前代未聞の異事—オバマによるビン・ラディン暗殺

昨日、何気なくTVを見ていたら、アメリカ合衆国の大統領が現れて、誇らしげに、ビン・ラディンを殺害した、と言明した。

殺害実行場所がパキスタン国内。他国領土内で、一国の政府機関が暗殺を実行し、しかも、そのことを衛星中継までさせて公表する大胆というか不遜というか。

前代未聞の異事である。

暗殺そのものは、そのことの当否は別として、昔からあるもので、古くは、荊軻(けいか)という刺客が、秦王・政(後の始皇帝)を暗殺しようとして失敗したことが「史記」に見えるし、近くは、第一次世界大戦開戦の原因となったオーストリア=ハンガリー皇太子のセルビア人による暗殺(サラエボ事件)も有名であるが。しかし、いずれの場合も、弱い立場にあると感じた者が強者を倒そうとする、「窮鼠猫を噛む」とでもいうべき状況の中で、企図され実行されたものである。

アメリカ合衆国といえば、史上空前のパワーを誇る超大国であることは誰しも認めることだが、その超大国が、刺客を遠い他国に派遣して、いかに影響力がある人物とはいえ、一個人の暗殺を実行させるとは、いったい全体どうなっているのだろうか。名高い暗殺事件とは状況が逆さまだ。いわば、窮鼠ならぬ、「窮猫鼠を噛む」のたぐいである。

それほどアメリカはビン・ラディンが怖いのか。あるいは憎いのか。

アメリカには例の9・11事件への復讐という意味があるのだろうが、「法の下の平等」や「法の適正な手続き」を柱とする民主主義の本家本元を自認する国が、裁判をやるでもなくいきなり刺客を派遣して殺人に及ぶという、適正な手続きもへったくれもあったものではない振る舞いに及ぶとは、いったいどういうことなのか。

ここまで書いてきて、強大な権力者による影響力ある個人の暗殺ということでは共通項がある、スターリンによるトロツキー暗殺のことが浮かんだ。スターリンは政敵トロツキーを、その亡命地のメキシコまで手を伸ばして暗殺した。しかし、当時、スターリン自身はもちろんのこと、ソ連政府もトロツキー暗殺との関わりを認めることなどなかった。

これと比べて、オバマによるビン・ラディン暗殺が異様なのは、上にも書いたとおり、暗殺直後に、暗殺の命令者が公然と名乗りを上げ、恬として恥じる様子もないことである。

超大国の権力者としての自信のなせる技なのか、それとも、あるいは、単なる無知なのか。

いずれにしても、オバマは、これで、憎しみと暴力の果てしない連鎖反応というパンドラの箱を開けてしまったことは間違いない。

だから言わないことではない

こういう言い方は好きではないが、いたしかたない。

菅直人が、一国の最高責任者には不向きな男であることは、昨年9月の民主党代表選で明らかだった。

にもかかわらず、国民と国土を守るよりも、自己一身の利益を守ることを優先する新聞TV、それに踊らされた民主党の国会議員など、菅直人を民主党代表に押し上げ、日本国総理大臣にしてしまった愚か者たち。

ヘーゲルだったか、歴史は、高貴な人物が(高貴といっても生まれによるそれではないが)汚辱にまみれ、愚か者が大手をふるってはびこる悲劇というか喜劇というかに満ちていると述べていた。

大震災と大津波、原発事故という三重苦になす術もない菅直人。このどうしようもない無能な、しかも、我欲だけは3人前の人物が、この未曾有の難事に日本国家の最高責任者をやっている悲劇というか喜劇というか、それらのないまぜになったものに、はなはだ遺憾ながら、同時代の日本国民としてつきあわざるを得ない、これまた悲劇というか喜劇というか、なんというか……

だから言わないことではないのだが、しかし……

日本の政治

大震災と福島原発事故が明らかにしたことは、結局のところ、この国の政府には、国民と国土を守る意志も能力もないということのように思われる。

福島原発の事故。「想定外」と東電、原子力推進論者は言うけれど、この事故のどこが「想定外」なのか。

わが国は地震国であり、津波の大被害も繰り返し受けてきた。それを考えれば、津波常襲地帯の太平洋岸に立地した原発の、それも非常電源関連装置を海岸すぐ近くに置くことの危険は明らかだった。

にもかかわらず、これを指導するでもなく放置する政府とは何ぞや。

2位の座を明け渡しとはいえ、依然として有数の経済大国であり、巨額の防衛関係費、災害対策費を国家予算として計上しながら、この災害時に、他国の軍隊の出動を頼まなくてはならない政府とは何ぞや。

「治にいて乱を忘れず」とは政治の要諦だが、この国の政治は、治にいて乱を忘れ去り、新聞・TV演出の愚にもつかない「政治とカネ」に踊っていた。

愚者の楽園。

第2次世界大戦敗北後、敵国アメリカの占領を経て、この国は、国民と国土は自国政府が守るという独立国としての当然の有りようを見失ってしまったかのようである。

クリントン女史天皇会見と宮内庁長官のダブルスタンダード

過日、アメリカ合衆国国務長官ヒラリー・ローダム・クリントン女史が来日した。5時間の滞在だったそうな。

この短時間に、女史は、日本国総理大臣菅直人閣下に、おそらく「焼きを入れた。」 「アンタ! なにやってんの!いくらアメリカの番犬役を忠実にやってるからといって、反原発の世論を勢いづかせるようなフクシマの不手際を繰り返すようだと、クビにするわよ!」

このあと、女史は、皇居で天皇皇后と会った。

うん? 彼女は国家元首? あるいはそれに匹敵する人?伝えられるところによると、女史は、「元大統領夫人として」面会を希望したのだそうだ。

ふーん。

1年ちょっと前、中国の国家副主席と天皇が会見した際、宮内庁長官羽毛田氏は、天皇会見の「3ヶ月ルール」を盾にとって異議をとなえた。いわく、「天皇陛下の健康上の理由もあり、外国の賓客との会見は相手が元首級を原則とし、3ヶ月前までに外務省を通じて宮内庁に申請し、調整の上…なのに、中国副主席はいきなりのことで、民主党、とりわけ小沢幹事長の横暴だ」というものであった。

羽毛田氏は、なぜ、今回のクリントン女史の会見については異議をとなえないのか。3ヶ月前に申請したものではあるまい。しかも、女史は元首でも何でもない、ただの外務大臣だ。元大統領夫人? そんな人物はこの世には掃いて捨てるほどいる。

つまりは、アメリカならよくて、中国はダメ、ということなのか。つまり、ダブルスタンダードだな。

こういうことをやるから、日本はアメリカの属国、本当の独立国ではないと思われるのだ。

東京都知事選

明日、東京都知事選の投票日。

棄権はしたくないので、投票所に出かけ、白票を投じようと思ったが、小沢一郎とでも書いてこようかと、今は考えている。

それにしても、下馬評では、あの老害氏が有力とか。

この世の中はいったい…

東日本中部日本北海道大震災・番外—この期に及んでもまだ私利私欲に走る菅直人一派

自民党の谷垣総裁を閣内に取り込もうとした、菅・仙谷一派の目論見は、案の定、外れた。

そりゃそうだ。菅・仙谷一派の狙いは、未曾有の災害を乗り越えるための真の挙国一致ではなく、自己の保身と政権の延命にあるからだ。そんなことに手は貸せないというのが野党の正直な気持ちだろう。

野党に協力を求める前に、することがあるだろう、菅に、仙谷よ。

なぜ、小沢氏に政権を譲らないのか。百歩譲って、政権を渡さなくとも、礼を尽くして知恵を借り、力を借りる姿勢を示さないのか。儀礼的形式的に会談して済ませるのではなく。

小沢派を排除したまま、民主党の挙党一致もできないで、何が挙国一致か。

すべて、見透かされているぞ。

やはり、菅の背後にいる仙谷は、左翼かぶれの学生運動時代に染み付いたと思われる、猫の額ほどに狭い了見の党派的な敵味方観念でしか動いていない、とてもとても日本全体のことなど考えられない人物なのだと断定しなければならない。そんな人物に頼る菅直人。

いやはや、最大不幸社会も極まれりだ。

東日本中部日本北海道大震災・番外ー震災復興と人心一新

この大震災、人命、財産の損失の大きさはもちろんのこと、人々の心の傷の深さも尋常のものではない。この影響は、広範囲にわたり、しかも、相当長期に及ぶだろう。だから、復興策も、常識にとらわれることなく、大胆かつ徹底的なものでなければならない。わが日本の社会と国家の総力を結集してことにあたる必要がある。

それが成るか成らぬかは、われわれが、将来に希望を持って復興の諸事業に取り組めるかどうかにかかっている。

落ち込んだ人々の気持ちを前向きにし、将来に希望を持たせるためには、人心一新が必要だ。かつては、このような天変地異があると、為政者は元号を変え、あるいは遷都し、あるいは自ら退いて他に政権を譲り渡した。

菅直人政権は、このような政道の常識からも、初期対応の拙劣さからも、しかるべき時期に自ら退陣し、政権運営を他に委ねるべきだ。

ところが、こうした政権批判は不謹慎だというような論調が、一部にあるが、それは間違っている。

大災害だから力を合わせなければならないということと、リーダーやそのやり方を批判してはいけないということとは、同じではない。救援や復興に向けて各人がそれぞれの持ち場でできる限り努力することは当然だが、だからといって、そのことと、為政者やその行為を批判することは別のことだ。

むしろ、このような時にこそ、各人が、気付いたこと、思ったことを大胆に発言し、百家争鳴することの方が、よりよい復興策を作り上げるために必要であるし、人々が積極的に復興に取り組む気持ちを高めることにつながると思う。逆に、一億一心火の玉となって、十分吟味されていない方向に一斉に走り出すことの方が、社会と国家にとってはよほど危険だ。

未曾有の大災害だからといって、健全な批判精神を失ってはいけない。

東日本中部日本北海道大震災・番外ー菅直人の火事場泥棒

17日、菅が仙谷を官房副長官にした。

こういうのを火事場泥棒という。

わが国では、一般民衆は、騒ぎに紛れて悪事を働くようなアコギなことはしない善良な人々がほとんどだが、民主党の菅直人および仙谷グループは、どさくさに紛れて悪事を働く悪人である。

民主党には小沢さんがいるではないか。

小沢さんほどではなくとも、与野党を問わず、政界には腕力、胆力、知力に優れた人物がいるではないか。例えば、危機管理に強い元警察官僚の亀井氏。

菅直人および仙谷一派は、大震災被災者の救援と復興という歴史的国民的課題を、自己一身の保身に使う。彼らは、日本という獅子に巣くう虫、獅子身中の虫である。

総理大臣の任命責任

外務大臣の前原某が辞任した。昨日の参議院予算委員会で、野党が、前原某を外務大臣の地位に付けた菅直人総理大臣の任命責任を追求した。

外務大臣を任命した責任?

それを言うなら、こんな菅直人を総理大臣に任命した責任だろう。

では、誰が菅直人を総理大臣に任命したのだ。

それは決まっている。昨年9月の民主党代表選で、菅直人に投票した民主党の国会議員、地方議員、党員・サポーターである。

これまでも繰り返し述べてきたが、代表選当時の公開討論や記者会見における小沢さんの政見や抱負と、菅直人のそれとを比べれば、一目瞭然、どちらが総理大臣にふさわしいかは火をみるより明らかだった。

それなのに、菅直人に投票した民主党の国会議員などの暗愚。さらには、彼らが菅直人に投票するようにそそのかした、「政治とカネ」のデマ宣伝の新聞・TV。

これらの連中の責任は山よりも大きく海よりも深い。

[蛇足]

菅直人を総理大臣に任命したのは形式的には天皇だが、実質的に任命したのは国会で、とりわけこれについて優越的権限をもつ衆議院だ。だから、衆議院議席の過半数以上を持っている民主党の代表を決める選挙が実質的な総理大臣決定選挙だった。

経済団体の幹部は何時からそんなに偉くなったのだ

日本経団連や経済同友会の幹部が、国家予算の成立を妨げる議員は給料泥棒だとか、予算の成立に反対するのは無責任だとか、しきりに発言して、政治にくちばしを入れている。

この連中は、何時からそんなに偉くなったのだ。

全国的な経済団体の幹部といったって、しょせんは、企業家の集団に過ぎない。彼らの最大の関心は、自分たちの企業や業界の個別的かつ局所的な利害にあり、それ以上でもそれ以下でもない。

しかるに、国家予算の関わるところは、国民全体の福利であり、天下国家の行く末である。一企業家やその集団の利害関心を遙かに越えている。

主権者である国民は、その遙かに大きな問題の解決を、自らが選んだ国会議員に付託したのだ。来年度予算をどうするかは、国民の代表である議員に委ねられているわけで、早期成立を図るもよし、異議ありとして精査した結果、成立が遅れるもよし、である。遅速いずれにしても、国家予算は政治課題の中の政治課題であり、政治そのものである。

政治つまりは予算が、良いものなのか悪いものなのかは、国民が選挙において判断する。これが民主政治というものだ。

それを、経済団体の幹部が、上から目線で偉そうに説教を垂れる。いったい、何様のつもりか。企業家は、自分たちの商売に専心しておればよいのであって、そんな無駄口をたたく暇があったら、良い商品を少しでも安く供給できる努力をすべきである。それが彼らに天から与えられた役割なのだ。分をわきまえよ。

また、議員諸公は、このような分をわきまえない連中の不遜きわまりない発言には、大いに怒らなければならない。献金を受けているスポンサーだから、何にも言えないなんぞとは口が裂けても言ってはいけない。