名古屋市長選挙

市議会のリコール可否投票と同時選挙をねらって、市長を辞職した河村候補が、民主党公認で自民党支援のもう一人の候補を押さえて優勢に選挙戦を進めているという。

愛知県は、ゼンセン同盟丸抱えの民社党時代も民社党王国だったし、民社党が民主党に合流して名前が変わってからも、民主党王国として依然その勢威は衰えていない。

その民主党王国愛知の名古屋市長選挙で、元は民主党衆議院議員とはいえ、党本部に反旗を翻し、減税および市政改革を主張して選挙を戦った河村候補が勝てば、これは、名古屋の有権者が、菅直人の財政再建・消費税増税路線にノーを突きつけ、「国民の生活が第一」の小沢路線に立ち戻れ、と意思表示したことになる。

さあ、菅直人君、どうする。これで、外堀は埋まったよ。

「強制起訴」という呪文で立派な政治家をおとしめようとするチンケなマスコミ

このところ、マスコミが、一斉に、あの検察審査会による起訴議決を受けて、近々、指定弁護士が小沢一郎氏を起訴する運びだと報じている。

例の通り、ドッグレースの犬ですな、マスコミの諸君は。すわっとばかりに目の前の兎だかなんだかに飛びつきましたね。ポチが餌を見て、シッポを振るようで、分かりやすいことこの上ない。

叩いても叩いても動じる気配のない小沢氏に、あれれ、どうしたことだ、ふつうの政治家ならとっくに白旗を掲げて降参しているのに、おかしいな、自分たちの読者目くらましの術に翳りが見えてきたか、と動揺していただろうマスコミの諸君にとって、待ってました、おあつらえ向きの仕掛けがやってきたというところだろう。

よかったね、これでしばらくは、記事が書けるね、編集局の幹部にも怒られなくてすむね。

ホッとしたことだろうね。

というわけで、その、マスコミの諸君のホッとした浮かれ気分の代表選手として、朝日新聞にご登場願おう。

29日付の「小沢氏、31日にも強制起訴 陸山会の土地取引事件」と題するネット配信記事中の一文。

「市民の判断によって政治家が起訴されるのは初めてとなる。」

ほほー、「市民の判断」ね。都合良く「市民」を使うね、朝日の取材記者さん、デスクさん、整理記者さん。おまけに、この1行の文章、君たちのうれしそうな気分が伝わってくるようだよ。「小沢の野郎、今度こそ息の根を止めてやる」ってね。

ところで、「市民の判断」とは、あの胡散臭い検察審査会の、平均年齢が30いくつかだという審査員の判断のことを言っているのだろうが、その審査員の判断といったって、数回の会合で、ろくに資料を調べもせず、審査補助員の弁護士の意見を鵜呑みにして出した判断だろう。それって、君たちの、検察リーク情報垂れ流しの嘘八百報道で創られたこだまとか、やまびこみたいなものだよ。ま、元はといえば、例の「政治とカネ」の話そのものが、作・演出:特捜検察、スポンサー:霞ヶ関高級官僚軍団及び宗主国アメリカ、による猿芝居みたいなもので、その猿芝居の狂言廻しがあなた方の役どころというわけなんだが、わかっちゃいないだろうな。

その狂言廻し風情が、勝手に「市民の判断」などと決めつけちゃあいけない。「市民」もいろいろだからね。あの、菅直人君も「市民」運動家だったし、マスコミの報道を批判するこのブログ主も「市民」なのだからね。

朝日の取材記者さん、デスクさん、整理記者さん、まずは君たちの言う「市民」って、いったいなんなのか、そこのところをきちんと定義しなさい。そうでないと、君たちの言う「市民の判断」による「強制起訴」という文句は、なんとかして憎い小沢をおとしめてやりたいという気分をあらわすたんなる意味不明の呪文に過ぎないよ。

ダボス会議なる面妖な会合と例によってあの菅直人

世界経済フォ−ラムという団体が主催する会合が、冬のスイスのリゾート地で開かれている。あの菅直人が、政府専用機を使って、この会合に出席している。

政府専用機を飛ばすと、いったいいくらかかるんだ。数千万円?

そんな費用をかけてまで出る値打ちがあるのか、この会合は。

元々、スイスの大学の教員が始めた西ヨーロッパの経営者の会合が、企業の協賛金などを集めて規模を拡大し、いつの間にか、菅直人や、総理大臣当時の麻生太郎までもが、はるばる極東から、大金をかけてまで出席するような会合になったらしい。

どうも、胡散臭い団体の胡散臭い会合ですな。ウィキペディアによると、世界経済フォ−ラムなる団体は、国連経済社会理事会のオブザーバーだということだそうだが、そんなイチジクの葉っぱみたいな肩書きを着けたところで、いわゆる欧米エリートと金融資本家及び一部の産業資本家による、表面的にはともかく核心部分では実に閉鎖的な結社あるいはクラブのようであるし、いわゆるグローバリゼーション、すなわち国際的な商取引に関して自分たちの利益の極大化にとって都合の悪い制約を撤廃し、世界を弱肉強食の単一市場にしろと主張する利益団体のようにしか見えない。

そうではない、地球温暖化など環境問題にも積極的に関わっている、との指摘があるかもしれないが、環境問題も二酸化炭素の排出権取引に見られるように、国際的な金儲けのビッグチャンスになるという側面があることをお忘れなく。

そんな会合に、菅直人が、国民の税金をたいそう支出して、あのTPPとやらの、関税自主権を放棄し、農業始め国内地場産業が大打撃を受ける亡国政策断行の決意というか妄想を表明しに出かけた。

象徴的である。

菅直人は、政権交代の恩人を、検察(高級官僚)・マスコミ連合軍の悪巧みに生け贄として差し出すことで自己の出世欲を満たしたが、今度は、わが日本国の国益を、欧米の金融資本家及び一部の産業資本家に売り渡そうとしている。

こういうのを、売国奴というのではないだろうか。

小沢一郎氏への勝手な思いーその1

小沢一郎氏を見ていると、この人、政治家なんだけれど、実は政治家ではないのかもしれない、という思いが浮かぶ。

小沢氏の座右の銘「百術は一誠に如かず」。

ふつうの政治家は、己の願望を、「百術」を駆使して実現しようとするのだろうが、小沢氏は「一誠に如かず」を取るという。

あれこれ手練手管をめぐらすより、己の信念を愚直に訴え続けることを尊ぶのが小沢流なのだろう。ふつうの政治家とは次元が違うレベルの政治を小沢氏が目指しているようにも思える。

だが、しかし、嫉妬と裏切りが渦を巻き、百鬼夜行ならぬ百鬼昼行が現実の政治の世界で、一朝一夕に、小沢氏のやり方が実を結ぶとは思えない。だから、遠見では易々と、仙谷由人などという三百代言に、民主党の主導権を奪われてしまうことにもなるのだろう。

せっかく、「国民の生活が第一」に期待し、政権交代を実現させた主権者国民にとっては、今の民主党の有様は残念なことだが、しかし、見方を変えると、こうも考えられはしないか。

官僚主導は明治以来100年以上、米国の植民地状態は敗戦以来半世紀以上、かくも長く続いたアンシャンレジーム(旧体制)を変革するには、一回や二回の政権交代では無理なのであって、むしろ、今回の政権交代は、始まりの始まり、山登りでいうと、ようやく1合目に一歩踏み入れたというところなのではないか。

であれば、焦りは禁物、本当の民主政治、国民が主権者として政治を動す真の民主政治を実現するためには、地道なしかも王道を歩む行動の積み重ねが必要なのだ。

こうした亀の歩みに似た振る舞いは、時として、兎の如くすばしこい利巧者に先を越されるかもしれない。夜明けはまだ先かもしれない。

しかし、この1年ほどの政治の動きが、日本で真の民主政治を実現することの難しさを明らかにし、本物の民主政治を望むならそれなりの覚悟を固めることをわれわれ主権者に求めるきっかけになったと考えるなら、今回の政権交代は意味があったということではないか。

と、まあ、こんな感想とも諦めともつかぬ思いが浮かんでくるのだが。

小沢氏の胸中を去来するのも、ひょっとして、こんなことではないかというのは

ブログ主の勝手な思い込みか…

消費税増税は社会保障目的という真っ赤な嘘

菅直人は、消費税の増税は社会保障目的だから国民の利益になる、利益になるから国民は安心して消費に励み、結果、経済成長が実現して、その余禄が国民に回るのだから、汝国民は消費税増税をもろ手を挙げて歓迎せよ、と、まあざっとこんな頓狂をぶち上げている。

バカじゃないか。

こんな理屈にもならない屁理屈、小学生でも騙せないよ。

消費税が初めて導入されたとき、時の自民党政府はなんと言ったか。これで、年金を始め社会保障は万全です、と言ったのではなかったか。

3%から5%に上げたときも、同じことを言った。

消費税増税は社会保障目的だなんぞという言い草は、真っ赤な嘘である。

税金に色などついていない。

いったん財務省の手に入ったら、どこへ行くのやら、その行方は財務官僚のみぞ知る。

国民は安心して消費に励む?

冗談じゃないよ。

5%が10%になるということは、1万円の買い物で、500円の税金が1000円になるということだ。その差500円、500円玉一個だよ。

500円玉一個あれば、マクドナルドの100円バーガーなら5個も買える。安売り競争の牛丼なら2杯食べられる。

そんな大金を強制的に召し上げられることになるというのに、安心して消費に励むだと。

バカも休み休み言え。その反対だろう。みんな、財布の紐を締めて生活防衛に走るに決まっているじゃないか。経済は一段と冷え込むことになる。成長どころか、縮小に向かうこと必定だ。

このデフレ不況で、中小零細の皆さんは四苦八苦、学生さんも就職超氷河期で辛い思いをしている。これに輪をかけることになる罪作りが消費税増税だ。

菅の頓狂に加えて、例のごとくにマスコミが、消費税増税について国民の理解は得られつつある、などと嘘の上塗りをする始末。

日本のマスコミは、購読料金が再販価格維持制度で安売り競争から免れている新聞、不当に安い電波利用料で法外な利益を上げているTV局、ともに規制に守られ、独占にあぐらをかいて、このデフレ不況だというのに社員の平均給与は異常に高い。マスコミ貴族だ。

こんな連中のことだから、消費税が5%上がろうが、10%上がろうが痛くも痒くもないのだろう。それなのに、この連中ときたら、口を開けば「国民目線」「市民感覚」などいかにも庶民の味方のようなことをいけしゃあしゃあとぬかす。お前さんたちね、こんなアコギなことをしていると地獄に堕ちるよ。

しかし、情けないことに、どう見てもブログ主とそんなに変わらない家計状態にある庶民の皆さんの中に、こんな嘘八百を真に受ける人がいるのだから困ったものだ。

「年金をちゃんと貰えるようになるなら、消費税が少々上がってもしょうがないのじゃないでしょうか」

ウーム、騙す方が悪いのか、騙される方が悪いのか、どっちでしょうかねえ。

裏切られた政権交代

今、民主党のウェブサイトにアクセスすると、一瞬、「国民の生活が第一」の文字が浮かび、すぐに菅直人のスローガン「元気な日本を復活させる」に変わる。

象徴的である。

2009年夏の総選挙で、正しくも「国民の生活が第一」を掲げ、「脱官僚主導政治」を標榜して勝利した民主党。

それが今はどうだ。

21日、菅直人は、事務次官連中を前に、「脱官僚主導政治」には行き過ぎなり不十分があった、と述べ、協力を要請したという。

無条件降伏。

なぜ、こうなったのか。

ブログ主の考えでは、民主党執行部が、代表の菅直人を始めほぼ全員、「国民の生活が第一」を否定し、官僚に政治の主導権を譲り渡すことをためらわない連中で占められてしまったからだ。名称は相変わらず民主党だが、現在の民主党は総選挙当時の民主党とは似て非なるものになった。

どうしてか。

民主党の反小沢グループによる党内クーデタが成功したからだと思う。

クーデタとは、国語辞典によると、「既存の支配勢力の一部が非合法的な武力行使によって政権を奪うこと」とある。

まさにしかり。「既存の支配勢力の一部」を、「民主党の反小沢グループ」に置き換え、「非合法的な武力行使」を、「検察・マスコミ連合軍による政治とカネキャンペーン」に置き換えると、ぴったりはまる。

彼ら反小沢グループは、検察・マスコミ連合軍の政治とカネキャンペーンに乗じて、まんまと、民主党の権力を奪うことに成功した。

それが、菅直人の、今日のぶざまな、「高級官僚の皆さん、ごめんなさい」につながっている。

このクーデタは、「国民の生活が第一」「脱官僚主導政治」を期待して政権交代にかけた主権者に対する裏切り行為である。

裏切られた政権交代。

裏切られた国民、すなわち私たちはどうするか。

主権者としてなすべきことをする、すなわち次なる選挙での投票行動で、その思うところを具体化することだ。

もう一人の老害

中曽根元首相が、今回の内閣改造に関して、与謝野に大いに仕事をさせろという趣旨の発言をしたと、某新聞社のネット記事が伝えていた。

こんな発言、する方もする方だし、伝える方も伝える方だ。

中曽根が首相を退任してからもう何年になるのか。20年以上たつのではないか。

過去の人である。

それをいつまでも、現下の政治過程に首を突っ込んで世迷い言をだらだらとたれ流す。みっともないからおよしなさい。

さらにみっともないことに、マスコミが、こんな世迷い言を、マジ顔で報道する。

マスコミというのは、いちおう、ニュースを伝えるということになっているのではないのか。中曽根の世迷い言がニュースなのか。

過去の人が、過去の栄光にしがみついて、いつまでも、懲りもせず、世迷い言を垂れ流しています、というのだったら、まあ、ニュースにならないこともないかとは思うが。

マスコミも苦しいのだな。

2009年夏の総選挙で主権者が「国民の生活が第一」を支持し、政権交代を実現した歴史的意義を、とにかく、なんとしてでも貶め、晦まさなければならないと必死なものだから、民主党批判の急先鋒だった与謝野の民主党内閣入りを正当化し結果として政権交代の矛先を丸め込むことにつながる、こんな老人の世迷い言まで報道しなくちゃならない。

ま、ごくろうさんです。こんなことは自ら墓穴を掘るのと同じことなのだがね。

マスコミは病気

今日、電車の中で、隣に座った人が、一日前の朝日新聞を読んでいた。

一面の見出しに、「内閣支持率25%に微増」とあった。

「微増」か。

まあ、菅直人ヨイショの朝日新聞としてはそうとしか言いようがないだろう。

でもこの数字、誤差の範囲、意味がない数字ということではないのかな。

せっかく内閣改造したのにこの数字では、当の菅直人もがっかりだろうし、それ以上に、菅直人にがんばってもらいたいと思っている朝日新聞にはがっかりの数字だろう。

もう一つ、ネットでみた時事通信の配信記事。

菅内閣の支持率が数%上がったことをとらえて、改造で小沢切りを貫いたことが評価された、と論評していた。

うーむ、何を根拠にこう主張するのか。

おそらく、根拠もへちまもないのだろう。

とにかく、誤差の範囲程度の数字でも、小沢一郎氏と結びつけないと気が済まないのだろう。

こうなると、もう病気だ。しかも、重篤の。

菅伸子と菅直人—葬式帰りに喪服でスーパーに立ち寄ったバカ女とそのアホ亭主

1月8日、この破れ鍋に綴じ蓋コンビは、知人の葬儀に参列した帰途、喪服姿で自分の選挙区内にあるスーパーに立ち寄り買い物をしたそうだ。

この破れ鍋に綴じ蓋コンビが、スーパーで買い物したことは知っていたが、まさか葬式帰りに喪服姿であったとは…

つい昨日、ネットでそのときの写真を見て目が点になった。

ま、よく考えれば、このバカ女にアホ亭主のことだから、こんな奇態なことをしてもおかしくはないのだが、それでも、まさか、そこまでバカだとは…

スーパーに立ち寄ったのは、日用品が不足したからだという。

? 4日の新年会で200人分料理を用意したが、50人も来なかったので大量に廃棄したため、自分たちの食料が不足したのか。

理由はどうあれ、こんなことはまともな大人のすることではない。

葬儀に参列するというのは、故人に弔意を表すということだ。弔意を表すというのは、人間の行動としてはもっとも重要なものの一つで、最大限の敬意をもってなされなければならない。それは、そのことのみのために行われなければならないもののはずである。行って帰ってくる。道草など食わない。

それを、日用品の充足という程度の用を足すためにスーパーに立ち寄る。しかも、その一部始終を新聞やTVに取材させる。庶民感覚をもっていることをアピールするため?

まあ、本当の庶民であれば、誉められたことではないが、あっても仕方がないかなとは思う。

しかし、この破れ鍋に綴じ蓋コンビは、わが日本国の内閣総理大臣夫婦なのだよ。

こんなのが、総理大臣夫婦をやっている日本という国は、いったい何なんだろう。

「破れ鍋に綴じ蓋」の菅伸子

亭主が亭主なら、女房も女房である。

12日に行われた日本外国特派員協会でのインタビューで、記者の質問に答え、「こんなこと言っていいのかしら」と前置きしつつ、両陛下と皇居で、昨夏、亭主及び自分の4人で会食した際の天皇の言葉を明らかにした。天皇は、当時問題になっていた「消えた高齢者」について、どういうことになっているのでしょうか、ともらしたそうだ。

ブログ主が、菅伸子の発言について思うことは二つ。

第1は、この女、自慢をしたなということ、第2は、この女、結局なんにもわかっちゃいないということだ。

第1について。

これまで、天皇との会食の際などの会話は、公にしないという慣例があるという。この慣例の当否については今は問題としない。

しかし、この慣例があるのを知ってか知らずしてか、天皇の言葉をもらしたのは、次のような浅ましい性根からなのであろう。

「私、菅伸子は、両陛下と差しで食事ができる地位にまで上り詰めたのよ、そうよ、ファーストレディーなのよ、どう、下々のみなさん、わかる、これってすごいことなのよ、今住んでいるところだって、首相公邸、永田町2丁目、都心の一等地よ、広すぎてもったいないから母親まで連れてきちゃった、そしたらどーお、感激しちゃったのか、呆けていたのに国会の周りで銀杏拾いまで始めちゃってさあ、おまけに、24時間警護のSPが付いてくれて、これってほんとのVIP、もおー、うれしくてうれしくて、いつまでもやっていたいから、亭主には言っているの、たとえ支持率がマイナスになったって辞めちゃだめだって、日本がどうなろうとそんなこと知ったことじゃないわよ、とにかくこの私がいつまでも栄耀栄華できればそれでいいの、だってあの中身が空っぽのバカ亭主をだましだましここまでもってきたのは私の力、総理大臣にしてやったのは私なんだから、このくらいのご褒美は当然よね、ついでに言うとね、亭主だってホントはどうでもいいのよ、他の女に走ったくせにさ、あんな奴! だからね、こんど生まれ変わったら、他の女に目もくれず、一から十まで自分の言うことを聞くもうちょっと操縦しがいのある男を選ぶの、どーお、文句ある?」

とまあ、戯文調でまとめてみたが、当たらずとも遠からずというところではないだろうか。

第2について。

天皇が、「消えた高齢者」について、ご自分が形式的であるにせよ任命した内閣総理大臣に、どうなっているのかと発言したということは、どうにかしなさいと命じたということだ。

日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である天皇として、国民の間に亀裂が広がり、あろうことかその亀裂に高齢者がすっぽりと神隠しのごとく消え去る事態を看過することはできないと考え、総理大臣と親しく会食する機会をとらえて、改善を求めたということではないか。

ここで、天皇の政治への関与の当否については問題にしない。

これは、天皇であるかいなかということ以前の、現代の日本に生きる人間として(現在は天皇は現人神ではない)ごく当たり前の発言であり行動であると思う。

そこで、問題は、この女の反応だ。

このことをわがこととして受け止め、何とかしようとする姿勢を示したのか。国民の間に貧困と格差が広がり、家族関係や地域社会に亀裂があることを自らの痛みとして受け止め、改善のためにできることをしているのか。

たとえ、その亀裂、あるいは格差が、民主党政権以前から始まっているとはいえ、当代の責任者は、この女の亭主の、総理大臣である菅直人である。これは逃れようのないことだ。

読者よ、それは亭主の仕事で、女房は違う、と言うなかれ。この女は、先の民主党代表選挙の折、「もう少しやらせてください。だめなら自分が辞めさせます」と公言して歩いたのだ。よもやそのこと、お忘れではあるまい。辞めさせるとは、任命権者のみが言えるせりふだ。それを言うということは、この女、菅直人の任命権者つまり監督者になったつもりなのだろう。

であれば、この亭主と女房は一蓮托生、破れ鍋に綴じ蓋だ。

だから、亭主だけでなくその女房、菅直人だけでなく菅伸子の覚悟のほどを問うてもなんの問題もない。

その昔、池田勇人は、電信柱が高いのも郵便ポストが赤いのもすべて総理大臣の責任というほどの決意でその任に当たる覚悟をしたという。

菅伸子よ、汝にその覚悟のほどありやなしや。