。

また、例によって、総理大臣が平和と繁栄はあなた方のおかげですという内容の式辞とやらを述べるのだろう。

それって、あの戦争で亡くなった人々への侮辱だよ。

無数の死者、敗北、その結果生まれた現憲法。押し付けだろうとなんだろうと、この憲法があってはじめて平和と繁栄があったのだよ。ところが、現行憲法を毛嫌いして、明治憲法のようなものに変えたがっている勢力代表の総理大臣が、その明治憲法体制下で行われたあげくに負けた戦争の犠牲者に哀悼の意を捧げる資格なんてあるのかよ。

あるわけないだろう! 

ボルトンの暴露本

米国の安全保障問題担当の前大統領補佐官ジョン・ボルトンJohn R. Bolton(1948―)の暴露本が話題になっている。その本、題してTHE ROOM WHERE IT HAPPENED― A White House Memoir。表紙デザイン、題名を楕円が囲んでいる。楕円、オーバルルーム、大統領執務室。内容については報道でサワリの部分が紹介され尽くしている(ホワイトハウスの出版差し止訴訟を、裁判所も、出版が安全保障を危険にさらすかもしれないと不満気ながら、すでに報道で周知されてしまったからしょうがないと悔しそうに却下した)ので、今日は別のことを話題に。

ボルトンという人、ウィキペディアだったかによれば本人はそう呼ばれるのを嫌うそうだが、ネオコンサーヴァティズムNeoconservatismすなわち新保守主義、略してネオコンの代表人物。自分の解釈では、米国のネオコンは、国益オタクである。国益の具体的内容は、米国式生活流儀、いわゆるAmerican way of lifeですな、を維持する(保守する)ことに尽きる。厚さ数センチの牛肉ステーキを日常的に頬張る、真冬でも暖房の効いた室内で半袖シャツを着て丼盛りのアイスクリームを舐めまくる、ガソリンを撒いて走るような燃料消費効率の極端に悪い自動車を日常的に使用する。つまり、エネルギー超絶多消費生活ですね。

米国のネオコンは、この国益を守るためならなんでもする。ファウストじゃないが、悪魔とだって取引する。大量破壊兵器なんか持っていないのに持っていると言いがかりをつけて、よその国に大軍を送り込み、荒らし回ってメチャメチャにするなんぞ、朝飯前だ。で、今の大統領。箸にも棒にもかからないとは承知のうえで担ぐことにしたのだろう。わが国の誰かさんが、昔、神輿担ぐなら軽いほうがいいと言いましたっけ。こういうことは東西を問わない。しかし、しかし、この大統領、あまりといえばあんまりな……

ちょっと前のブッシュ息子大統領も軽くて担ぎやすく、しかも言いなりになってくれたから、ネオコンたちにとっては理想の大統領だった。このあたりのこと、2018年の映画『バイス』に詳しい。クリスチャン・ベールが、大統領を操り人形よろしく操縦する副大統領ディック・チェイニーを演じている。米国という国は、いろいろな顔を持つ国で、今の大統領を熱烈に支持する人もいれば、ハリウッドでこのように正面から現在の政治を批判する映画を作る人もいる。あ、ハリウッドはユダヤと左翼の巣窟だからなどと陰謀論を振りかざす人は蒙御免。

というわけで、こんどの大統領、ネオコンの我慢の限界を超えた。というより操縦不能になった。中国の大統領(習近平)に米国農産物を購入するよう哀願して足元を見られる、ロシアの大統領(プーチン)からはくみしやすしとバカにさる。だから慌てた。(米国のネオコン連中、国益オタクと同時に、その偏差値優等生としての来歴から”いつも一番じゃないと気がすまない症候群”に罹患していて、自分たちより上はいないと思っているのに、格下と思っている相手から”上から目線”されるのが何より悔しい。この屈辱をいかでかは晴らさん、ということも大きいのだろう。いや、それがすべてかも。)大統領選挙が佳境を迎えようというタイミングを狙って、暴露本を出す。なんとしてでも再戦を阻止したい。次に誰がなっても、操縦できる自信はある。とにかく、あの操縦不能out of controlの人だけは引っ込めねば… 今朝の、NHK・BS海外ニュース番組紹介コーナーで、米国ABC放送のキャスターのインタビューに答えるボルトンの肉声を流していた。「1期で終わる大統領として歴史に記録されてほしい。」 

米国憲法前文の精神

直前の記事で、現職の米国大統領が、国民間の分断も辞さないという強硬な言動を重ねていると書いた。分断とくれば団結とか統一。そうだ、米国の憲法に統一がどうしたとかの文言があったな。調べた結果が下記。前文にそれがあった。

We the People of the United States, in Order to form a more perfect Union, establish Justice, insure domestic Tranquility, provide for the common defence, promote the general Welfare, and secure the Blessings of Liberty to ourselves and our Posterity, do ordain and establish this Constitution for the United States of America. (米国National ArchivesのWebページからコピー)
われら合衆国の国民は、より完全な連邦を形成し、正義を樹立し、国内の平穏を保障し、共同の防衛に 備え、一般の福祉を増進し、われらとわれらの子孫のために自由の恵沢を確保する目的をもって、ここに アメリカ合衆国のためにこの憲法を制定し、確定する。(AMERICAN CENTER JAPANのWebページからコピー)

注目は”to form a more perfect Union”のところ。”Union”が大文字で始まっているので特別な意味があるとして日本語では”連邦”としたのか。しかし、小文字で始まる普通名詞の”union”は結合、団結、一致、調和となる。つまり、大胆に解釈すれば、団結一致のために憲法を制定した。しかも、独立戦争という多大の犠牲を払って、ということ。そう考えると、憲法の精神に反するような分断をあおる行為を重ねる大統領というのはそもそもなんなのかということになる。しかも、大統領はもちろんのこと、米国で公職に就く人はすべて、憲法を擁護する旨の宣誓をしているはずだから、憲法擁護義務違反ということにもなる。大統領が憲法違反?!

してみると、今現在、太平洋の東はるかの国で起こっていることは、前代未聞、空前(絶後になるかどうかはわからない)の異常事態と考えねばならない。なにしろ彼の国は、国力全般については全盛期に比べれば力が落ちたといえ、いまなお史上最大の破壊力を装備した軍隊を持っている。その破壊力が、混乱状態の中でひょっとしてひょっとしてしまったら… クワバラクワバラ。この上は、彼の国の混迷が、地球規模の騒乱の引き金にならないことを願うのみ。

ゴーン氏逃亡で日本政府の茫然自失

もともとレバノン出身の人だから、安心だというわけで故郷に帰ったのかな、ゴーン氏は。まあ、その筋に鼻薬も嗅がせたのだろうね、それもかなりの額の、という勘ぐりはさておいて、それにしてもみっともないのは、わが政府のていたらく。

テレビニュースに法務大臣とかいう女性が現れて、なにやらモゴモゴ言っていたが、なにを言いたいのか、さっぱりわからない。言っている本人もなにを言っているのかわからないのだろう。そういう顔をしていた。

わが政府の偉い人たちは、自分たちよりも力がないと見きった相手、それはネタという餌にすり寄ってくるマスコミ人だったり、金力・権力などもろもろを持たない一般国民であったりだが、そういう人たちには無闇に居丈高になるくせに、こと、話が国境を越えて大きくなると、途端にどうしたらいいかわからなくなり、借りてきた猫みたいになる。

まあ、権力者がそういう振る舞いをするのは、洋の東西、時の今昔を問わないが、程度というものがある。わが政府要人の有り様は、繰り返すが、みっともない。

ゴーン氏、故郷に帰って安心したのか、記者会見まで開いて不正義から逃亡したなどと言っているようだが、これもあまりみっともいいものではない。わが国の人質司法に言いたいことはいっぱいあるだろうが(日本国民だってこれには言いたいことは山ほどある)、少なくとも、自分の感覚からすると、逃げるまではまあ仕方がない、でもそのあと、イタチの最後っ屁みたいにあーだこーだ言うのはよしたほうがいい。

78年目の対米・英開戦の日

先日、この日を意識しないでたまたま、映画「トラ・トラ・トラ!」を見た。

黒澤明もかかわった脚本は、真珠湾攻撃に至る過程を、細かいエピソードを重ねて、順に追っている。20世紀フォックス制作、ということはハリウッド映画だが、日本側の不意打ちというより、むしろ、米国側の対日軽視からの油断を攻撃成功の要因として描いている。だから、米国では観客動員が伸びなかったのだろう。米国民にとって、卑怯なだまし討のジャップではなく、突然目の前に現れた日本軍機の攻撃の前にぼうぜんとする米軍最高指揮官を見せられてはいい気持ちはしまい。

真珠湾の米海軍根拠地を破壊するというような目的が明確で限定的であるような場合には、わが同胞は素晴らしい団結力と創造力を発揮する。

しかし、世界史的な大状況の中で、それらの目標の追求が、われら日本国民の幸福と安全にどのような意味と効果を持つかというようなことについては、理解し制御するのが不得手であるように見える。

たとえば、開戦後数ヶ月間のいくつかの局面においては戦術的成功すなわち勝利を収めたが、数年後にはそんな勝利をはるかに上回る戦略的な大敗を喫した。その上、有史以来の外国軍による長期間の占領、その後現在に至るまで続く不平等条約状態(在日米軍基地をめぐる日米地位協定)の存続までがついてきた。また、戦後復興から高度成長を経て、1980年代の”経済大国”への到達するまでは、誰もその目標を疑うことなく創意工夫を重ねて ”Japan as Number One” とまで言われるようになった。しかしそれもつかの間、80年代が終わる頃から、目標を見失ったというか、手にした富をどうしたらいいのか途方に暮れとでもいうのか、埒もない米国の不動産などを高値でつかまされ、挙句の果てにバブル崩壊と今に続く低迷というか自信喪失状態。

今、好むと好まざるとにかかわらず、東アジアの覇者は、中国であって日本ではない。かつて”Japan as Number One”と持ち上げられた状態から、昨今の、相対的な地位低下を迎えつつある先の見通しの立ち難い状況にあって、わが同胞は漠然とした不安と、この、急成長を遂げた隣の超大国への嫉妬と嫌悪のないまぜになった感情を抱きつつあるように見える。”嫉妬”は自他を滅ぼすこともあるやっかいな感情だ。このすこぶる付きの手強い感情をわれら日本国民は上手にコントロールして、それなりの繁栄を、隣の国々との平和な関係を築きながら、維持していけるだろうか。そうではなく、米国に強度に依存することによってのみ、現在の状態を維持し続けようとするのだろうか。わが同胞の多くは、自公政権に多数議席を与えることによって後者の選択を支持しているように見える。だが、その選択が、78年前のそれのように、狭い範囲の戦術的成功ではあるが(それすらも怪しいものだ思うが)、大きな状況の中での戦略的失敗にならないとは限らないことをどれだけの人が理解しているだろうか。

これが日本の外務大臣!?

朝食を取りながら、NHK-BSのワールドニュースを見ていた。韓国とのゴタゴタを報じる画面に、昔、自分の腎臓をこれも政治家である父親に提供したことのある外務大臣が、韓国の駐日大使(だろう)と会見する場面が流れた。両者の対話の前後が省略されているので会談の詳細はわからないが、とにかく、その外務大臣が「失礼だ、無礼だ」と感情的な(と映像からは判断される)調子で、ほとんど面罵している。

この世界には、それが西欧中心で大国のご都合主義とかなんとかいろいろあるが、とにもかくにも、長年に渡って積み上げられてきた外交儀礼というものがある。その観点からしても、あるいは、そんな大げさなものを持ち出さずに単純に人と人との関係としてみても(外務大臣だの特命全権大使だのの肩書がついても所詮はただの人)、そういう言い方は失礼だ。韓国の特命全権大使に失礼だということは韓国国民に失礼だということだよ。彼の地の人々からすると、上から目線の高飛車な何様だと思ってんだという腹立たしい振る舞いに見えるだろう。この外務大臣、戦争を始めたいのか。こんなこと、テレビカメラの前で意図して一部国民のウケを狙ってやったのだとしたら後先のことを考えないそれこそ”国益”を損なう拙劣極まりない振る舞いだし、意図せずにはずみでやってしまったのなら、一国を代表する外務大臣としての資質が疑われる。今の日本国政府はこの始末をどうつけるつもりなのか。