いわゆる「大新聞」編集幹部の驚くべき無知蒙昧

11月30日に行われた日本記者クラブ主催の各党党首共同記者会見で、嘉田由紀子・日本未来の党代表に対する質問が、小沢一郎氏への偏見に満ちたひどいものだったことを、政治ブログ『永田町異聞』の12月1日付記事「日本記者クラブの品格とは?」に教えられて、その部分をネット録画で見た。

嘉田代表への質問者は、読売新聞特別編集委員の肩書きを持つ橋本五郎なる人物らしい。この人物が「日本未来の党は小沢依存ではないか」という例によって例のごとくの偏見質問を繰り出したのに対し、嘉田代表は動じることなく「なぜ皆さんは小沢さんを怖がるのか」と切り出した。すると、橋本なる人物が「怖がってない、いやがっている」と茶々を入れた。

「いやがっている」は、漢字で書くと「嫌がっている」ということになる。「嫌」ということは「嫌い」ということだ。ふーむ、「嫌い」ね。

この記者会見は、主催者の「日本記者クラブ」というものの当否はひとまず脇に置くとして、少なくとも公の場であることには違いない。この人物は、この公の場で、岩手の小選挙区の有権者から信任を得た「全国民を代表する」立場の衆議院議員を「嫌い」だと公言したことになる。

人間、好き嫌いは誰にもあることで、この橋本某なる人物が、たとえば自宅の風呂場で「小沢は嫌いだ!」と叫ぼうが喚こうが、当人の勝手だ。だが、記者会見という公の場で、公器を自称する「大新聞」の編集幹部が(彼らは、来る消費税増税に向けて、新聞は「公器」だから存在しなければならない、増税で新聞価格が上昇し読者が減ると存在が危うくなるから、新聞価格には消費税の軽減税率を適用せよ主張している)、特定の政治家を、好きだ嫌いだと言い募っていい訳がない。

そんな、小学生でも知っている道理を、この人物は知らないらしい。そして、まわりの「大新聞」の記者らしき連中が、この橋本なる人物の茶々に同調して笑い声を出しているところ見ると、その連中も同様に道理を知らないらしい。

いわゆる「大新聞」編集幹部の無知蒙昧ぶりを、あらためて確認することになった記者会見ではあった。

この国の癌は新聞・TV

ようやく、菅直人の政治家としての命脈が尽きそうである。

あの、サバの腐ったような目つきの菅直人とそのバカ女房が、表舞台から消えてくれることは日本国民と日本国にとって慶賀の至りである。

しかし、昨年9月の代表選で、小沢さんという最良の選択肢がありながら、このような最低の人物に投票し代表に選んだ民主党の国会議員、地方議員、党員・サポーターの責任は重大きわまりない。全員、頭を丸め、滝にでも打たれて、おのれの罪を悔いよ。

しかし、もっと罪が深いのは、「政治とカネ」のバカの一つ覚えを垂れ流し、国民を欺き続けているこの国の新聞・TVである。

本来、人々の曇りなき目となり耳とならなければならないマスメディアが、逆に、人々の目を塞ぎ耳を詰まらせ、小沢さんに関するありもしないデマ情報を刷り込む。

不正な報道を繰り返す新聞・TVは、人々が社会や政治に関して判断する際の材料に歪みを与えることにより、人々の正しい判断を妨げ、結果として、社会や国家のあり方を誤るものである。

このような新聞・TVは、いつの間にか体内に発生し、やがては本体を滅ぼす癌細胞のごときものだ。これを放置すれば、社会や国家が危うい。

不正な報道を繰り返す新聞・TVに対しての治療法は、見ない、読まない、聞かない、の「3ない」が一番効果的だ。

誰も見向きもしなくなれば、彼らも自分たちのしていることがいかに間違ったものであることに気付くことも、あるいはあるかもしれない。癌細胞が自ら萎縮していくことも可能性としてないことはない。

ブログ主は、わが国の新聞・TVが、社会や国家の健全な発展のために尽くすというジャーナリズム本来の役割に目覚め、本道に立ち返るべく、自ら、癌細胞を萎縮させる力を発揮することを願うものである。

小沢さんを何がなんでも民主党から追放したい新聞・TV

新聞・TVは、小沢さんを、民主党から追放しようと懸命です。

いわく、党員資格停止では生ぬるい、除名しろだのなんだのと、毎日うるさいことといったらありません。

そんなことをして何がおもしろいのか、さっぱりわかりません。第一、そんなことは、民主党内部のことでしょう。新聞・TVは、なんの資格や権限があって、人様のことに首を突っ込めるのでしょう。不思議です。

新聞・TVの、この有り様を見ていると、その先が断崖絶壁で、そのまま突っ込めば、全員墜落死確実なのに、かまわず破滅へ向かって突進する無知な羊の群れをイメージします。

何をかいわんやであります。ごくろうさま、合掌。

鳩山前首相インタビュー再論

一昨日(2月14日)のブログ記事「素人の政治家」で、鳩山前首相の共同通信によるインタビューを批判的に取り扱った。

だが、このインタビュー、最高権力者の地位を離れたばかりの人物が、すこぶる簡略ながら、一種の回想を世に問うたものと見ることもできる。(本人がどういう動機でインタビューに応じたかは別として。)

わが国の政治家は、回想録や日記の類を生前に、あるいは死後になっても、公開することが少ない。過去のことは水に流すことを良しとする風潮や、沈黙は金とする価値観からか、公職を引退後も、多くの政治家は自らが関わった政治プロセスについてなにも語らず、秘密を墓場までもっていくことがしばしばだ。

ブログ主は、このことをかねてから残念に思っている。公職にあった政治家の回想録や日記の類は、その政治家が関わった政治プロセスについての証言であり、当代および後世の国民がその当否を判断する材料になるので、そういうものがあれば、似たような問題が発生したとき、それらを参考にすることで同じ失敗を繰り返さなくとも済む可能性が高まるからだ。

少数の例外がある。平民宰相こと原敬(1856-1921)の『原敬日記』、最後の元老・西園寺公望(1849-1940)の私設秘書、原田熊雄(1888-1946)の『西園寺公と政局』など。

そう考えると、このインタビューは、歴史的な政権交代によって誕生した初の民主党内閣の実相を当事者の証言から知ることができるものであり、今の政治を考える手がかりになる貴重なものだということになる。

そういう目で見直すと、このインタビューのポイントは、鳩山氏の日米関係に対する見通しの甘さや(2月14日付ブログ記事「素人の政治家」で既述)、初の民主党内閣における首相と他の閣僚との無関係のような関係であったり、その関係の有り様から見えてくる民主党そのものの問題性を明らかにしているところにあると思う。

例によって、新聞・TVは、沖縄のアメリカ海兵隊を抑止力とするのは方便だという趣旨の発言だけをクローズアップして、本当は沖縄県民が気の毒だなどとは毛ほども思っていないくせに、沖縄県民に謝罪しろなどのお為ごかしの大騒ぎをやらかしているが、毎度のこととはいえ、困ったものである。

まず、首相と他の閣僚との関係から。鳩山内閣当時、「閣僚の発言はバラバラだった」と聞かれての返答。

「岡田(克也)君は外相当時、マニフェスト(政権公約)に『県外』とまで書かなかったと話したが、民主党が圧倒的な国民の支持を得て政権を中心的につくらせてもらったのだから、党のビジョンはしっかり打ち出すべきだと思った。一致して行動していただきたいという思いはあった。」

「北沢俊美防衛相は、政権交代後、どこまで防衛省の考え方を超えられるか、新しい発想を主張していくかということが本当はもっと勝負だった気がする。」

第1の疑問。

鳩山氏は首相としての指導力をどう考えていたのか。鳩山氏の言葉からうかがわれるのは、一国の最高責任者である総理大臣というより、自分の思い通りに動いてくれない閣僚に対して強く指導するでもなく、こうしてほしいと思ったとか、もっと勝負してもらいたかったとか、まるで他人事のような感想をもらすだけの、なんとも無責任な傍観者の姿だ。

日本国憲法は、衆議院の解散権や国務大臣の任命・罷免権など最高級の人事権と、行政の各部門に対する指揮監督権を内閣総理大臣に与えており、その地位についた人物の政治的力量によっては、強力なリーダーシップを振るえる強い総理大臣を想定していると考えられる。

最近の例では、あの強力なというか強引なというか、そのようなリーダーシップを発揮した人物に小泉某がいる。そのリーダーシップによって実行された新自由主義的な施策は、日本の社会に分裂と格差をもたらした元凶以外の何者でもなかったと、ブログ主は考えているが、日本の首相もやればできるんだということを実証して見せたことは認めなくてはならない。

ところが、鳩山氏は、総選挙での圧倒的な勝利により、首相の座に就いたにもかかわらず、この強力な権限を適切に使った様子が見えない。それが証拠に、彼の言葉からは、一国の最高責任者として国民のために善かれと思ったことを、万難を排して、それこそ首相としての権限を最大限に使ってでも、断固やり抜くという強い意志が感じられない。

普天間移設問題に関しての「反省点は」と聞かれての答え。

「相手は沖縄というより米国だった。最初から私自身が乗り込んでいかなきゃいけなかった。これしかあり得ないという押し込んでいく努力が必要だった。」

なぜ、首相在任当時に、その努力をしなかったのか、今さら、そんな感想を言われても困るのだが。

また、他の閣僚たちも、副首相だった菅直人や、ここに名前の挙がった二人を代表格に、首相に積極的に協力しようとしないばかりか、むしろ、自分が担当する省庁の既得権を損ねないように行動していたとしか見えない動き方をしている。

「外務、防衛両省に新しい発想を受け入れない土壌があったのでは」と尋ねられての返答。

「本当に強くあった。私のようなアイデアは一笑に付されていたところはあるのではないか。本当は私と一緒に移設問題を考えるべき防衛省、外務省が、実は米国との間のベース(県内移設)を大事にしたかった。官邸に両省の幹部2人ずつを呼んで、このメンバーで戦って行くから情報の機密性を大事にしようと言った翌日に、そのことが新聞記事になった。極めて切ない思いになった。誰を信じて議論を進めればいいんだと。」

本人の切ない思いはともかくとして、外務省、防衛省がこのような「政治主導」の「せ」の字もないような体たらくなことについては、一義的には、このような状態を指導改善できなかった、その省のナンバーワンである岡田外務大臣、北沢防衛大臣に責任がある。

結局、「政治主導」をスローガンに掲げた初の民主党内閣自体が、このようなバラバラ状態では、積年の病弊である「官僚主導」を打破することなど、とうていできない相談だったということだ。

そこで、第2の疑問がわく。

歴史的政権交代による初の内閣でありながら、首相は首相で自分が選挙戦で訴えたことを死にものぐるいで実現しようとの気構えをもたず、閣僚は閣僚で首相のいうことなどには鼻もひっかけない有り様であるような、つまりは、基本的な政策について認識の共有ができていない状態の、バラバラでお粗末な内閣しか作れなかった民主党とは、いったい何なのか。

この疑問は、現在進行中の、菅直人は、なぜ「小沢切り」に夢中になるのかという疑問と重なる。

この疑問に対するブログ主の解答は次のようなものだ。

民主党は、「国民の生活が第一」の小沢支持グループと、「金権打破」「カネにクリーンな政治」が大好きなオリジナル民主党グループとの、水と油のごとき異質な集団が、「呉越同舟」する、もともとバラバラな政党だったのだ。野党時代は、政権奪取という目標が、かろうじて両者をつなぎとめていたのだが、政権を獲得した途端に、両者の亀裂があらわになったというわけなのだ。両者は、茶碗の持ち方から箸の上げ下ろしに至るまで、正反対の政治作法の持ち主であり、とくに、オリジナル民主党を標榜するグループは、小沢さんを、カネに汚い政治家が合流してきたが、選挙に勝つまでの我慢、選挙が終わったら、小沢の主張する「国民の生活が第一」なんぞはかなぐり捨てて、あるいは小泉流の新自由主義、あるいはアメリカべったりの奴隷外交など自分たちの好き放題にやろうと考えていたのだ。

「カネにクリーン」、などとはまったく意味のない言葉で、政治にだってカネはかかる。当たり前の話だ。大事なことは、小沢さんが言うように、誰から貰って、何に使ったかをすべて公開して、その善し悪しについては国民の判断にまかせることで、それが「政治とカネ」についての正しい考え方だ。

こう見てくると、鳩山氏のいわば簡易回想録が、はしなくもかいま見せた民主党初内閣の無惨な状況は、偶然でも何でもなく、起こるべくして起こった、いわば必然的な状況だったといえよう。

今現在の「小沢切り」の行方については、この水と油の二つの集団が、やがて別々の二つの政党に分れることになり、さらにそれが、諸政党の再編成を促して、ようやく、それぞれ論理的な整合性をもった主張を掲げる二つの政党の対立関係という、小沢さん年来の主張に近いかたちになると見るのが正解ということになろう。

春秋の筆法に倣えば、鳩山民主党内閣の無惨は、政界再編成の呼び水になることによって、日本に正しい二大政党制をもたらすことになる、ということだろうか。

縁なき衆生は度し難し

今朝、何の気なしに民放TV(フジだったか)を見たら、当選した名古屋の河村市長が、これまた愛知県知事に当選した大村氏とともに出演し、吠えていた。途中から見て、すぐにスイッチを切ったので、前後の脈絡は一切分からない。

耳に飛び込んできたのは、司会?だかの、50歳前後に見える小作りで眼鏡の男性の「小沢はもう終わった人…」という発言。

終わった?

ホー、終わった、ですか。なにを根拠に、そうおっしゃる、小作りで眼鏡の男性よ。と、問いかけても、返事ができないでしょうな。だって、確たる根拠はないのだろうから。

強いて言えば、この発言の根にあるのは、小沢さんに終わってほしいという願望だな。それがポロリと出てしまったという塩梅なのだろう。

これは、多分、この小作りで眼鏡の男性だけのことではなく、既成マスコミの反小沢連に共通の願望なのだろう。

恐らく、この人たちは、小沢さんの主張を聞くこともなく、また、「政治とカネ」という呪文の正体をきちんと調べることもなく、周囲に流されて、何となく、小沢は悪い奴だ、と思い込んでいるだけなのだろう。

つまり、彼ら既成マスコミの反小沢論は、その根底に無知がある。

知ろうとすれば知ることができるにもかかわらず、無知のままに他者をおとしめる言動をなすは悪である。

縁なき衆生は度し難し、と言う。

まことに、彼ら反小沢を唱える既成マスコミは縁なき衆生、すなわち、無知から脱する機縁をもたない人々であり、だから度し難い、すなわち、救い難い。

新聞・TVという名の狂人

新聞・TVは、ジャーナリズムの一員ということになっていたのだが、このたびの、小沢さんをめぐる報道で、それが真っ赤な嘘であることが天下周知の事実となった。

検察審査会の議決による起訴は、どこをどうひっくり返しても無罪になるだろう。ほんの少しの知性と勤勉さをもって、関連資料にあたり事柄を整理すれば、小沢さんの「疑惑」なるものが根拠のない濡れ衣であることは一目瞭然だ。

まともな裁判官なら、裁判にならないとして公訴棄却を言い渡すはずだ。もちろん、「鳥なき里のコウモリ」のようなこの国では、裁判官が、霞ヶ関高級官僚軍団の一員として、あろうことか有罪判決を出す可能性も100%ないとは言い切れないが。

それをどうだ。各種の政治ブログサイトの伝えるところによると、新聞・TVは、小沢はけしからん一色で染まっているという。

彼らは、怠惰にも、ほんの少しの事実関係すらも自ら調べようとせず、検察や高級官僚の言うがままに、デマを垂れ流しているのだ。

この連中は、自分たちが何をしているのか分かっているのか。彼らのこの有様は、先の戦争末期、敗戦が確定的になっていたにもかかわらず、日本軍の大勝利、大戦果を歌い上げていたときと、寸分違わない。ほとんど、狂気である。

西ドイツ時代の連邦大統領、リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーは、連邦議会の演説で、「過去に目を閉ざすものは、未来に対してもやはり盲目となる」と述べたが、報道機関としての過去の罪から学ばない日本の新聞・TVは、未来どころか、この現在の、この瞬間についても、何も見えず聞こえないままであろう。

わが日本では、狂人が、ジャーナリストと称して、白昼堂々、公道を闊歩している。

「強制起訴」という呪文で立派な政治家をおとしめようとするチンケなマスコミ

このところ、マスコミが、一斉に、あの検察審査会による起訴議決を受けて、近々、指定弁護士が小沢一郎氏を起訴する運びだと報じている。

例の通り、ドッグレースの犬ですな、マスコミの諸君は。すわっとばかりに目の前の兎だかなんだかに飛びつきましたね。ポチが餌を見て、シッポを振るようで、分かりやすいことこの上ない。

叩いても叩いても動じる気配のない小沢氏に、あれれ、どうしたことだ、ふつうの政治家ならとっくに白旗を掲げて降参しているのに、おかしいな、自分たちの読者目くらましの術に翳りが見えてきたか、と動揺していただろうマスコミの諸君にとって、待ってました、おあつらえ向きの仕掛けがやってきたというところだろう。

よかったね、これでしばらくは、記事が書けるね、編集局の幹部にも怒られなくてすむね。

ホッとしたことだろうね。

というわけで、その、マスコミの諸君のホッとした浮かれ気分の代表選手として、朝日新聞にご登場願おう。

29日付の「小沢氏、31日にも強制起訴 陸山会の土地取引事件」と題するネット配信記事中の一文。

「市民の判断によって政治家が起訴されるのは初めてとなる。」

ほほー、「市民の判断」ね。都合良く「市民」を使うね、朝日の取材記者さん、デスクさん、整理記者さん。おまけに、この1行の文章、君たちのうれしそうな気分が伝わってくるようだよ。「小沢の野郎、今度こそ息の根を止めてやる」ってね。

ところで、「市民の判断」とは、あの胡散臭い検察審査会の、平均年齢が30いくつかだという審査員の判断のことを言っているのだろうが、その審査員の判断といったって、数回の会合で、ろくに資料を調べもせず、審査補助員の弁護士の意見を鵜呑みにして出した判断だろう。それって、君たちの、検察リーク情報垂れ流しの嘘八百報道で創られたこだまとか、やまびこみたいなものだよ。ま、元はといえば、例の「政治とカネ」の話そのものが、作・演出:特捜検察、スポンサー:霞ヶ関高級官僚軍団及び宗主国アメリカ、による猿芝居みたいなもので、その猿芝居の狂言廻しがあなた方の役どころというわけなんだが、わかっちゃいないだろうな。

その狂言廻し風情が、勝手に「市民の判断」などと決めつけちゃあいけない。「市民」もいろいろだからね。あの、菅直人君も「市民」運動家だったし、マスコミの報道を批判するこのブログ主も「市民」なのだからね。

朝日の取材記者さん、デスクさん、整理記者さん、まずは君たちの言う「市民」って、いったいなんなのか、そこのところをきちんと定義しなさい。そうでないと、君たちの言う「市民の判断」による「強制起訴」という文句は、なんとかして憎い小沢をおとしめてやりたいという気分をあらわすたんなる意味不明の呪文に過ぎないよ。

日本経済新聞の罪と罰

昨日、電車内で乗客が読んでいた日本経済新聞の一面に、「年金給付50兆円突破 名目GDPの1割 1.8人で1人支える」という見出しがあった。

例によって、読者を消費税増税賛成に誘導する、財務省をはじめとする霞ヶ関高級官僚軍団のお先棒担ぎ記事だろうと見当をつけたところ、ビンゴ!大当たり。

日経のサイトにアクセスしたら該当の記事が全文載っていた。

最近、日経はネットの記事配信を一部有料化し、記事によっては最初の段落のみ閲読可能だが、続きを読みたければ金を払え、とまあ、蒲焼きの匂いだけ嗅がせて、お預けを喰わせるようなあこぎな商売をしているが、この記事は全文掲載されていた。この手の洗脳記事については広告宣伝扱いで大盤振る舞いということか。分かりやすいといえば分かりやすいが、まあ、なんとも現金な商売をするねえ、日経さん。ところで、日経のこの有料ネット配信ビジネス、引っかかる人がいるのだろうか。紙媒体はもちろん、ネットでまで、こんなゴミみたいな情報に金を払うなんて、ドブに捨てるようなものだが。

その記事だが、興味のある方はご自分でアクセスしていただくとして、ざっと筋をまとめると、至極簡単、以下の如し。

団塊の世代が年金受給年齢に達したので支払い額が増えた、現役世代の負担が増えるのはたまったもんじゃない、だから現役だろうが引退していようが、誰も彼も所得の多寡に関係なく払わざるを得ない消費税増税しか解決策はない。

と、こんな次第で、とどのつまりは、消費税増税万歳という霞ヶ関高級官僚軍団の提灯持ち記事というわけ。

ブログ主の異議は2点。

第1。

公的年金制度維持のためには、国民が払う保険料だけでは足りない、不足分に税金を投入するとして、その税金をどこからもってくるか。

日経さんは、消費税だ、と叫んでいるわけ。

だがね、霞ヶ関高級官僚軍団の既得権維持必要経費分プラスアメリカ合衆国への見かじめ料をまずはじめに差っ引いて、そのお余りでどうのこうのしようとすりゃあ、税金なんぞいくらあっても足りはしないよ。そんなことは、小学生でもわかる道理だ。なにも池上なにがしを呼んでくるまでもない。

問題はそこだ。この霞ヶ関高級官僚軍団の既得権維持必要経費分プラスアメリカ合衆国への見かじめ料をどうするか、そこのところを切り込まないで、霞ヶ関高級官僚軍団の筋書き通りの御託を並べているんじゃ、財務官僚のお先棒担ぎだの提灯持ちだの言われてもしょうがない。

日経さんよ、あんたがたも、ジャーナリストのはしくれだ、ぐらいに思っているのなら、お得意の調査報道とやらで、国家予算の大胆な組み替えシミュレーションをしたら、こうなりました、だから、年金財政はかくかくしかじかです、といった具合の記事を書いて紙面に載せてごらんよ。

第2。

結果としてこの記事は、年寄りを食わせるために、若い連中が犠牲になるんだ、怒れ! 現役世代よ! という具合に世代間の対立を煽っている。

いけませんなあ、こんなことをしては。マスコミの悪い面のもろ出しだ。

新聞は、報道・評論を稼業としている。評論だから、対象を批判的に取り上げることは当然ある。批判だから、誰も彼も満足する記事ばかりというわけにはいかないだろう。だが、だからといって、霞ヶ関高級官僚軍団の言い分を鵜呑みにして、そのお先棒を担ぎ、国民の間に分裂と対立を招くようなことをしてもいいということには断じてならない。

マスコミというものは、ドッグレースの犬みたいなところがあって、鼻先にダミーの兎だかなんだか、話題や事件をぶら下げられると、わき目もふらず追いかけるという習性をもっている。瓦版屋の昔から変わらない。この習性を、悪意の人物なり集団なりにうまく利用されると、とんでもないことになる。つまり、悪者連中の思うがままに虚偽情報を垂れ流し、読者や国民を間違った方向に誘導することになる。

古くは、ヒットラー率いるナチスの勢力拡大とユダヤ人虐殺。マスコミの皆さんは、知ってか知らずしてか、口を拭って言わないが、いかなヒットラー、ゲッベルスにしても、その言葉を伝える新聞やラジオがなければあんな大悪事を実行しようがなかった。(たしか、世界初のTV中継はナチスドイツの国威発揚のベルリンオリンピックの時ではなかっかたか)

近くは、1990年代の旧ユーゴスラビア紛争。凄惨な宗教・民族対立の修羅があったのだが、そうなるについては、政治指導者による対立を煽る言動を、これでもかとばかり垂れ流したマスコミの存在があった。

身近なところで、わが「政治とカネ」は言うに及ばず。

だから、この稼業にたずさわる皆さんは、そこのところを十二分にわきまえて事に当たらなければならないはずなのだが、「政治とカネ」ひとつとってもまったくできていない。前車の轍を踏まず、どころか、寸分違わず追随しているようにさえ見える。

斯くの如く、霞ヶ関高級官僚軍団の言い分を垂れ流し、結果として、国民の間に深刻な対立と分断を生じるような日本経済新聞の報道は犯罪的である。

彼らの罪は深い。

この罪に対する罰を、お天道様はなんとするだろうか。

消費税増税は社会保障目的という真っ赤な嘘

菅直人は、消費税の増税は社会保障目的だから国民の利益になる、利益になるから国民は安心して消費に励み、結果、経済成長が実現して、その余禄が国民に回るのだから、汝国民は消費税増税をもろ手を挙げて歓迎せよ、と、まあざっとこんな頓狂をぶち上げている。

バカじゃないか。

こんな理屈にもならない屁理屈、小学生でも騙せないよ。

消費税が初めて導入されたとき、時の自民党政府はなんと言ったか。これで、年金を始め社会保障は万全です、と言ったのではなかったか。

3%から5%に上げたときも、同じことを言った。

消費税増税は社会保障目的だなんぞという言い草は、真っ赤な嘘である。

税金に色などついていない。

いったん財務省の手に入ったら、どこへ行くのやら、その行方は財務官僚のみぞ知る。

国民は安心して消費に励む?

冗談じゃないよ。

5%が10%になるということは、1万円の買い物で、500円の税金が1000円になるということだ。その差500円、500円玉一個だよ。

500円玉一個あれば、マクドナルドの100円バーガーなら5個も買える。安売り競争の牛丼なら2杯食べられる。

そんな大金を強制的に召し上げられることになるというのに、安心して消費に励むだと。

バカも休み休み言え。その反対だろう。みんな、財布の紐を締めて生活防衛に走るに決まっているじゃないか。経済は一段と冷え込むことになる。成長どころか、縮小に向かうこと必定だ。

このデフレ不況で、中小零細の皆さんは四苦八苦、学生さんも就職超氷河期で辛い思いをしている。これに輪をかけることになる罪作りが消費税増税だ。

菅の頓狂に加えて、例のごとくにマスコミが、消費税増税について国民の理解は得られつつある、などと嘘の上塗りをする始末。

日本のマスコミは、購読料金が再販価格維持制度で安売り競争から免れている新聞、不当に安い電波利用料で法外な利益を上げているTV局、ともに規制に守られ、独占にあぐらをかいて、このデフレ不況だというのに社員の平均給与は異常に高い。マスコミ貴族だ。

こんな連中のことだから、消費税が5%上がろうが、10%上がろうが痛くも痒くもないのだろう。それなのに、この連中ときたら、口を開けば「国民目線」「市民感覚」などいかにも庶民の味方のようなことをいけしゃあしゃあとぬかす。お前さんたちね、こんなアコギなことをしていると地獄に堕ちるよ。

しかし、情けないことに、どう見てもブログ主とそんなに変わらない家計状態にある庶民の皆さんの中に、こんな嘘八百を真に受ける人がいるのだから困ったものだ。

「年金をちゃんと貰えるようになるなら、消費税が少々上がってもしょうがないのじゃないでしょうか」

ウーム、騙す方が悪いのか、騙される方が悪いのか、どっちでしょうかねえ。

中国

中国が、GDPで日本を追い抜き、世界第2位になることが確実だ、と新聞社のネット配信記事が伝えている。

中国がGDP第2位になるのは当たり前のことだ。人口、歴史、自然条件、どれをとっても中国がそうなることを妨げるものはない。天然自然の勢いというものだろう。しかも、隣の国がGDP第2位になるほどに経済的に発展することは何かにつけてわが日本国にはプラスになることだ。

問題は、これを伝えるマスコミの姿勢だ。そもそも、こんな当たり前のことをわざわざ記事にすること自体、過剰に意識していることの現れだろう。その意識を探っていくと、おそらくこんなことになるのではないか。

なに? あの中国が日本を抜くって? 日本が負けちゃうんだ、そんなことぜったい許せない! と、まあ、こんな調子なのだろう。

そういえば、先日、家人が見ていたTVのニュース番組で、中国が話題になったとき、女性アナウンサーが、ワンセグ携帯から中国に関するアンケート参加を呼びかけていた。設問にいわく、「中国が怖いですか? 以下の4つから一つ選んでください。非常に怖い、怖い、そうでもない、怖くない」

「中国が怖い」?

こういうアンケートはアンケートではなく、中国恐怖、あるいは、中国嫌いのムードづくりへの誘導、勧誘だろう。こういう嫌中国のムードづくり番組を作るTV局の連中の心性も、上記GDP記事作成の新聞社の連中と大同小異というところなのだろう。

隣人というものは、好きになる対象でもなければ、嫌いになる対象でもない。ただ隣りにいる人というものなのだ。べたべたとくっつくこともなければ、四六時中喧嘩をすることもない。末永く、平穏無事の関係を続けられればそれでよい。「無事これ名馬」である。

国家の関係も右に同じ。

西の隣には、韓国、北朝鮮、中国、北の隣にはロシア、東の隣にはアメリカ。いずれ名だたる強者(つわもの)ぞろいだが、これもわが日本国の動かしがたい定めである。

これらの諸国と末永く、平穏無事の関係を続ける。無事こそ命。

そのためにはどうするか。

好きだ、嫌いだ、と思わないことだ。好きでも嫌いでもない、そういうものだと受け止めればよい。

そもそも、好き嫌いは、思い込みから始まる。思い込みとは、どうでもよいことを、あーでもないこーでもないと心の中でいじくり回しているからそうなるのだし、思い込めば思い込むほどこじれてくるものだ。

そう考えると、マスコミ連中の、嫌中国感情を助長するよう行為は、犯罪的だ。彼らのすることは、わが同胞の心の中に、嫌中国の種をまき、育て、ひいては隣人と事を構えさせることにつながりかねない危険をはらむ。

「将を射むと欲するなら、その馬を射よ」という。

近隣諸国と善隣友好の関係を続けようと欲するなら、隣人関係に仇をなすマスコミを射なければならない。

当ブログは、第1権力とも、第4権力ともいうマスコミの犯罪的行為を指摘していくことにいささかの躊躇もない。