小沢さんを何がなんでも民主党から追放したい新聞・TV

新聞・TVは、小沢さんを、民主党から追放しようと懸命です。

いわく、党員資格停止では生ぬるい、除名しろだのなんだのと、毎日うるさいことといったらありません。

そんなことをして何がおもしろいのか、さっぱりわかりません。第一、そんなことは、民主党内部のことでしょう。新聞・TVは、なんの資格や権限があって、人様のことに首を突っ込めるのでしょう。不思議です。

新聞・TVの、この有り様を見ていると、その先が断崖絶壁で、そのまま突っ込めば、全員墜落死確実なのに、かまわず破滅へ向かって突進する無知な羊の群れをイメージします。

何をかいわんやであります。ごくろうさま、合掌。

鳩山前首相インタビュー再論

一昨日(2月14日)のブログ記事「素人の政治家」で、鳩山前首相の共同通信によるインタビューを批判的に取り扱った。

だが、このインタビュー、最高権力者の地位を離れたばかりの人物が、すこぶる簡略ながら、一種の回想を世に問うたものと見ることもできる。(本人がどういう動機でインタビューに応じたかは別として。)

わが国の政治家は、回想録や日記の類を生前に、あるいは死後になっても、公開することが少ない。過去のことは水に流すことを良しとする風潮や、沈黙は金とする価値観からか、公職を引退後も、多くの政治家は自らが関わった政治プロセスについてなにも語らず、秘密を墓場までもっていくことがしばしばだ。

ブログ主は、このことをかねてから残念に思っている。公職にあった政治家の回想録や日記の類は、その政治家が関わった政治プロセスについての証言であり、当代および後世の国民がその当否を判断する材料になるので、そういうものがあれば、似たような問題が発生したとき、それらを参考にすることで同じ失敗を繰り返さなくとも済む可能性が高まるからだ。

少数の例外がある。平民宰相こと原敬(1856-1921)の『原敬日記』、最後の元老・西園寺公望(1849-1940)の私設秘書、原田熊雄(1888-1946)の『西園寺公と政局』など。

そう考えると、このインタビューは、歴史的な政権交代によって誕生した初の民主党内閣の実相を当事者の証言から知ることができるものであり、今の政治を考える手がかりになる貴重なものだということになる。

そういう目で見直すと、このインタビューのポイントは、鳩山氏の日米関係に対する見通しの甘さや(2月14日付ブログ記事「素人の政治家」で既述)、初の民主党内閣における首相と他の閣僚との無関係のような関係であったり、その関係の有り様から見えてくる民主党そのものの問題性を明らかにしているところにあると思う。

例によって、新聞・TVは、沖縄のアメリカ海兵隊を抑止力とするのは方便だという趣旨の発言だけをクローズアップして、本当は沖縄県民が気の毒だなどとは毛ほども思っていないくせに、沖縄県民に謝罪しろなどのお為ごかしの大騒ぎをやらかしているが、毎度のこととはいえ、困ったものである。

まず、首相と他の閣僚との関係から。鳩山内閣当時、「閣僚の発言はバラバラだった」と聞かれての返答。

「岡田(克也)君は外相当時、マニフェスト(政権公約)に『県外』とまで書かなかったと話したが、民主党が圧倒的な国民の支持を得て政権を中心的につくらせてもらったのだから、党のビジョンはしっかり打ち出すべきだと思った。一致して行動していただきたいという思いはあった。」

「北沢俊美防衛相は、政権交代後、どこまで防衛省の考え方を超えられるか、新しい発想を主張していくかということが本当はもっと勝負だった気がする。」

第1の疑問。

鳩山氏は首相としての指導力をどう考えていたのか。鳩山氏の言葉からうかがわれるのは、一国の最高責任者である総理大臣というより、自分の思い通りに動いてくれない閣僚に対して強く指導するでもなく、こうしてほしいと思ったとか、もっと勝負してもらいたかったとか、まるで他人事のような感想をもらすだけの、なんとも無責任な傍観者の姿だ。

日本国憲法は、衆議院の解散権や国務大臣の任命・罷免権など最高級の人事権と、行政の各部門に対する指揮監督権を内閣総理大臣に与えており、その地位についた人物の政治的力量によっては、強力なリーダーシップを振るえる強い総理大臣を想定していると考えられる。

最近の例では、あの強力なというか強引なというか、そのようなリーダーシップを発揮した人物に小泉某がいる。そのリーダーシップによって実行された新自由主義的な施策は、日本の社会に分裂と格差をもたらした元凶以外の何者でもなかったと、ブログ主は考えているが、日本の首相もやればできるんだということを実証して見せたことは認めなくてはならない。

ところが、鳩山氏は、総選挙での圧倒的な勝利により、首相の座に就いたにもかかわらず、この強力な権限を適切に使った様子が見えない。それが証拠に、彼の言葉からは、一国の最高責任者として国民のために善かれと思ったことを、万難を排して、それこそ首相としての権限を最大限に使ってでも、断固やり抜くという強い意志が感じられない。

普天間移設問題に関しての「反省点は」と聞かれての答え。

「相手は沖縄というより米国だった。最初から私自身が乗り込んでいかなきゃいけなかった。これしかあり得ないという押し込んでいく努力が必要だった。」

なぜ、首相在任当時に、その努力をしなかったのか、今さら、そんな感想を言われても困るのだが。

また、他の閣僚たちも、副首相だった菅直人や、ここに名前の挙がった二人を代表格に、首相に積極的に協力しようとしないばかりか、むしろ、自分が担当する省庁の既得権を損ねないように行動していたとしか見えない動き方をしている。

「外務、防衛両省に新しい発想を受け入れない土壌があったのでは」と尋ねられての返答。

「本当に強くあった。私のようなアイデアは一笑に付されていたところはあるのではないか。本当は私と一緒に移設問題を考えるべき防衛省、外務省が、実は米国との間のベース(県内移設)を大事にしたかった。官邸に両省の幹部2人ずつを呼んで、このメンバーで戦って行くから情報の機密性を大事にしようと言った翌日に、そのことが新聞記事になった。極めて切ない思いになった。誰を信じて議論を進めればいいんだと。」

本人の切ない思いはともかくとして、外務省、防衛省がこのような「政治主導」の「せ」の字もないような体たらくなことについては、一義的には、このような状態を指導改善できなかった、その省のナンバーワンである岡田外務大臣、北沢防衛大臣に責任がある。

結局、「政治主導」をスローガンに掲げた初の民主党内閣自体が、このようなバラバラ状態では、積年の病弊である「官僚主導」を打破することなど、とうていできない相談だったということだ。

そこで、第2の疑問がわく。

歴史的政権交代による初の内閣でありながら、首相は首相で自分が選挙戦で訴えたことを死にものぐるいで実現しようとの気構えをもたず、閣僚は閣僚で首相のいうことなどには鼻もひっかけない有り様であるような、つまりは、基本的な政策について認識の共有ができていない状態の、バラバラでお粗末な内閣しか作れなかった民主党とは、いったい何なのか。

この疑問は、現在進行中の、菅直人は、なぜ「小沢切り」に夢中になるのかという疑問と重なる。

この疑問に対するブログ主の解答は次のようなものだ。

民主党は、「国民の生活が第一」の小沢支持グループと、「金権打破」「カネにクリーンな政治」が大好きなオリジナル民主党グループとの、水と油のごとき異質な集団が、「呉越同舟」する、もともとバラバラな政党だったのだ。野党時代は、政権奪取という目標が、かろうじて両者をつなぎとめていたのだが、政権を獲得した途端に、両者の亀裂があらわになったというわけなのだ。両者は、茶碗の持ち方から箸の上げ下ろしに至るまで、正反対の政治作法の持ち主であり、とくに、オリジナル民主党を標榜するグループは、小沢さんを、カネに汚い政治家が合流してきたが、選挙に勝つまでの我慢、選挙が終わったら、小沢の主張する「国民の生活が第一」なんぞはかなぐり捨てて、あるいは小泉流の新自由主義、あるいはアメリカべったりの奴隷外交など自分たちの好き放題にやろうと考えていたのだ。

「カネにクリーン」、などとはまったく意味のない言葉で、政治にだってカネはかかる。当たり前の話だ。大事なことは、小沢さんが言うように、誰から貰って、何に使ったかをすべて公開して、その善し悪しについては国民の判断にまかせることで、それが「政治とカネ」についての正しい考え方だ。

こう見てくると、鳩山氏のいわば簡易回想録が、はしなくもかいま見せた民主党初内閣の無惨な状況は、偶然でも何でもなく、起こるべくして起こった、いわば必然的な状況だったといえよう。

今現在の「小沢切り」の行方については、この水と油の二つの集団が、やがて別々の二つの政党に分れることになり、さらにそれが、諸政党の再編成を促して、ようやく、それぞれ論理的な整合性をもった主張を掲げる二つの政党の対立関係という、小沢さん年来の主張に近いかたちになると見るのが正解ということになろう。

春秋の筆法に倣えば、鳩山民主党内閣の無惨は、政界再編成の呼び水になることによって、日本に正しい二大政党制をもたらすことになる、ということだろうか。

小沢さんの「処分」を言い募る民主党の恩知らずたち

民主党執行部を牛耳る菅・仙谷・岡田一派が、小沢さんの「処分」を機関決定しようとしている。

小沢さんは、言わずと知れた政権交代の立役者であり、民主党が、今日、政権の座にあるのは小沢さんのおかげである。小沢さんは、前原某が代表をしていたとき、偽メール事件で地に落ちた党勢を盛り返し、民主党の今日を築いた恩人だ。

その、大功績ありの大恩人である小沢さんを、根も葉もないでっち上げの陰謀事件を口実に「処分」し、おとしめようとする恩知らずを、当たり前の感覚をもつふつうの人間は受け入れない。子どもだって、そんなことは分かる。

それなのに、なにを血迷ったのか、菅・仙谷・岡田一派のやりようは理解に苦しむ。このような、人非人の仕業は、早晩、人々の支持を失うことになるので、彼らは自ら墓穴を掘っているようなものなのだが。

朝日新聞を始め大手マスコミが、けしかけてくれることが頼みなのだろうか。そんなものは、鳥の毛ほどに軽く、当てになんかならないのに、バカな連中だ。

さてさて、次の選挙が楽しみになってきた。待ってろよ、菅に仙谷に岡田。

素人の政治家

13日付けで配信された共同通信の鳩山由紀夫前首相インタビュー記事。

一読して思い浮かんだのは、こりゃだめだ、素人(しろうと)が総理大臣ごっこをやってたんだから、うまくいくわけがないよ、という感想。

2009年夏の総選挙で、沖縄の米軍普天間基地を「最低でも県外」へ移設すると訴えたことを記者に尋ねられて、鳩山氏は「最終的に首相を辞する大きなテーマになるとは予測してなかった」と答えている。

予測していなかった?

まさか冗談だろうと思ったが、本気らしい。

アメリカ軍の基地をどうのこうのするということは、事の大小に関わらず、アメリカの軍部と軍需産業の複合体、および、これと強固に結びついた、日本国内の日米安保を国体と崇(あが)める層の、巨大な既得権を揺り動かすことになるわけで、いわば、虎の尾を踏むことと同じである。その虎が、張り子の虎かどうかは別として。

その虎の尾を踏むこと自体は、ブログ主としても大賛成なのだが、後先のことを考えずに虎の尾を踏むことだけなら素人にでもできる。政治の玄人(くろうと)なら、虎の尾を踏めばどうなるか、虎がどう吠えて、どこにどう飛びかかってくるかを周到に予測し、それに対する備えを十二分にするというのがあるべき姿なのではないか。

鳩山氏は、国会議員として給料をもらっており、2009年総選挙当時、間違いなく衆議院で多数を占めることになる政党の代表、ということは総理大臣になることが間違いなく見込まれる立場の人物だったわけで、玄人中の玄人と見なされて当然だ。

ところが、その鳩山氏は、自分が虎の尾を踏むという認識そのものがなく、したがって当然のことながら、虎が暴れだすことへのなんらの対応策もないまま、選挙戦で国民に、「普天間基地を国外へ、最低でも県外へ」と訴えたというのだ。

いやはや、恐れ入りました。

民主党に一票を投じた国民の多くは、沖縄の米軍基地の過重な負担はもとより、その根底にある日米安保体制に対する疑問をもち、民主党が負担や疑問を解決することを期待していたのではないか。沖縄県民はもちろん、日本中の人が、鳩山氏のこの「国外へ、最低でも県外へ」の訴えに共鳴して一票を投じたのではないか。

鳩山氏は、玄人ではなかった。ずぶの素人である。その素人が政党ごっこ、政権交代ごっこ、総理大臣ごっこを演じ、国民がそれに振り回されたというのが2009年夏の総選挙と政権交代の真実なのだ。

とんでもない人物が、歴史的な政権交代の中心にいたものだ。

鳩山氏は、政権交代直後、オリンピック東京大会開催のキャンペーンのため、政府専用機で国際オリンピック委員会が開かれているヨーロッパの都市へ飛んだが、本当はそんな悠長なことをしている閑はなかったのだ。当時、ブログ主は、東京都知事の石原某が自身の政治的無能をくらますために仕掛けたオリンピック東京開催キャンペーンに批判的だったこともあるが、この歴史的政権交代直後の時期に、こんなお祭り騒ぎに巻き込まれて時間を無駄にしていいのかと思っていた。

一事が万事。鳩山氏には、自分が歴史的な政権交代の中軸を担っているという自覚に欠けていたのだ。鳩山氏のしたことは、民主党に期待し政権交代に賭けた有権者に対する詐欺的行為である。

縁なき衆生は度し難し

今朝、何の気なしに民放TV(フジだったか)を見たら、当選した名古屋の河村市長が、これまた愛知県知事に当選した大村氏とともに出演し、吠えていた。途中から見て、すぐにスイッチを切ったので、前後の脈絡は一切分からない。

耳に飛び込んできたのは、司会?だかの、50歳前後に見える小作りで眼鏡の男性の「小沢はもう終わった人…」という発言。

終わった?

ホー、終わった、ですか。なにを根拠に、そうおっしゃる、小作りで眼鏡の男性よ。と、問いかけても、返事ができないでしょうな。だって、確たる根拠はないのだろうから。

強いて言えば、この発言の根にあるのは、小沢さんに終わってほしいという願望だな。それがポロリと出てしまったという塩梅なのだろう。

これは、多分、この小作りで眼鏡の男性だけのことではなく、既成マスコミの反小沢連に共通の願望なのだろう。

恐らく、この人たちは、小沢さんの主張を聞くこともなく、また、「政治とカネ」という呪文の正体をきちんと調べることもなく、周囲に流されて、何となく、小沢は悪い奴だ、と思い込んでいるだけなのだろう。

つまり、彼ら既成マスコミの反小沢論は、その根底に無知がある。

知ろうとすれば知ることができるにもかかわらず、無知のままに他者をおとしめる言動をなすは悪である。

縁なき衆生は度し難し、と言う。

まことに、彼ら反小沢を唱える既成マスコミは縁なき衆生、すなわち、無知から脱する機縁をもたない人々であり、だから度し難い、すなわち、救い難い。

ムバラク辞任で困ってしまった日経カイロ特派員の花房君

2月6日付のブログ記事「エジプト情勢とアメリカの忠実な番犬である日本経済新聞」で、日本経済新聞のカイロにいるらしい花房という人の記事をこき下ろした。

その、同じ花房という人の「エジプト大統領辞任、軍が権力掌握 米は歓迎の意向」という見出しの記事が2月12日付け日経のネット版に載っていた。冒頭部分は以下の通り。

【カ イロ=花房良祐】29年間にわたりエジプトを統治してきたムバラク大統領が11日、辞任した。スレイマン副大統領は同日、国営テレビを通じて「ムバラク大 統領は辞任を決断した」と話し、権力を軍が掌握すると宣言した。チュニジア政変に触発されてエジプトでは1月25日から連日抗議デモが続いていた。9月の 大統領選挙への不出馬を表明していたが即時辞任要求は収まらず、任期半ばの退任を余儀なくされた。米国政府は歓迎する意向だ。

2月6日付のブログ記事で指摘したが、この花房という人、デモの混乱に一部市民や観光産業関係者がいらだちを募らせており、ムバラク側が沈静化を図っていると書いて、反ムバラクのデモが低調になることを期待している気持ちを隠そうとしていなかった。

花房という人の気持ちの根底には、アメリカがすることは何でも正しい、そのアメリカが支援してきたムバラク政権にいちゃもんをつける輩は不届きものであるという、デモ参加者に対しての否定的な感覚があったのであろう。

ところが、デモに示されたエジプト国民の意思に逆らえず、ムバラク政権が倒れてしまったので、さあ困った。ムバラク政権が倒れないこと、すなわちアメリカのエジプト支配が続くことを願っていったので、デモに示されたエジプト国民の主張を顧慮せずに、ムバラク政権側に立って原稿を書き飛ばしていたものだから、引っ込みがつかなくなってしまった。

でも、世の中、捨てる神あれば拾う神ありだ。

「米国政府は歓迎する意向だ。」

花房という人にとって、救世主が現れた。この人の大好きなアメリカが、政権交代を是認したのだ。

よかったね、ほっとしたことでしょう、花房君。アメリカ様がオーケーを出したので、これまで間違った方向を向いて書いていた原稿の後始末を自分でしなくても済むことになったのだ。これからは、アメリカ様が歓迎する方向だ、と文章を結べば、見当違いの原稿を書いてきた不始末はすべて免責されるというわけなのだから。

ろくに取材もしないで、アメリカべったりの原稿を書いていればそれで済むような記者であれば、なにも大金をかけてカイロくんだりまで派遣することはないだろう。この花房という人の書いた、この程度の原稿であれば、エジプト現地にいなくても、通信社の配信記事と衛星中継のTV画像を見て、アメリカ万歳という調味料をかければ、日本にいてもいくらでも書けるのではないか。

こんなことに無駄金を使う新聞紙を、高い金を出して買う余裕のある人が何百万人もいるのだから、日本が不況だというのはひょっとして眉唾?

公約破りをそそのかす読売新聞

読売新聞は、2日付の社説で、民主党菅直人政権に対し、「一般会計に特別会計を合わせた予算全体の組み替えで必要財源を捻出できるとした民主党の公約は、とうに破綻している」から「一刻も早く公約の大胆な見直しに踏み切るべきだ」と説教している。

おー、大胆ですな。

読売は、菅直人に、国民との約束すなわち公約を破れ、とけしかけているわけです。

公約を破れ、ね。

公約・約束を破るということは、まっとうな世間の常識では、嘘をつくということだ。

つまり、読売さんは、天下の公党に嘘をつけとそそのかしていることになる。

たしか、新聞社は編集部門の社員募集に、大卒程度という条件を付けている。読売もそうなら、少なくともこの社説を書いている人は大卒程度の能力をもっているはずだが、はてさて本当かね。

嘘をついてはいけないし、まして、人に嘘つくようにそそのかしてはいけない、なんてことは、保育園児・幼稚園児だって知っているよ。

読売の社説を書く編集部門の社員の能力は、保育園児・幼稚園児以下ということだな。

読売さん、保育園児・幼稚園児以下の能力しかない人間が作っている新聞紙を、おアシをいただいて売っちゃあいけません。そいつは、詐欺やペテンのたぐいだ。そんなアコギなことをしていると、罰が当たるよ。

検察冒頭陳述の欺瞞

小沢さんの政治団体の陸山会関係者が、政治資金規正法に違反したとして東京地検が起訴した件の公判で、昨日、検察官がおこなった冒頭陳述は、小沢憎し、小沢葬るべしという検察のねらいが、すこぶる明瞭に現れたものだった。

インターネットの世界では常識になっているように、この事件なるもの、そもそも、法律違反とはいえないしろもので、これが違反になるなら、日本国民全員が捕まるようなものだ。

しかし、検察官のやりたいことは、あの憎い小沢に、金まみれの汚い政治家だというイメージをなすりつけ、政治的に葬りたいということなのだろう。

それが証拠に、この冒頭陳述で、問題になっているカネは、中堅ゼネコンからの闇献金だと主張しているが、それならば、闇献金自体を裁判の対象にすればよいのに、それをしない。それをしないで、政治資金収支報告書に記載した日付が数ヶ月ずれた程度の違反でも何でもないことをあげつらう。

闇献金などありはしない、架空の話だとブログ主は思うが、少なくとも、検察官がこのように、さもいわくありげに闇献金を臭わすことで、ドッグレースの犬状態のマスコミは飛びついて騒ぎ立て、新聞・TVしか情報源のない人は、ころりと騙されてしまう。

検察が、こいつはけしからん、やっつけてやろうと思えば、検察の言いなりのマスコミによる洪水のごときデマ報道がこれでもかと押し寄せ、誰彼の区別なく葬り去られてしまう。どなたかがおっしゃっているが、日本は、検察主導のマスコミファシズム状態だ。これで、日本は法治国家といえるのか。まるで検察主権国家ではないか。

ブログ主も、なんだか怖くなってきた。こんな片々たるブログでも、しっかり監視していて、この野郎、生意気にも検察批判なんかしやがって、一丁引っ掛けてやるか、と狙われたらもうおしまい。庶民の標準ではちゃんとやっているつもりでも、この連中の手にかかったらおしまいだ。なにをどう言いがかりをつけられて血祭りに上げられるか分かったもんじゃない。

くわばら、くわばら。

エジプト情勢とアメリカの忠実な番犬である日本経済新聞

エジプト人でタレントのフィフィさんが、自身のブログで、エジプトの反ムバラク運動について熱い思いを語っている。

フィフィさんによれば、今、エジプトで起こっていることは、一義的にはムバラク政権打倒の民衆蜂起だが、ムバラク追放を求める民衆の心には、ムバラク政権を背後で支えているアメリカへの怒りがあり、アメリカはエジプトにかまわないでくれ、中東に介入しないでくれ、というのがその怒りの中身なのだという。

これを、ブログ主流に解釈すれば、アメリカは、中東の石油利権を押さえておきたい、そのためにはイスラエル国家というアメリカに忠実な橋頭堡をこの地に確保しておきたい、イスラエルと良好な関係をもつエジプトのムバラク政権も、したがってアメリカにとっては重要な駒の一つだから、30年間も権力を握り続けている独裁政権であっても、イラクのフセイン政権に対してとは異なり、片目どころか両目ともつぶって、手を握り続けたというわけなのだろう。

これは、自分に都合の悪い独裁政権は大量破壊兵器を隠し持っていると言いがかりをつけて大軍をもって攻め込み崩壊させるが、自分に都合の良い独裁政権は支援するという、例によって例のごとくの、「自由と民主主義」の本家本元を自称するアメリカ合衆国のご都合主義だ。

今、エジプト起きていることは、この、アメリカの偽善と、その偽善に支えられた自国の腐敗独裁政権への怒りが根底にあるというフィフィさんの指摘は、そのとおりだと思う。この、フィフィさんの、エジプトを愛するエジプト人としてのブログでの発言には感心した。

ところで、アメリカの偽善的な振る舞いを、忠実な番犬のごとく、アメリカの側に立って報道する新聞がある。

いえ? アメリカの新聞ではありません、日本の新聞だ。そう、日本経済新聞。

4日、ネット配信された「カイロ=花房良祐」と署名された記事。カイロにいる花房という人が書いた記事と言うことでしょうな。

記事の見出しは、なぜか、数時間のうちに、「エジプト、反体制派が大規模デモ 「退陣の金曜日」と気勢」から、「エジプト、大規模デモ 大統領退陣求め「最後通告」」へと変わった。

その記事中の一文、「政権側と反体制派の溝は埋まっていない。ムバラク大統領は3日、辞任は混乱を招くとして任期満了まで職にとどまることに理解を求めた。」

「理解を求めた」?

誰に理解を求めたのだ。書いてないじゃないか。欠陥文章だよ。こんな文章をそのまま出稿した取材記者、それを見過ごした外信部だか外報部だかの担当デスク、それをチェックできなかった記事審査部だか校閲部。新聞の基本中の基本である記事の文章そのもので、こんな初歩的なミスを平然とやらかす日本経済新聞。

極めつけは、次の一文。

「1日には全土で100万人規模の抗議デモが発生したがムバラク大統領は次期大統領選への不出馬を表明したのみで即時辞任は拒否した。ただ一部の市民や観光産業に従事する関係者は都市機能のマヒにつながっている抗議デモにいら立ちを募らせており、大統領側も「混乱より安定が重要」と強調、沈静化を図っている。」

「一部の市民」って何?

市民ってことでくくられる人は沢山いる。反ムバラク派も親ムバラク派も同じく市民だが、花房君、君が話を聞いたのは、どっちなのかね。都合良く、自分の主観を記事に塗り込めながら、「一部の市民」などとさももっともらしく客観を装う詐欺的行為をしちゃいかんよ。

「観光産業に従事する関係者」?

花房君かまたは家族が日本に帰ろうとして航空券を買いに立ち寄った旅行代理店の窓口担当者が、たまたま、飛行機の予約は混雑してますよ、と渋い顔で言ったのを、花房君の主観で勝手に解釈して「いら立ちを募らせて」いることにしちゃったんじなあないのか。君はフィクションをつくるのがうまいね。

「沈静化を図っている」?

沈静化を図ってほしい、と花房君が願っているということじゃないのかい。そんなに、君は、ムバラク政権が、ということは、エジプトにおけるアメリカの支配が続いてい欲しいと願っているのか。

とまあ、わずか数行の記事にも、体制の、ということはアメリカに支持されてきたムバラク政権に肩入れしようとする気分が丸出しになる文章を書く人間が取材記者としており、その記事を何のためらいもなく配信する日本経済新聞社。

こういうのをアメリカの番犬と言わずして他になんと言う。

こんな新聞を、高い金を払って読まされている読者こそ、いい面の皮だ。

名古屋市長選挙

市議会のリコール可否投票と同時選挙をねらって、市長を辞職した河村候補が、民主党公認で自民党支援のもう一人の候補を押さえて優勢に選挙戦を進めているという。

愛知県は、ゼンセン同盟丸抱えの民社党時代も民社党王国だったし、民社党が民主党に合流して名前が変わってからも、民主党王国として依然その勢威は衰えていない。

その民主党王国愛知の名古屋市長選挙で、元は民主党衆議院議員とはいえ、党本部に反旗を翻し、減税および市政改革を主張して選挙を戦った河村候補が勝てば、これは、名古屋の有権者が、菅直人の財政再建・消費税増税路線にノーを突きつけ、「国民の生活が第一」の小沢路線に立ち戻れ、と意思表示したことになる。

さあ、菅直人君、どうする。これで、外堀は埋まったよ。