男の嫉妬

嫉妬というものは、男がしても、女がしても困ったものだが、男の嫉妬は、それがなにやらもっともらしい理屈をくっつけて現れるものだから、とりわけ始末が悪い。

朝日、読売、毎日、日経など新聞の編集幹部、TVのニュースショウのコメンテイターなどによる小沢たたきは、まさにこれの典型だ。

彼らが小沢氏に投げつける「壊し屋」だの「金権政治家」だのというフレーズは、屁理屈以外の何物でもないが、そういうレッテルを貼って喜んでいる彼らの心底にあるのは、ただ単純に、小沢氏にたいする男の嫉妬だ。

自分たちが、嘘とごまかしの人生、卑屈と追従の人生を生きてきたことに忸怩たるものがあるので、それとは対極にある小沢氏の生き方に、もうどうしようもないほどの嫉妬をしているのだろう。文字通り、身体がわなわな震えるくらいの嫉妬を。

自分たちにはとうてい理解できない大きな存在であることを素直に認めればよいものを、人間としての器量が小さいものだから、それはできない。できないどころか、小沢氏が着々と信念に従って「千万人といえども吾往かん」の気概で歩を進めていることに、なおさら嫉妬が募る。

最近の新聞TVによる小沢報道の偏向ぶりは常軌を逸しているが、その根底に男の嫉妬があると見て取れば、なるほど腑には落ちる。

腑には落ちるが、しかし、こんな腹を空かせた犬猫でもまたいで通るような、やくたいもない男の嫉妬がひねりだした「小沢悪者論」という妄想を、疑いもせず信じ込んでいるように見える同胞がいるとなると、笑って済ませるわけにはいかない。なにしろ主権者は国民なのだから、妄想にとりつかれた一票もこれまた一票。男の嫉妬が生み出した妄想が人から人へと取り付いて、ひょっとしてわが日本の政治の在り様を決めかねない。

そんなわけで、今、わが国の政治にいちばん必要なものは、男の嫉妬の解毒剤である。

そういうものがあるとして。

 

朝日新聞あるいは新聞・TVの「小沢恐怖症」について

1月9日の朝日新聞社説がネットで話題になっている。

10日にある小沢氏の裁判に関連したものらしいが、ネットの引用をちらりと見る限りでは、あいもかわらぬ「小沢憎し」の一本調子で塗りつぶした文章のようである。

この新聞が、小沢氏をわざわざ社説で狙い討つのは、よほど小沢氏が気になるからに違いない。そうでなければこの新聞が、通常は名もなきものに対してそうしているように鼻も引っかけないだろう。

なぜそれほど気になるのか。

思うに、この新聞は小沢氏なる政治家が一体全体いかなるものであるのかさっぱり分からないのだろう。分からないから気になるし怖い、怖いから闇雲に突っかかる。いや、実のところ、この新聞は小沢氏のことを含め、この世界のことについてなんにも分かっちゃいないのだが、なんについても分かっている振りをするのが習い性となっているので、分からないことについて、分かりませんと素直に謝ることができない。だから、その座りの悪さ、あるいは自信のなさを隠すために、ああも執拗に小沢攻撃に走るという訳なのだろう。

弱い犬がやたらに周囲に吠えかかるのと同じ理屈だ。いや、犬だけではない、人間も同じ。自信のない小心者ほど居丈高になるというのはよくある話だ。

こんな新聞が、何百万部も売れているというのだから、おめでたいというかなんというか。だから、この世の中、いつまでもこんな有様なのだろう。

さて、以上は、たまたま目に付いた朝日新聞についての感想だが、言うまでもなく、他の新聞・TVについても事情は同様である。

東日本中部日本北海道大震災その9

19日土曜日、大震災から9日目。

昨夜、東電の社長が談話を発表。「わが国が経験したことのない大規模地震に伴う津波といった自然の脅威によるものとはいえ」痛恨の極みだそうだ。逃げるのか。卑怯者。東電の社長といえば、当然、偏差値学力があり、東大法学部などを卒業しているのだろうが、この時期にこんな談話を出す神経。偏差値学力と、人間としての実力は同じではないということの生きた証。

菅直人が、自民党の谷垣総裁に、原発問題担当相としての入閣を要請したが、「入閣は大連立と同じで、責任の所在が不明確になるだけだ」として拒否されたと、読売がネットで報道。事実なら、菅直人という男はほんとうに救い様がない。火中の栗を野党党首に握らせ、潰そうとは。こんな時まで、自分の保身が大切なのか。こんな男を応援した朝日新聞はどう責任を取るのだ。

今日、小沢さん、鳩山前首相、前原を官邸に呼んで、菅が話を聞くという。話を聞いてどうする。あの菅では、話を聞いてもどうしようもないと思うが。ところで、暴力団関係企業から献金を受けていた前原は、神戸の時に山口組がしたように、暴力団に救援活動させろとでもいうのか。

内戦状態が続いているリビア情勢に新しい動き、カダフィ政権に対し、アメリカのオバマ大統領が、「即時停戦と主要3都市からのリビア軍の撤退を要求。条件に「交渉の余地はない」と述べ、受け入れを拒否すれば、国際社会 と連携して国連安全保障理事会の決議に基づく「軍事行動に踏み切る」と警告した。」(19日付産経ニュース) いつの間にか、リビアにアメリカが軍事介入する勢い。これは内政干渉ではないのか。

夕方、官房長官が、茨城産のほうれん草と福島産の牛乳から食品衛生法の暫定基準値を超える放射能を検出と発表。いよいよ。

菅が、電話で自民党の谷垣に副総理兼震災復興担当相での入閣を要請したが、谷垣は拒否したと、日経のweb刊が伝えた。

「強制起訴」という呪文で立派な政治家をおとしめようとするチンケなマスコミ

このところ、マスコミが、一斉に、あの検察審査会による起訴議決を受けて、近々、指定弁護士が小沢一郎氏を起訴する運びだと報じている。

例の通り、ドッグレースの犬ですな、マスコミの諸君は。すわっとばかりに目の前の兎だかなんだかに飛びつきましたね。ポチが餌を見て、シッポを振るようで、分かりやすいことこの上ない。

叩いても叩いても動じる気配のない小沢氏に、あれれ、どうしたことだ、ふつうの政治家ならとっくに白旗を掲げて降参しているのに、おかしいな、自分たちの読者目くらましの術に翳りが見えてきたか、と動揺していただろうマスコミの諸君にとって、待ってました、おあつらえ向きの仕掛けがやってきたというところだろう。

よかったね、これでしばらくは、記事が書けるね、編集局の幹部にも怒られなくてすむね。

ホッとしたことだろうね。

というわけで、その、マスコミの諸君のホッとした浮かれ気分の代表選手として、朝日新聞にご登場願おう。

29日付の「小沢氏、31日にも強制起訴 陸山会の土地取引事件」と題するネット配信記事中の一文。

「市民の判断によって政治家が起訴されるのは初めてとなる。」

ほほー、「市民の判断」ね。都合良く「市民」を使うね、朝日の取材記者さん、デスクさん、整理記者さん。おまけに、この1行の文章、君たちのうれしそうな気分が伝わってくるようだよ。「小沢の野郎、今度こそ息の根を止めてやる」ってね。

ところで、「市民の判断」とは、あの胡散臭い検察審査会の、平均年齢が30いくつかだという審査員の判断のことを言っているのだろうが、その審査員の判断といったって、数回の会合で、ろくに資料を調べもせず、審査補助員の弁護士の意見を鵜呑みにして出した判断だろう。それって、君たちの、検察リーク情報垂れ流しの嘘八百報道で創られたこだまとか、やまびこみたいなものだよ。ま、元はといえば、例の「政治とカネ」の話そのものが、作・演出:特捜検察、スポンサー:霞ヶ関高級官僚軍団及び宗主国アメリカ、による猿芝居みたいなもので、その猿芝居の狂言廻しがあなた方の役どころというわけなんだが、わかっちゃいないだろうな。

その狂言廻し風情が、勝手に「市民の判断」などと決めつけちゃあいけない。「市民」もいろいろだからね。あの、菅直人君も「市民」運動家だったし、マスコミの報道を批判するこのブログ主も「市民」なのだからね。

朝日の取材記者さん、デスクさん、整理記者さん、まずは君たちの言う「市民」って、いったいなんなのか、そこのところをきちんと定義しなさい。そうでないと、君たちの言う「市民の判断」による「強制起訴」という文句は、なんとかして憎い小沢をおとしめてやりたいという気分をあらわすたんなる意味不明の呪文に過ぎないよ。

マスコミは病気

今日、電車の中で、隣に座った人が、一日前の朝日新聞を読んでいた。

一面の見出しに、「内閣支持率25%に微増」とあった。

「微増」か。

まあ、菅直人ヨイショの朝日新聞としてはそうとしか言いようがないだろう。

でもこの数字、誤差の範囲、意味がない数字ということではないのかな。

せっかく内閣改造したのにこの数字では、当の菅直人もがっかりだろうし、それ以上に、菅直人にがんばってもらいたいと思っている朝日新聞にはがっかりの数字だろう。

もう一つ、ネットでみた時事通信の配信記事。

菅内閣の支持率が数%上がったことをとらえて、改造で小沢切りを貫いたことが評価された、と論評していた。

うーむ、何を根拠にこう主張するのか。

おそらく、根拠もへちまもないのだろう。

とにかく、誤差の範囲程度の数字でも、小沢一郎氏と結びつけないと気が済まないのだろう。

こうなると、もう病気だ。しかも、重篤の。

「李下に冠を正し、瓜田に履を直」した新聞社の社員ジャーナリスト

23日の夜、都内の日本料理店で、新聞社の編集部門社員、朝日新聞の星某、読売新聞の橋本某、毎日新聞の岩見某が菅直人と会食した。

彼ら編集部門社員三人のうち何人かは、先の民主党代表選の際、日本記者クラブで行われた記者会見で、候補者である小沢一郎氏と菅に質問していたし、また、一人はTVのニュースショーに出て、何やらコメントする姿をかつて見た記憶があるから、彼らは新聞社の編集部門社員、すなわち記者というものであり、したがって日本ではジャーナリスということになるものであろう。

年末のこの時期に、複数の人間が会食することを、世間では忘年会と呼ぶ。すなわち、この会食は、時の内閣総理大臣と新聞社の社員ジャーナリストが忘年会をやったということだ。

この日本料理店は、昼食時間帯でも一人1万円程度、夜になると数万円のお値段になる。総理大臣や高給を食む新聞社の社員ジャーナリストにとっては日常茶飯の価格かもしれないが、今日の昼食はマクドナルドの100円バーガーで済ませようか、コンビニのおにぎり2個で我慢しようか、あるいは頑張った自分にご褒美だから「天や」の500円の天丼で豪遊しようかという具合に、このデフレ不況下、減る給料、導入されるかもしれない消費税増税に怯え、財布のひもを絞れるだけしぼって生活防衛に走らざるをえない普通の国民、すなわちブログ主のような人間の感覚からすると目の球の飛び出るほどの高価格店だ(あえて高級とは言わない)。

この時期に、この価格の料理店で、新聞社の社員ジャーナリストが、時の最高権力者と忘年会をするというのはどういうことなのだろうか。

国民の知る権利の付託に応え、時の最高権力者にインタビューし、本音を引き出し、政治過程に影響を与えることはジャーナリストの職分ともいえるものだから、新聞社の社員ジャーナリストが、総理大臣と会うことは自体は正当な職務行動である。

だが、同時に彼らは、不偏不党にして中正公平な立場で可能な限り客観的な報道と論評をおこなうことを社是であるとか綱領としているはずの各新聞社の社員ジャーナリストである。

そうであるからには、そのような方針を掲げている新聞社の社員として、取材対象と蔓んでいるとか、あるいはグルになっているなどとあらぬ疑いをかけられるようなことをしてはいけないことになっているはずである。

そこで、今回の会食だが、社員ジャーナリストが総理大臣と、昼日中に、官邸などの執務場所で、ただ単に会ったということではなく、夜に料理店で忘年会をしたということであり、すなわち懇親をしたということである。

懇親とは、読んで字のごとく、懇ろに親しむということだ。

なぜ、彼らは、政権党である民主党の内部で、主導権を争うグループの一方の旗頭でもあり、いわゆる世論調査での支持率ががた落ちしている総理大臣でもある人物と、この時期に、彼らの大好きな言葉で言うと、「庶民感覚」とか「国民目線」からは目の球の飛び出る高価格の料理店で忘年会をやり、懇ろに親しんだのか。

「庶民感覚」や「国民目線」からは、「李下に冠を正し、瓜田に履を直」したと言われてもやむを得まい。つまり、菅直人と蔓んで、あるいはグルになって、小沢一郎氏追い落としの陰謀をめぐらしたなどと疑われてもしかたがないということだ。

彼らは、自分たちが国民の知る権利の負託に応え、不偏不党の立場から中正公平な報道に努める社会の公器としての新聞企業の一員であり、社会の木鐸としてのジャーナリストであると自負するなら、これまた彼らの大好きな言葉で言うと、自分たちのしたことについて「説明責任」がある。

やはり脳死状態の朝日新聞

ブログ主は、新聞を読まず、TVのニュース番組も見ないのだが、インターネットの政治系ブログは日々拝見している。

そうしたブログの一つで、小沢一郎氏に菅直人が政治倫理審査会への出席を要請し断られた件についての朝日新聞の社説の一部が引用されているのを見た。

孫引きだが、社説の趣旨は、小沢氏を非難し、菅直人に「小沢切り」に邁進しろと叱咤する内容とか。

本ブログのスタート時、今年の9月に1回、インターネットで公開されている朝日新聞の社説(厚生労働省局長の冤罪事件に関して大チョンボをやらかした特捜検察を激励して権力の監視役としての活躍を期待する趣旨)を批判する記事を書いた。

その際、ここまで「小沢を討ち取ろうとした特捜検察正義の味方病」あるいは「諸悪の根元は小沢だ病」が進行していると、回復は困難だろうと判断し、すでに朝日新聞はジャーナリズムとしては脳死状態だから、その論評については顧慮に値しないと考え、その後は一切、朝日新聞の社説は見ていない。

上記の、朝日社説を扱った政治系ブログを拝見して、3ヶ月前の朝日新聞に関するブログ主の判断は正しかったことを再確認した。

やはり脳死状態が続いている。

まあ、朝日新聞がどうなろうとどうでもよいのだが、こんな新聞を、お金を出して買う人がいるとは驚きである。なんだかんだ言っても日本は豊かなのだろうか。こんなゴミみたいなものに定期購読であれば年間5~6万円支払うことができる人がいるというのは。

それとも、脳死状態の患者さんの治療費の足しにと、苦しい中から捻出したお金をあてているのだろうか。だとすると、デフレで不況だというのに、日本には何百万人もの心優しき篤志家がいる、歴史上希有の国ということになる。

やはり、わが日本国は、むかしむかしある西洋人が旅行記の中で命名したように遙か東方の海上に浮かぶ「黄金の国ジパング」なのだろうか。