「美しき五月」の晦日に

本来であれば、一年でもっとも過ごしやすく快適なこの五月なのに、心は暗い。

なぜか。

大震災このかた、行方不明者の捜索ははかどらず、避難所生活を強いられている方が10万人を超える。

それに、いつ収束するか、まったく先の見えない原発事故。

なにより、内閣総理大臣という国の最高責任者が、平気でうそつき、責任逃れをする醜態を毎日のように見ざるを得ない苦痛。

かくのごとき心情を綴って、この「美しき五月」の晦日を締めるのは、はなはだ遺憾と言わざるをえない。

 

 

だから言わないことではない

こういう言い方は好きではないが、いたしかたない。

菅直人が、一国の最高責任者には不向きな男であることは、昨年9月の民主党代表選で明らかだった。

にもかかわらず、国民と国土を守るよりも、自己一身の利益を守ることを優先する新聞TV、それに踊らされた民主党の国会議員など、菅直人を民主党代表に押し上げ、日本国総理大臣にしてしまった愚か者たち。

ヘーゲルだったか、歴史は、高貴な人物が(高貴といっても生まれによるそれではないが)汚辱にまみれ、愚か者が大手をふるってはびこる悲劇というか喜劇というかに満ちていると述べていた。

大震災と大津波、原発事故という三重苦になす術もない菅直人。このどうしようもない無能な、しかも、我欲だけは3人前の人物が、この未曾有の難事に日本国家の最高責任者をやっている悲劇というか喜劇というか、それらのないまぜになったものに、はなはだ遺憾ながら、同時代の日本国民としてつきあわざるを得ない、これまた悲劇というか喜劇というか、なんというか……

だから言わないことではないのだが、しかし……

映画「渚にて」再見

5日前に、ネットで注文したDVD「渚にて」が宅配会社のメール便で届いた。発送者の所在地は九州の佐賀。これが届いた当日、別の荷物を配達してくれた宅配会社のドライバーの話では、特に九州から東日本向けの便がペットボトル入りの水の大量の配達で混雑しているとのこと。大震災の影響がこんなところにも。

その「渚にて」。中学生の頃、3番館で見て、ネビル・シュートの原作も翻訳で読んだ。

で、このたびの再見。映画の冒頭、「ワルツィング・マチルダ」を背景音楽に原子力潜水艦が浮上するシーン、寄港したサンフランシスコで、そこが故郷の水兵が脱走するシーン、政府が配給する安楽死のための毒薬を人々が黙々と受け取るシーン、フレッド・アステア扮する自動車レース狂の科学者がガレージで排ガスで自死するシーンなど、かつて見たときの強い印象とほとんど変わらないものを感じた。

映画の細部にわたる技術的な出来不出来はわからない。が、しかし、福島原発の破滅的な事故とそれによる放射能汚染の脅威に直面している今、ブログ主にとってこの映画は絵空事ではない。