16日水曜日、大震災6日目。
首都圏の電車、始発から運転。鉄道会社によって平常ダイヤのところあり、特別編成ダイヤあり、各社の取り組み姿勢様々。
福島原発で火災との報道。
朝、東京・多摩地区の私鉄駅前のコンビニでは、おにぎりやサンドイッチが並んでいた。供給不足は起きていない。
フランス政府が、日本在留の自国民に対し帰国か日本の南部への避難を勧告したとの報道。被曝による健康被害を抑える「安定ヨウ素剤」の錠剤を1万個、在日フランス人用に運ぶとも。
昼、官房長官が、ガソリンや灯油の買いだめを控えるよう国民向けに要請。遅い。なぜ、国民は買い占めに走るのか。供給不安があるからだ。不安を解消するのが政府の役割のはずだが、買いだめが起こってから、しないでくれと言っても遅い。しかも、買いだめしないでくれと要請する理由が被災地優先の人情論なのだが、これではだめだ。原油備蓄はどれだけ、精製能力はどれだけ、末端のスタンドへの運送能力はどれだけ、いついつまでに品不足は解消するという数字をあげなければいけない。
毎日新聞が、反原発の評論家・広瀬隆氏のコメントをネットで配信。ようやく。
夕方、自衛隊のヘリコプターが福島原発の上空から水をまくとのこと。いよいよせっぱ詰まってきた。(その後の報道で、上空の放射能が強いのでヘリコプターからの水まきは本日中止とのこと。)
午後6時半から8時半まで、自宅のある地域が停電。近くの病院以外、すべて明かりが消えた。外に出ると、地上は10日程度の月の光で、十分明るい。星が綺麗に見える。オリオン、北斗7星。月がなければ、天の川も見えたかも。
50年ほど前、「渚にて」という映画があった。同名小説の映画化。内容は、第3次世界大戦が勃発し、核爆弾があちこちで炸裂する。大都市は壊滅するが、そうでない地方でも、放射能を帯びたチリが飛来し、住民が徐々に死んでいく。映画では、地球上で最後に残ったオーストラリアを舞台に、アメリカ海軍で唯一生き残った戦闘艦である原子力潜水艦の艦長をめぐる人間群像が描かれる。映画、そして小説で衝撃的なのは、政府が、緩慢で苦痛な死よりも、苦痛の少ない死を選べるように国民に毒薬を配る場面だ。
この映画を見、小説を翻訳で読んだのはずいぶん昔だが、それが現実になる日がくるのだろうか。