いわゆる「大新聞」編集幹部の驚くべき無知蒙昧

11月30日に行われた日本記者クラブ主催の各党党首共同記者会見で、嘉田由紀子・日本未来の党代表に対する質問が、小沢一郎氏への偏見に満ちたひどいものだったことを、政治ブログ『永田町異聞』の12月1日付記事「日本記者クラブの品格とは?」に教えられて、その部分をネット録画で見た。

嘉田代表への質問者は、読売新聞特別編集委員の肩書きを持つ橋本五郎なる人物らしい。この人物が「日本未来の党は小沢依存ではないか」という例によって例のごとくの偏見質問を繰り出したのに対し、嘉田代表は動じることなく「なぜ皆さんは小沢さんを怖がるのか」と切り出した。すると、橋本なる人物が「怖がってない、いやがっている」と茶々を入れた。

「いやがっている」は、漢字で書くと「嫌がっている」ということになる。「嫌」ということは「嫌い」ということだ。ふーむ、「嫌い」ね。

この記者会見は、主催者の「日本記者クラブ」というものの当否はひとまず脇に置くとして、少なくとも公の場であることには違いない。この人物は、この公の場で、岩手の小選挙区の有権者から信任を得た「全国民を代表する」立場の衆議院議員を「嫌い」だと公言したことになる。

人間、好き嫌いは誰にもあることで、この橋本某なる人物が、たとえば自宅の風呂場で「小沢は嫌いだ!」と叫ぼうが喚こうが、当人の勝手だ。だが、記者会見という公の場で、公器を自称する「大新聞」の編集幹部が(彼らは、来る消費税増税に向けて、新聞は「公器」だから存在しなければならない、増税で新聞価格が上昇し読者が減ると存在が危うくなるから、新聞価格には消費税の軽減税率を適用せよ主張している)、特定の政治家を、好きだ嫌いだと言い募っていい訳がない。

そんな、小学生でも知っている道理を、この人物は知らないらしい。そして、まわりの「大新聞」の記者らしき連中が、この橋本なる人物の茶々に同調して笑い声を出しているところ見ると、その連中も同様に道理を知らないらしい。

いわゆる「大新聞」編集幹部の無知蒙昧ぶりを、あらためて確認することになった記者会見ではあった。

日本未来の党の出発を祝す

いいものがいいタイミングできた。結構なことだ。

ほとんどの人が、これができたのは小沢氏の力だと思っている。もっとも、それが気に食わないというのが例のごとくのバカマスコミの小沢恐怖症なのだが。しかし、ブログ主の周りでは違う。今度の総選挙で、自分の一票を託すに足る政党がようやくでてきたという安堵感の方が強い。もちろん、「国民の生活が第一」があるのだが、脱原発、消費増税凍結、自主外交など主張を同じくする中小政党がバラバラでは、政策を実現する多数派をつくることができない。大同団結がどうしても必要だった。

それを小沢氏がやってのけた。イヤー、お見事。しかも、この実現のために、立ち上げたばかりの「国民の生活が第一」を解党し、自分は一兵卒に徹するという。大義のためには自己一身の利を省みない。これは、誰にでもできることではない。小沢氏ならではのことだ。

吉田松陰が、伊藤博文、大久保利通などの松下村塾の秀才たちに「僕は忠義を為すつもり、諸君は功業を為すつもり」と述べたというが、小沢氏は、吉田松陰のごとく「忠義」すなわち日本の民主政治の大義を守り活性化することを使命としているからこそ、今般のような大業を為すことができたのだろう。それに引き替え、民主党、自民党、維新などの政治家連のお粗末なこと。彼らは「功業」すなわち権力のうま味に与り、自己一身の利をはかるばかりの困った連中なのだ。

来る総選挙では、「功業」ではなく「忠義」を第一に考える人々がより多く当選することを願うばかりである。われわれの生活のみならず、民主主義の未来のためにも。

 

真夏の夜の悪夢

今夜、何気なく衛星放送のチャンネル漁りをしていたら、衛星12チャンネル(BS12)でトーク・ロックというのをやっており、あの菅伸子と辻元清美が、料亭らしき座敷で対談をしていた。見たのは5分ほど。音を消していたので、対話の詳細は分からないが、テロップや写し出される写真などから、その5分ほどは、辻元が歴史的政権交代直後の鳩山内閣で、国土交通副大臣になり、首相官邸での記念撮影で着た衣装のことが話題になっていたようだ。

次の総選挙では、大惨敗必死の民主党の、その前代表のバカ女房と、元社民党で現民主党の、消費税増税法案に賛成した理由が政権を担当したらやっぱり増税しないとやっていけないことが分かりましたという箸にも棒にもかからない言い訳しかひねりだせない、これまたバカ代議士のバカ二人のそろい踏み。

しかも、民主党崩壊前夜の、いわばタイタニック沈没直前の民主党にとっては危機というも愚かな超危機的的状況だというのに、この御両所は、のこのこTVに出てきて、記念撮影のときの衣装がどうのこうのという、まあ、なんというか緊張感がまるでない間抜けた対話。

呆れて別のチャンネルに切り替えたら、ニュースと称する番組。そこで扱われていたのは、例の竹島問題で、韓国の外交通商省が日本の総理大臣の韓国大統領宛親書を受け取らずに返送してきたという話題。

一国の代表である総理大臣の親書を受け取らずに突き返すという行為は、外交常識としては、次の段階として宣戦布告も辞せずということではないのか。

まあ、韓国としては、そこまで強硬な行為に及んでも、どうせ日本側は腰砕けのうやむやに終わらせるに違いないとの読みがあってのことなのだろう。つまり、舐められているということですな。

でも、冷静に考えると、舐められてもしょうがない。だって、政権を担っている民主党というものが、上のバカご両人の能天気ぶりに象徴されるごとく、どうにもこうにもしようがないのだから。

67回目の敗戦記念日

きょう、わが国では67回目の敗戦記念日。

この戦争で命を落とした幾千万の人を思い、戦場に赴くこともなく、空襲の中を逃げまどうこともなく生きてこられた自分のありがたさをかみしめるとともに、世界中で今もなお、戦火に倒れる人が絶えないことを悲しむ。

戦争はなぜ起こるのか。その原因は、煎じ詰めれば、戦争によってどんな悲惨なことが起こるのか、自分及び自分の周囲の人々がどれほど不幸な状況に陥るのかについての想像力の欠如に帰する。もしも、自分や自分の大切な人の頭の上に爆弾が雨あられのごとく落ちてくることを想像できるなら誰も戦争などを始めないだろう。

爆弾を落とす人も、その爆弾が破裂した先でなにが起こるかを精細に想像できるなら落とすことを躊躇するだろう。多くの人がそういうことを想像する力を持たなくなると、戦争は近い。

「汝の欲せざるところを人に施すなかれ」とは至言であるし、人々がこのことを不断に意識し続けるなら、「絶えてこの世に争いのおこるまじきものを」なのであるが、しかし……

 

 

男の嫉妬

嫉妬というものは、男がしても、女がしても困ったものだが、男の嫉妬は、それがなにやらもっともらしい理屈をくっつけて現れるものだから、とりわけ始末が悪い。

朝日、読売、毎日、日経など新聞の編集幹部、TVのニュースショウのコメンテイターなどによる小沢たたきは、まさにこれの典型だ。

彼らが小沢氏に投げつける「壊し屋」だの「金権政治家」だのというフレーズは、屁理屈以外の何物でもないが、そういうレッテルを貼って喜んでいる彼らの心底にあるのは、ただ単純に、小沢氏にたいする男の嫉妬だ。

自分たちが、嘘とごまかしの人生、卑屈と追従の人生を生きてきたことに忸怩たるものがあるので、それとは対極にある小沢氏の生き方に、もうどうしようもないほどの嫉妬をしているのだろう。文字通り、身体がわなわな震えるくらいの嫉妬を。

自分たちにはとうてい理解できない大きな存在であることを素直に認めればよいものを、人間としての器量が小さいものだから、それはできない。できないどころか、小沢氏が着々と信念に従って「千万人といえども吾往かん」の気概で歩を進めていることに、なおさら嫉妬が募る。

最近の新聞TVによる小沢報道の偏向ぶりは常軌を逸しているが、その根底に男の嫉妬があると見て取れば、なるほど腑には落ちる。

腑には落ちるが、しかし、こんな腹を空かせた犬猫でもまたいで通るような、やくたいもない男の嫉妬がひねりだした「小沢悪者論」という妄想を、疑いもせず信じ込んでいるように見える同胞がいるとなると、笑って済ませるわけにはいかない。なにしろ主権者は国民なのだから、妄想にとりつかれた一票もこれまた一票。男の嫉妬が生み出した妄想が人から人へと取り付いて、ひょっとしてわが日本の政治の在り様を決めかねない。

そんなわけで、今、わが国の政治にいちばん必要なものは、男の嫉妬の解毒剤である。

そういうものがあるとして。

 

小沢氏の民主党離党

小沢氏が民主党を離れた。

いいことである。次の選挙の投票先ができたのだから。これで一票を無駄にしないですむ。

離党に際して、小沢氏が発表した声明文(下に採録)は、政治的文書の手本になるものだ。民主主義であるとか、国民主権であるとかはどういうことなのかを、具体的な問題(ここでは公約違反の増税)に照らして明瞭に示している。

この声明文を読むと、小沢氏は民主主義のなんたるかを骨身に徹して知っており、かつ実践している政治家なのだとつくづく思う。例によって、無知蒙昧極まりないマスコミは犬の遠吠えを繰り返しているが、彼らは民主主義のなんたるかなんぞはこれっぽちも分かっていないのだ。

イエスは、ゴルゴダの丘で磔になったとき、「父よ、彼らを赦したまえ、その為す所を知らざればなり。」(ルカ伝)と言ったが、赦すかどうかはともかく、「その為す所」がどんな意味を持つか知ることなく小沢バッシングを繰り返す日本のマスコミ、そのマスコミに洗脳されていることに露ほども気づかずに雷同する人々は、イエスを磔にした当時の連中と何ら変わることがない。

 

[以下小沢氏離党声明の全文]

『民主党離党にあたって』

平成24年7月2日

先月26日に衆議院本会議で消費税の増税だけを先行する社会保障と税の一体改革関連法案の採決に際して反対票を投じた者のうち38名に加えて、同じく今回の消費税増税法案に反対をしている参議院議員12名の計50名の離党届を、本日、午後12時半に、衆議院議員分は山岡衆議院議員、参議院議員分は広野参議院議員が輿石幹事長に提出いたしました

私たちは衆議院での採決に際して、国民との約束にない消費税増税を先行して強行採決することは許されない、更に消費税増税以外の私たちが政権交代で訴えた社会保障政策などはすべて棚上げして実質的に国民との約束を消し去るという民主、自民、公明との三党合意は国民への背信行為であると主張してきました。こうしたことから我々は採決において『行財政改革、デフレ脱却政策、社会保障政策など増税の前にやるべきことがある』と主張し反対票を投じました。

そしてこれまで、輿石幹事長には三党合意による増税先行の今回の法案の撤回を求めて、何よりも民主党が国民との約束を守り努力するという政権交代の原点に立ち返ることが最善の策であると訴えてまいりました。

週が明けて本日になるまで、三党合意を考え直し党内結束するという趣旨の話はありませんでした。出てくるのは反対した者に対する処分の話ばかりでした。国民との約束を守ろうとする者たちを国民との約束を棚上げにする者たちが処分するとは、本末転倒な話であります。

もはや野田総理の下での民主党は、政権交代を成し遂げた民主党ではありません。民主、自民、公明という三大政党が官僚の言うがままに消費税増税の先行を三党合意で押し通すことは、国民から政策を選ぶ権利を奪うことであります。

三党合意とは政策の違いを国民に示し国民に政党を選んでもらうという二大政党政治、いわんや我々が目指してきた民主主義を根底から否定するものであります。

私たちは事ここに至って 国民の生活が第一の政策を国民に示し、国民が政治を選択する権利を何としても確保することこそ、混迷にあるこの国を救い東日本大震災で被災された方々をはじめ国民を守る政治家としての使命であるとの決意を新たにしました。

私たちは今後、新党の立ち上げも視野に入れて、政権交代の原点に立ち返り国民が選択できる政治を構築するために、本日、民主党を離党いたしました。

衆議院議員 小沢一郎

消費税増税民自公3党野合の醜状

昨日、衆議院の「社会保障と税の一体改革に関する特別委員会」をインターネット中継で見た。

その状、あたかも、盗人が獲物の山分けを談合しているかのごとし。これが、選良だの全国民を代表するだのとされる国会議員のやることなのだからヒドイものである。

3年前の総選挙で民主党が公約に掲げたことなど、すっかり忘れ去り、まるで、そんな民主党に投票した国民はバカだとでも言わんばかり。

次の選挙で、はっきりとこんな連中にノーを突きつけないようでは、国民はコケにされっぱなし、主権者の肩書きが泣こうというものだ。

フランス国民は、サルコジを落とした。ギリシア国民もそれなりの選択をした。

さて、日本国民はどうする。

私家版昭和平成史世相篇3 「AKB48の総選挙結果」

今朝のNHK・BSニュースで、「AKB48の総選挙結果」を真面目に正面からニュースとして扱っていた。いわく、メンバーの誰それが最高得票でした、と。

「AKB48の総選挙」というのは、ある芸能プロデューサーの企画したタレント及び楽曲売り込みのイベントだったと思うが、天下の「公共放送」NHKがそれをニュースとして報道する。

これを天下太平の慶事というべきか、天下混乱の凶兆というべきか、なんとも言葉がない。

政治の劣化の原因とは

先日の内閣改造のお粗末さは、自民党麻生内閣の防衛大臣補佐官に喜んでなった人物が、今度は民主党内閣の防衛大臣に喜んでなったことに象徴されているが、ここで考えさせられるのは、どうしてここまで政治が劣化してしまったのかということだ。

その国の政治の程度の善し悪しは、その国民の民度の如何によるという身も蓋もない言葉があるが、そうであるならば、われわれの政治の劣化は、すなわちわれわれの劣化ということになる。

確かに。

 

タガがはずれかけたこの国

NHKの経営委員長が、東京電力の社外取締役との兼任を批判され、兼任は違法ではないとしていったんは続投を表明したものの、数日後に撤回して辞意表明に至るというドタバタ劇を演じたが、辞意表明の記者会見で、経営者は昨日判断したことでも状況が変われば正反対の判断をすることもある、という趣旨の発言をしたという。

「君子豹変」ということだと言いたいのだろうが、それは違う。この程度のことにそんな大仰なことを持ち出したらお天道様に笑われる。いちおう公共放送ということになっているNHKの監督組織の責任者と、個別企業の取締役の立場とが両立し得ないことなど、ちょっと気の利いた人間なら、たとえ中学生でも直ちに分かることだ。

この人物、JFEホールディングスの社長だったそうだが、JFEといえば川崎製鉄と日本鋼管が合併してできた会社だ。この程度の人物でも、日本を代表する製鉄会社の責任者が勤まったとは驚きである。

が、しかし、こんなことにいちいち驚いていては、この国では身が持たないかもしれない。総理大臣をはじめ政府高官から政権党幹部に至るまで、誰一人として公約違反や失政の責任をとろうとしない有様では、たかがNHKの経営委員長ごときが、中学生に引けをとろうとなんだろうとお構いなしなのだろう。

上が上なら下も下、どうもこの国は、タガがはずれかけているらしい。