小沢一郎はソクラテスか

小沢一郎氏を見ていると、あのソクラテスのことが浮かんできます。

ソクラテスは、アテネの市民に「よき市民とは」「よきポリスとは」と問いかけ続けた挙げ句の果てに、市民参加による裁判で死刑を宣告され、自ら毒杯をあおぐ刑の執行を従容として受け入れたのでした。

小沢氏も、国民に「自立した国民とは」「自立した国家とは」と問いかけ続けてきましたが、いわゆる「政治とカネ」という大手の新聞・テレビをあげてのネガティブキャンペーンの前に、今般の民主党代表選では残念な結果に終わりました。

しかし、以後の西洋思想史では、ソクラテスの死をめぐる「ソクラテス問題」が現代に至るまで、哲学の重要なテーマとしてあり続けています。いわく「ソクラテスはなぜ死ななければならなかったのか。」

同じく、わが日本国でも「小沢一郎問題」は問題であり続けるでしょう。なぜこれほどまでに小沢氏はマスコミのネガティブキャンペーンの対象であり続けるのか。

もちろん、ブログ主は、「小沢一郎問題」とすることで、小沢氏自身のことを問題としているのではありません。そうではなくて、理由もなく小沢氏にネガティブキャンペーンの矛先を向けるマスコミのことを問題にしているのです。

以後の日本の歴史では、「なぜこの国のマスコミは、不世出の政治家である小沢一郎に理不尽なネガティブキャンペーンを張ったのか」が問われ続けることでしょう。

小沢一郎氏当選ならず

民主党代表選、小沢一郎氏当選ならずでした。

しかし、代表選の過程で、小沢氏の人となりや政策を直接知ることができたのは幸いでした。とくに、投票直前の演説は、心のこもった名演説でした。

9月13日付の日刊スポーツのインタビューに、「自分が前進のための礎、屍になる。昔流にいえば、僕の屍を乗り越えて進んでほしい。」と述べていますが、この結果をある程度予期してのメッセージだったのかなとも思います。

代表選の中での数々のメッセージ、とりわけ今日の演説、心に響くものがあります。小沢総理大臣はなりませんでしたが、小沢氏のメッセージは、少なからぬ国民にきちんと届いていると思われます。

民主党代表選

本日、民主党代表選が行われます。

ブログ主は、小沢一郎氏にぜひとも総理大臣をやっていただきたいと考えている者です。その理由はたくさんありますが、一点だけ申し上げると、政治家うんぬんという前に、人間としての大きさが小沢氏にはあり、その大きさが、現下の日本の危機を突破する原動力になると思うからです。

小沢氏が当選するかどうか、現時点ではまったくわかりませんが、結果はどうあれ、少なくとも今後10年程度の間の日本のあり方を決めることになると思われます。ぜひ、よりよい日本につながるような結果を願っています。