ブログ事始め

このたび、幾多の困難を乗り越えて、ブログをスタートさせることができました。独自ドメインの取得、レンタルサーバとの契約、WordPressのインストール、phpの勉強等々、まったくの素人にとっては非常に高いハードルでしたが、関連書籍やネットにおける諸先達のご教示に助けられてここまでたどり着くことができた次第です。まずもって貴重な情報を惜しみなく開示していただいた先達の皆様に感謝申し上げます。

それにつけても、ありがたい世の中になったものです。そこそこの性能のパソコンとネットで情報を検索する少しばかりの技能があれば、年間数千円で独自ドメインとサーバが確保できる時代なのです。中島みゆきではありませんが、まさに「時代はめぐる〜」であります。

WordPressのインストール画面に「世界で最も拡張的で強力なパーソナルパブリッシングプラットフォーム」とありますが、このパーソナルパブリッシングプラットフォームということ、意味深いものがあります。何千万人かが視聴する放送局、何百万部を発行する新聞社や、何万部を売りさばく出版社に比べれば、インターネットを舞台にしたデスクトップパブリッシングは圧倒的にコストが低く、内容が多くの人に支持されさえするなら、放送や新聞などのマスメディアに匹敵する受け手を見いだすことができます。

民主政治が成り立つためには、もろもろの争点に関し、人々が主権者としての判断を間違いなくするためのゆがみのない情報を過不足なく手にしていることが必要です。これまでは新聞や放送がそれらの情報を中立公正な立場から伝達し、世論を正しく導く役割を担っているとされてきました。すなわち「社会の木鐸」というわけです。

しかし、ここ数年、そのことにブログ主は疑問をもつようになりました。「本当にマスメディアはゆがみのない情報を過不足なく伝えているのだろうか」と。

この疑問が決定的になったのは昨年1月に起きた、当時の民主党代表小沢一郎氏に対するいわゆる「政治とカネ」問題です。来るべき総選挙において政権交代が起こりそうなタイミングにおいて、検察当局が野党第1党の党首の周辺に対して強制捜査を始める、すると新聞や放送が競い合うように「政治とカネ」を連呼して検察当局のリーク情報を報道する。その有様はまるで集団ヒステリーのようでした。

この有様を見て、新聞や放送などのマスメディアが、中立かつ公正な立場を捨てて、ある種の立場を取るようになった、その立場とは「反小沢」という立場なのだと、考えるようになったのです。

その後、インターネットを中心に様々な情報を調べるうちに、検察当局の捜査は、予断と偏見にもとづく政治的捜査と取られても致し方のないものであること、検察当局のリーク情報を垂れ流すマスメディアの行動はもはや「社会の木鐸」と呼ばれるようなものではなく政治的闘争における一方のプレーヤーとなったということを確信するにいたりました。

既成のマスメディアが、民主政治における国民の判断に資する報道ができないのであれば、それに代わるものが必要です。インターネット上のブログサイトでは、貴重な一次情報が流され、様々な立場の意見が主張されています。ブログ主も、それらの情報や主張に大いに目を開かされ啓発されてきました。

そうした数多くのブログサイトがあるにもかかわらず、ここに新たに拙ブログを始めるのはあたかも「屋上屋を架す」に等しいことかもしれません。が、民主政治とはそもそも「人々による支配」であるわけで、その人々が暴力によらず言論によって大いに意見を主張しあい「百家争鳴」する、その中から自ずと政治や社会の進むべき方向が見えてくることは結構なことではないか、というわけで身の程を顧みもせずこのブログを始めた次第です。

始めたきっかけは以上のことなのですが、タイトルの通り、ブログ主の想いや思いを、あれこれ気の向くまま、憶断的にして非論理かつ非実証の記事を連ねて参ります。