日本の刑事裁判の不思議

先日、保護責任者遺棄致死罪に問われた某芸能人に対する一審判決がでました。

判決内容については言及しませんが、ブログ主が、またかと思ったのは判決文の次の一節です。いわく「微塵も反省の情が見られない。」

思わず噴き出してしまいました。裁判官は刑事裁判がどういうものか分かっているのでしょうか。

裁判では告発人(刑事裁判の場合は国家でその代理を検察官が務める)と被告発人(刑事裁判の場合は被告人)は対等の立場で、事実の認定(及びその事実の認定の根拠となる証拠の証明力)をめぐり争います。あくまで両者は対等なのです。そして、言うまでもなく有罪判決が確定するまでは無罪なのです。ですから、被告人の側が争われている事実に関して多少なりとも異議があれば、抗弁するのは当たり前なのです。

その、被告発人として当然の防御権を行使することをとらえて、反省のかけらもない、などとお説教され、あまつさえ量刑の情状酌量で不利にカウントされるのではたまったものではありません。このことを大メディアをはじめ誰も問題にしようとしないのは摩訶不思議と言うほかありません。

判決は認定された事実に基づいて相当とされる刑罰を言い渡せばよいのであって、公判の過程に於ける被告人の対応 について道徳的お説教をする必要はまったくありません。いわんやそれを情状と称して量刑に組み入れるなどもってのほかです。

思うに、裁判官のこの発想は、江戸の昔のお白洲裁きから少しも変わっていないのかもしれません。法廷に引き出されて来たのは、すでに町方役人による拷問ありのキツーイ取り調べで「おそれいりやした。」と自白済みの極悪人、有罪の結論は見えており、後はどう懲らしめるかが問題なだけ、というあのTVでおなじみの大岡越前あるいは遠山の金さんをなぞっているだけという感じがしないでもありません。

とにかく司直の追究対象になったら、 もうそれだけで有罪確定扱い、「恐れ入りました」とたとえやっていなくとも素直に謝らなければ、どこまでも「説明責任」とやらを振りかざして叩き続ける何処かの国のマスコミと、日本国の裁判官諸氏は、こりゃ~、気脈を通じているんでしょうかいネ~。オット、お後がよろしいようで…