民主党代表選

本日、民主党代表選が行われます。

ブログ主は、小沢一郎氏にぜひとも総理大臣をやっていただきたいと考えている者です。その理由はたくさんありますが、一点だけ申し上げると、政治家うんぬんという前に、人間としての大きさが小沢氏にはあり、その大きさが、現下の日本の危機を突破する原動力になると思うからです。

小沢氏が当選するかどうか、現時点ではまったくわかりませんが、結果はどうあれ、少なくとも今後10年程度の間の日本のあり方を決めることになると思われます。ぜひ、よりよい日本につながるような結果を願っています。

厚労省元局長への無罪判決と新聞の終焉

昨日、大阪地裁で、厚労省元局長に対する郵便不正事件の判決公判があり、大方の予想通り無罪判決が出ました。ネットでも、従来の大手メディアでも報道、評論が盛んです。

ところで噴飯ものなのは、今日付けの朝日新聞の社説です。

「特捜検察はかつてロッキード事件やリクルート事件などで、自民党長期政権の暗部を摘発した。政権交代が可能になったいまでも、権力の腐敗に目を凝らす役割に変わりはない。

冤罪史は「自白」の強要と偏重の歴史である。今回の事件もその列に加わりかねなかった。

検察は、これを危機ととらえねばならない。弁護士や学識経験者も加えた第三者委員会をつくって検証し、取り調べの可視化などの対策を打つべきだ。それと ともに報道する側も、より客観的で冷静なあり方を考えたい。」

「政権交代が可能になったいまでも、権力の腐敗に目を凝らす役割に変わりはない。」という認識は間違っています。特捜検察が政治家案件を扱う意味が多少なりともあったのは、お説の通り、長期間政権交代がなかったという特殊事情下においてのみであり、まさに、政権交代が可能となった現在では、政治家の有り様を含めて政治の有り様を決めたり権力の腐敗を監視するのは検察当局ではなく、主権者国民と、選挙におけるその投票行動です。いまだに特捜検察に権力の監視役を求める朝日新聞社説の発想は時代遅れといわざるを得ません。

また、「冤罪史は「自白」の強要と偏重の歴史である。」というその歴史に加担してきたのはどなたでしょう。検察当局のリークに頼り、検察の捜査対象はすなわち有罪であると決めつけるかのような報道を繰り返してきたのは、朝日新聞をはじめ既成のマスメディアの皆さんではないのでしょうか。

「検察は、これを危機ととらえねばならない。」とおっしゃるが、ここは「検察」ではなく、「朝日新聞」としたほうがよろしいのではありませんか。朝日新聞を含めて、従来の大手メディアが陥っている、予断や憶測を交え、事実に脚色を加えるという取材・報道の基礎を忘れたかのような振る舞いを自分たちの危機ととらえられないのは、もはや民主社会における報道機関としての新聞の末期症状かもしれません。

田中正造は「危機を危機ととらえられない、これを危機という。」という趣旨のことを述べていたと思いますが、朝日に限らず、大手メディアはまさに危機を通り越して崩壊状態にありますね。

ブログ事始め

このたび、幾多の困難を乗り越えて、ブログをスタートさせることができました。独自ドメインの取得、レンタルサーバとの契約、WordPressのインストール、phpの勉強等々、まったくの素人にとっては非常に高いハードルでしたが、関連書籍やネットにおける諸先達のご教示に助けられてここまでたどり着くことができた次第です。まずもって貴重な情報を惜しみなく開示していただいた先達の皆様に感謝申し上げます。

それにつけても、ありがたい世の中になったものです。そこそこの性能のパソコンとネットで情報を検索する少しばかりの技能があれば、年間数千円で独自ドメインとサーバが確保できる時代なのです。中島みゆきではありませんが、まさに「時代はめぐる〜」であります。

WordPressのインストール画面に「世界で最も拡張的で強力なパーソナルパブリッシングプラットフォーム」とありますが、このパーソナルパブリッシングプラットフォームということ、意味深いものがあります。何千万人かが視聴する放送局、何百万部を発行する新聞社や、何万部を売りさばく出版社に比べれば、インターネットを舞台にしたデスクトップパブリッシングは圧倒的にコストが低く、内容が多くの人に支持されさえするなら、放送や新聞などのマスメディアに匹敵する受け手を見いだすことができます。

民主政治が成り立つためには、もろもろの争点に関し、人々が主権者としての判断を間違いなくするためのゆがみのない情報を過不足なく手にしていることが必要です。これまでは新聞や放送がそれらの情報を中立公正な立場から伝達し、世論を正しく導く役割を担っているとされてきました。すなわち「社会の木鐸」というわけです。

しかし、ここ数年、そのことにブログ主は疑問をもつようになりました。「本当にマスメディアはゆがみのない情報を過不足なく伝えているのだろうか」と。

この疑問が決定的になったのは昨年1月に起きた、当時の民主党代表小沢一郎氏に対するいわゆる「政治とカネ」問題です。来るべき総選挙において政権交代が起こりそうなタイミングにおいて、検察当局が野党第1党の党首の周辺に対して強制捜査を始める、すると新聞や放送が競い合うように「政治とカネ」を連呼して検察当局のリーク情報を報道する。その有様はまるで集団ヒステリーのようでした。

この有様を見て、新聞や放送などのマスメディアが、中立かつ公正な立場を捨てて、ある種の立場を取るようになった、その立場とは「反小沢」という立場なのだと、考えるようになったのです。

その後、インターネットを中心に様々な情報を調べるうちに、検察当局の捜査は、予断と偏見にもとづく政治的捜査と取られても致し方のないものであること、検察当局のリーク情報を垂れ流すマスメディアの行動はもはや「社会の木鐸」と呼ばれるようなものではなく政治的闘争における一方のプレーヤーとなったということを確信するにいたりました。

既成のマスメディアが、民主政治における国民の判断に資する報道ができないのであれば、それに代わるものが必要です。インターネット上のブログサイトでは、貴重な一次情報が流され、様々な立場の意見が主張されています。ブログ主も、それらの情報や主張に大いに目を開かされ啓発されてきました。

そうした数多くのブログサイトがあるにもかかわらず、ここに新たに拙ブログを始めるのはあたかも「屋上屋を架す」に等しいことかもしれません。が、民主政治とはそもそも「人々による支配」であるわけで、その人々が暴力によらず言論によって大いに意見を主張しあい「百家争鳴」する、その中から自ずと政治や社会の進むべき方向が見えてくることは結構なことではないか、というわけで身の程を顧みもせずこのブログを始めた次第です。

始めたきっかけは以上のことなのですが、タイトルの通り、ブログ主の想いや思いを、あれこれ気の向くまま、憶断的にして非論理かつ非実証の記事を連ねて参ります。