権力小児病

いつのまにか変わっていた内閣が、日本学術会議の新会員候補の任命を拒否しているそうな。(拒否の理由は明らかにしていないそうだが、報道によれば候補者6人全員が前内閣の安保法制に反対していたからだという。)内閣の言い分は、法律は、学術会議側の選挙・推薦どおり任命しなければならないとは規定していない、だから任命するかしないかは内閣の裁量だというもの。こういうのを三百代言的詭弁というのだよな。

そこらの三百代言が詭弁を弄するのは、まあ、あることでしょう。でもね、人口1億3000万人の国家の内閣がそういうことを言っちゃあいけません。なんでだって? そりゃあ、あなた、道理というものですよ、道理。どうりで、なんて洒落を返さないでね、頼むから。

その昔、左翼小児病という言葉があって、そんなにすぐには実現するはずのない社会主義社会が、今すぐにでも実現するかのように(子どもがなにか欲しいと思い詰めたらてこでも動かないように)思い詰めて過激な行動に走る人々を揶揄するのに使われておりましたっけね。自分は使ったことはないけれど。この昔懐かしい言葉をもじってこの任命拒否問題に当てはめると、今の内閣の連中、左翼小児病ならぬ、権力小児病だね。権力者の地位につけば、今すぐにでもなんでも思いどおりになると思い詰めて、気に食わない奴らは泣こうがわめこうがねじ伏せてやると過激な行動に走る権力小児病患者。

上がこういう体たらくだと、下々人民のあいだには、この日本国というものの終末観が深く静かに潜行して、未来への希望というものが消え、結果として、次世代を準備するという共同社会のもっとも根源的ななりわいがおこなわれなくなる。つまり出生数が漸減していく。

内閣は、少子化対策だと称して鉦や太鼓を叩きまくっているが、そんなことをする前に、まずは自分の足元を見つめてみなさいな、悪いことは言わないから。

お子さま内閣の政治ごっこ

いつのまにか、内閣が交代していた。

と、思ったら早くも一人辞めて、その後釜が、前の内閣で福島原発事故の放射能は「ただちに害がないから心配ない」と嘘を繰り返して国民をだました官房長官だったというからあきれる。

嘘をついてごめんなさい、と腹でも切るのかと思ったら、いけしゃあしゃあと顕官に返り咲く。いったいどういう神経をしているのか。いや、神経がないか。

こんな人物を任命する総理大臣も同じ穴の狢だ。

というわけで、とどまるところを知らない民主党お子さま内閣による政治ごっこ。

こういうのを見ていちばん喜んでいるのが、この国の真のアドミニストレーター(管理者、オランダ人ジャーナリストのウォルフレン氏の用語)である霞ヶ関高級官僚グループと、宗主国である米国だろう。

なんてこった。

小沢氏の勝利

いやー、今日は面白いものを見せてもらった。久しぶりに政治の醍醐味を味わった気分だ。

小沢氏の、名人芸とも思われる手法。菅直人のごときガキのような人物には手も足も出せまい。政治家として、というよりも、人間としての格が違いすぎる。

それにしても、小沢氏の力量は格別である。なにしろ内閣総理大臣に辞意を表明させるのだから。玄人の政治家ならこのことを十分に理解しただろうし、「政策」「政策」とバカの一つ覚えのように叫び回るお子ちゃま代議士たちも、少しは理解できただろう。

さあ、政治がますます面白くなってきたぞ。

「美しき五月」の晦日に

本来であれば、一年でもっとも過ごしやすく快適なこの五月なのに、心は暗い。

なぜか。

大震災このかた、行方不明者の捜索ははかどらず、避難所生活を強いられている方が10万人を超える。

それに、いつ収束するか、まったく先の見えない原発事故。

なにより、内閣総理大臣という国の最高責任者が、平気でうそつき、責任逃れをする醜態を毎日のように見ざるを得ない苦痛。

かくのごとき心情を綴って、この「美しき五月」の晦日を締めるのは、はなはだ遺憾と言わざるをえない。

 

 

法律的正当性と政治的正当性

現在の内閣総理大臣は法律的正当性をもっています。

憲法の規定にしたがい、国会の指名に基づいて天皇が任命したからです。

しかし、政治的正当性はどうでしょうか。

そもそも、彼がその地位にあるのは、国会、とくに衆議院で与党議員が過半数を占めており、その与党議員がほとんど漏れなく、指名投票に際して彼の名前を書いたからです。

では、なぜ与党議員はそうしたのか。それは、代表選出の党大会で彼が当選したからです。

そこで、この党大会が問題です。

先の民主党代表選、結果はご存じのとおりです。国会議員票は伯仲、地方議員・党員・サポーター票は小沢一郎氏ではないもう一人の人が多数を占めました。

この国会議員票以外の票が問題です。

ブログ主は、この票は例の大マスコミの不正なネガティブキャンペーンによる世論操作 によって作られたものであると考えています。とすると、今の総理大臣は、大マスコミの世論操作の結果、その地位についたことになります。

民主政治においては、政党の代表選挙であれなんであれ、有権者の投票行動の如何が最終的決定権をもつのであり、有権者が投票するに際しては、決定すべき対象について過不足のない適切な情報を手にしていることが大前提です。しかしながら、この点について、上述の通り、今般の民主党代表選の投票結果には重大な疑義がつきまといます。

すなわち、小沢氏の対立候補の当選には政治的正当性が問われることになり、ひいては、その人物が内閣総理大臣であることには深刻な疑義があることになります。

困ったものです。

(以下は、2010年9月25日追記)

現の内閣総理大臣の国会における指名投票は6月に行われたので、9月の民主党代表選との関係如何ですが、この代表選挙は党代表であるあの人を最高責任者として戦われた7月の参議院選挙 で歴史的敗北を喫した責任を問う信任投票の意味をもっていました。結果はあの人の当選すなわち信任となったため、彼がそのまま内閣総理大臣の地位に居続けることの根拠になっているので、やはりブログ主の主張する民主党代表選の政治的正当性への疑問、ひいては彼が内閣総理大臣でいることの政治的正当性が問われ続けることになります。

(以下は、2010年9月29日追記)

上記で、国会議員以外の票が問題である旨述べましたが、その後、もう一人の人に投票した206名の国会議員の票も同様に問題であると認識するに至り、もう一人の人に投票した国会議員票も含めて問題であると訂正します。