『文藝春秋』という骨董品

『文藝春秋』が電車に中吊り広告を出していた。

まだ、こんな雑誌が発行されている(ということは買う人もいる)ということは驚きである。すでにして骨董品のようなものだろう。今、買っておくと、将来値打ちが出るかもしれない。「昔々、2012年という時に、こんな時代錯誤を堂々とやらかしていた雑誌がありましたとさ」とね。(二束三文、「尻の穴を拭くにも使えねえ」と尻を持ち込まれても責任はとれません。悪しからず。)

しかも、そのタイトルがスゴい。いくつかを以下に。

「昭和の終わりと平成の次の世」  「安倍晋三 民主党に皇室典範改正は任せられない」 「嗚呼「同級生」たかが同い年されど同い年」 「公開質問 小沢一郎「全財産目録」」

いいのかね「平成の次の世」なんて言っちゃって。なんだか、平成よ、早く終われと言っているようにも見えるが。そう言われた当事者はどう思うかな。「安倍晋三」。自分になら任せてよとでも言いたいのか、あの無責任ぶりで世界に恥をさらした当人が。ちっとは恥ずかしくないのかね。「同級生」。年齢的なではなく精神的な年寄り向け懐古趣味。「公開質問」とやらは、アノ「田中角栄研究」の柳の下をねらっているのか。古い。2匹目はいないと相場は決まっているのだが。

誰の文章だったか、『文藝春秋』の創始者・菊池寛の不作法な食事ぶりに辟易する場面が出てくるの思い出したが、人が人なら雑誌も雑誌、下品なものはどこまでも下品である。

ノーベル経済学賞という嘘

ノーベル経済学賞というものは嘘である。

物理や医学の分野のノーベル賞とは似て非なるものである。

少なくとも物理学や医学の分野では、授賞対象となった発見や発明は、検証可能であり、どこにおいても再現可能なものとされているはずだ。

しかし、経済学賞というものはどうか。授賞対象となった学者の仕事が、検証可能であり、どこにおいても再現可能なのか。授賞対象の経済理論が地球上のいかなる場所でもあまねく適用できるものなのか。

そんなことはあり得ないだろう。

そんなものに物理学や医学の分野と同じような名称の賞を与え騒ぎ回る。いったい何のため?

思うに、これは、経済学賞の授賞対象である近代経済学なる虚構に、あたかも物理学上の発見などと同等の普遍性を偽装したいがためのトリック、すなわち詐欺的行為である。

そんな詐欺にまんまと引っかかって、というか、この詐欺的行為のお先棒を担いで、お祭り騒ぎを繰り広げる日本のマスコミのバカさ加減。

ちなみに、ウィキペディアによると、この賞の正式名称は、アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞というらしい。なるほど、銀行が出す賞ということですね、それならよく分かる。まさに名詮自性ですな。

 

 

カレル・ヴァン・ウォルフレン「誰が小沢一郎を殺すのか?」あるいは間抜けな日本のジャーナリストについて

「誰が小沢一郎を殺すのか?」は、オランダ人のジャーナリストで、長く日本に滞在した経験を持ち、日本の政治と社会についての鋭い分析で知られるウォルフレン氏の近著。

小沢一郎氏が、わが国の政治の真の改革に必要不可欠な存在でありながら、検察と大手マスコミによる「政治とカネ」のネガティブキャンペーン攻撃を受け続けるのはなぜかについて、氏のこれまでの分析をふまえてすこぶる説得力のある議論を展開している。

詳細については、この書をお読みいただくとして、ウォルフレン氏の主張の核心は、ブログ主の見るところでは、次のようなことである。

わが国の政治(のみならず経済も、社会のあり方も)の根本問題は、日本国が、独立主権国家ではなく、アメリカ合衆国の保護国ないし従属国の地位に甘んじていることにあり、小沢氏はこの状態を変革し、日本を真の独立国家としようと奮闘している。小沢氏に対する「人物破壊 character assassination 」というべきネガティブキャンペーンは、日本がアメリカの保護国ないし従属国状態にとどまっていることから利益を受けている日米両国の支配層が、小沢氏による変革を脅威ととらえ、これをつぶすために仕掛けたものである。日本国民が、日本が真の独立国家となることを願うならば、小沢氏がネガティブキャンペーンによって抹殺されようとしているのを座視してはならない。

以上がウォルフレン氏の主張の核心だと思うが、同感である。ブログ主が、このブログを始めたのも、2年前の総選挙直前の特捜検察と大手マスコミによる一連の反小沢キャンペーンがあまりにも異様であり、日本の民主主義を案ずる国民の一人として、まさに座視することはできないと考えたからであった。

しかしながら、菅直人及びその一派の「小沢はずし」、いやむしろ「小沢抹殺」の動きを見ていると、民主党内においてさえ、小沢氏に対するネガティブキャンペーンに荷担する勢力がはびこっている始末であり、残念ながら、日本属国化・従属化推進勢力が、今なお猖獗を極めているのがこの国の現状であると断じざるを得ない。

だが、どんな状況も、永遠不変でありうるはずはない。かのアメリカ合衆国の覇権にしても今や並ぶもののない絶頂にあるように見えるが、絶頂にあるということは、言い換えれば次の瞬間には衰亡に向かうということだ。世界最強の軍事力を誇る国の大統領が、たった一人のテロリストを、他国に特殊部隊を派遣してまで暗殺するという常軌を逸した行動に出る有様は、かの国が衰退に向かいつつある証でもある。

さて、ウォルフレン氏の著書に戻るが、いかに日本滞在が長いジャーナリストとはいえ、外国人がこれほどまでに日本の政治や社会を鋭く分析しているのに、日本で生まれ育ちながら、バカの一つ覚えの「政治とカネ」報道に明け暮れる間抜けな日本のジャーナリストって、いったい何なんでしょうね。それに、そのバカの一つ覚えにころりとだまされる少なからぬわが同胞も。

 

 

最近の録画機器のありがたさ

NHKの衛星放送で、ある映画監督が選んだ日本映画100選というのをやっている。

こういう企画をたてるNHKもNHKだが、引き受けるこの映画監督も映画監督だ。同業者が同業者を選ぶ? そんな大それたことをよくやるね。先輩・同僚監督の仕事への敬意や畏怖のようなものを、この人は持っていないのか。もし、そのようなものを持っているのなら、とうていこんな失礼なことはできないと思うのだが。

おまけに、このシリーズ、一本の映画の前後に、この映画監督とは別のタレント風映画監督と女性アナウンサーのしゃべりを入れるのだが、これが蛇足の典型ときているから、興ざめなことこの上ない。

だが、ありがたいことに、最近のハードディスク録画機は、映画本編前後のくだらないおしゃべりを、簡単に消去できるようになっている。だから、衛星放送の映画は、放送時点では鑑賞しないで、しかるべく時間をおいて後に、この蛇足部分を消去して見ることにしている。

こうすると映画そのものの鑑賞に専念できてすこぶる快適だ。当世の家庭用AV製品のこうした機能には感謝である。

 

 

「人を殺したから世界が良くなる」と発言するアメリカの大統領

ビン=ラディンを暗殺したアメリカの大統領が、暗殺発表の記者会見で、「ビン=ラディンを殺したから、世界は良くなる」と発言していた。

狂っている。

その人物がたとえどのような人物であろうと、その人物を抹殺すれば自体が好転するなどと考えることは正気の沙汰ではない。正気の沙汰ではないことが、史上例を見ない巨大なパワーをもった超大国の指導者によって、何のためらいもなく無邪気に言明される。

これを狂気と言わずしてなんと言う。

このような大統領を戴き、しかも、その発言を喜ぶ国民がいるアメリカ合衆国という国が、今、その気になれば何でもできるこの世界は、はたして正気なのか。

こんな世界に、同時代人として生を受けていることの意味を思う。

 

大震災の教訓

このたびの大震災の教訓はいろいろあるが、一つは、この国の国民と国土を守るのは、とどのつまり、自分たち、すなわち主権者である自分たち国民以外にはいない、ということだと思う。

まずい結果になると、「想定外」を連発して責任逃れをする科学者や電力会社、その言い逃れをオウム返しする政治家が守ってくれるわけではない。

壊れ方があの程度だったから、日本の技術はたいしたものだと、頓珍漢なことをうそぶいて平然としている経団連会長が守ってくれるわけではない。

これらの連中の宣伝機関と化した新聞やTVが守ってくれるわけではない。

いわんや、同盟国だというアメリカが守ってくれるわけではない。アメリカは、金の卵を産む限りの日本が大事なのであって、卵を産まなくなった日本には用はないのだ。

では、主権者であるわれら国民は、どのようにして自分たちと国土を守るのか。

至極簡単である。自分たちの生活は自分たちで守ろう、自分たちの国は自分たちで守ろうと思えばよいのだ。自分たちのことは自分たちで守る。この当たり前のことを思い、そのように振る舞えば、問題解決の第一歩を踏み出したのであり、道の半ばは越えたと言うべきだろう。

まず、手始めに、国民と国土を守ることよりも、アメリカと、そのアメリカのおこぼれをもらって栄耀栄華する自分を守ろうとしている新聞の購読を止めること、TVを見ないことにしたらいかが。きわめて重みのある第一歩だ。

大震災から一か月

大震災から一か月。

警察庁発表では、亡くなった方1万3000余人、行方不明の方1万4余人。避難所などに避難している方14万人余。

亡くなった方の冥福をお祈りし、行方不明の方が見つかることを切に願う。 避難している方が落ち着いた生活を取り戻すことができるように。

合掌。

「桜」考

関東地方では、桜が満開である。

が、しかし、その桜は十中八九、ソメイヨシノである。いつ頃からか、少なくとも関東地方では、市街地にある桜は、大半がソメイヨシノになってしまった。

桜は、ソメイヨシノだけではない。山桜、大島桜、など種類が豊富だ。それぞれに特徴があり、美しい。だが、当今の人々の関心は、ソメイヨシノにのみ集中しているように見える。

ひとたび、流行りが起こると、猫もしゃくしもそれ一つになびくわが日本社会。ソメイヨシノが流行ると、ソメイヨシノばかり。震災で自粛となると、自粛自粛で夜も日も明けない。

いったい、何なんでしょうかね。これは。

日本は強い国って、あんたらには言われたくない

TVのあのACとかの広告はどうにかならないのか。

まあ、見なけりゃいいのだが。

それにしても、スマップとか言うあのタレント連中も恥ずかしくないのかね。あんなせりふを言わされて。こんな時に、おそらく電通か博報堂だかの、広告代理店のスタッフの振り付け通りに口をぱくぱくやって、いったい何のつもりなのだろう。彼らはおそらく30歳代になっているのだろうが、その年になるまでどう生きてきたのか。

こんな時にこそ、事務所(ジャニーズ?)や広告代理店の振り付けではなく、自分の考えで行動したらどうなのだ。君たちは、自分の人生を生きているのか。

花見のススメ

自粛と称して、人間性の自然な発露を抑制しようとする、不自然な言動が横行している。

本当は小心者で強いものには弱いのに、弱いものには威張り散らすことで有名などこかの国の都知事なる人物が、首都の名勝での夜桜見物を不謹慎だとのたもうたそうな。

愚昧極まれり。

自粛自粛と世間が騒げば、当然のことながらお金の回りが悪くなり、浮き世の波間でかろうじて命をつないでいる人々はタツキの道を失うことになる。自粛だなんぞと綺麗ごとを言って済ましていられるのは、生活に困らない経済的強者だからだ。

それに、この大震災で図らずも落命された方々も、生き残った者どもが自粛自粛で首が回らなくなり生きる道が細くなることを、お喜びにはならないだろう。

花は愛でるべし。木々の芽吹きを喜ぶべし。そして、大震災の犠牲となられた方々の思いを思うべし。

ただし、屋外に長居は無用、放射能対策もお忘れなく。